室は貢ぎ物で溢れていた。 そのきらびやかな宝物を背景に、振り返った少女は恥じらいに淡く頬を染め、潤んだ上目遣いで、勝手についてきた清雅に楚々と左手を差し出す。 「こちら、お近づきの印にあなたに差し上げます。かわいがってあげてくださいネ」 「………………………」 小さな白い手。 差し出された手のひら。 その上に、特大の芋虫。 清雅は無言でその手を振り払った。特大の、金色の芋虫がうごっ!? と空を飛ぶ。 「あー! キーちゃんになんてことをー!!」 芋虫に名前付けているのかつまり飼っているのか芋虫をというかそれがなんだかわかっているのかわかっていてやっているのか。突っ込みどころが多すぎて、口達者な清雅を沈黙させたゴアイサツなご挨拶。李真朱の先制攻撃。 見事な放物線を描いて地に落ちた芋虫は、うご、うごうごと抗議するように全身で悶え、うごうごうごーと地を這い少女ににじり寄り、足下にたどり着いたとたんうごごごごごごごーっと猛然と少女を登り、その肩に落ち着く。 うごっうご。定位置なのか、真朱の肩に収まった芋虫は心なしか満足そうに身悶えた。 「動物ギャクタイ反対です。こんな小さな芋虫になんて非道をなさいますの。見損ないましたわ」 ねー? とか肩の芋虫に同意を求めやがる。ツッコミどころが多すぎる。多すぎてもはや無言になるのだが、とりあえず。 「芋虫としては、デカすぎだろうが!」 はじめの一歩。万里のツッコミも一歩からである。 「キーちゃんは特別ですわ。だって金色なんですものー」 金色だからキーちゃん。 「なんて安直な命名だ。というかナニ名付けて肩に乗せて可愛がってる。アホか」 「キーちゃんは蚕ですものー。飼いますわよ。良家の姫としては当然でございませんこと?」 出会い頭の口の悪さが嘘のような女言葉は実は真朱が超キレてる証でもある。 李真朱は清雅の顔を確認してからというもの、間断なくキレっぱなしだった。額の青筋が一瞬たりとも消えてない。 「お前の中の良家の姫はどういう位置づけなんだ気色悪い!」 「あらヤダ。機織りは良家の姫君の必須技能じゃございませんか。出来る姫は自らの手で蚕から育てますのよ」 事実、その通り。 蚕を育て糸をとり、その糸を機で織る。農家のおかみさんの必須技能でもあるがそれは生活がかかっているので話は別だ。いつぞやの正妃が、蚕から育てた糸を織った絹布で夫と子供のために衣を仕立てたのが始まりで、機織りの出来る姫君はその妃のように良妻賢母になると言われている―――ので、機織りは良家の娘の手習いの中でも別格だ。機織りだけならともかく、蚕から育てるとなるとさらに上をいく。もともと蚕は本職でも育て難いうえに、虫も殺せぬ姫君たちは蚕の芋虫っぷりでバタバタと脱落する。 が。 「それとこれとは話が別だ! お前のは正真正銘ただの悪趣味だろうが!」 「まぁご挨拶ですことー。折角ワタクシが断腸の思いでかわいいキーちゃんを手放して、あなたに富と栄誉を授けようとしましたのに!」 ぷぷんと抗議する真朱に、清雅は頭痛を覚えて額を押さえる。 「少し、黙ってろ。俺がツッコミ終えるまで一旦、黙れ」 「仕方ありませんわね」 やれやれと、嫌みったらしく肩を竦めやがる。ほんっとうにいい度胸だ気に食わない。 すぅと息を吸う。 「特大の芋虫に名前付けて可愛がってあまつさえ飼うな! しかも金色の蚕ときた! そいつは生糸の繭を作る蚕じゃなくて蟲毒の一種で完全無欠の"呪い"だろうがっ! しかも承知の上で出会って半刻足らずの他人に押しつけようとしやがるか普通っ!!??」 少女はそれこそ冗談のように"虫も殺さぬような顔"で可愛らしくこてんと首を傾げた。 「でも富と栄誉が手に入りますわよ。ちょっと代償に、最終的には生きたまま宿主のハラワタ食べちゃうだけでキーちゃんたらイイコですのに最悪の呪いだなんて言われて可哀想ですわ。ちゃんと儲かるし出世しますのにー。ほらご覧なさいなワタクシのこの室。貢ぎ物ザックザクで溢れ返ってるじゃございませんか」 虫を使った毒とも呪いとも言われる蟲毒である金蚕は、取り憑かれたが最後、富と名誉をもたらすが、宿主を無惨に喰い殺す。ハラワタが大好物。ああ確かに断腸だ。 叩いても潰しても焼いても沈めても殺せない離れない。喰い殺されたくなくば、得た富以上の宝物と一緒に他人に押しつけるしかないと言われている。 そこで冒頭の李真朱の言動「こちら、お近づきの印に差し上げますわ」の悪辣なこと―――近称の指示代名詞で対象をぼかしつつ手のひらの金蚕と背後の宝物を諸とも差し出した。まかり間違って受け取れば、清雅が次の宿主決定だった。まかり間違っても受け取りはしないが。 肩に芋虫を乗っけたまま可憐に微笑む少女。絵的におもしろい。 清雅が罠を見抜いて受け取らないのは百も承知であっただろうが、それをニヤニヤと眺めて楽しんでいる。 じわじわ、じわじわとこぼれ落ちる遅効性の毒のような悪意。 「―――癖になりそうだな」 清雅は大概だった。 「ホホホ。あなたがワタクシの側について回るというのなら、ワタクシとて四六時中仕掛け放題ということを肝に銘じなさい。ワタクシ、言を違えることはございませんのよ」 言わずもがな、真朱も大概だ。 いたぶってさしあげるわ。 彼女は告げた。殺しても飽き足らんと。 「――ふん。現在進行形で絶賛呪われている身でナニをホザいても負け犬の遠吠えにもならんな。もっとちゃんとイイ声で哭いてみろよ」 「あらワタクシの喘ぎ声が聴きたくて? ならば上手に鳴かせてごらんなさい。ヘ・タ・ク・ソ」 ……"誰か"に似ているというだけでここまでの悪意減らず口。いい加減、本気で清雅は己のソックリさんに興味を深める。 同じ顔が存在するというのは多少ならずとも不愉快で、まぁ影武者として使い潰してやらんこともないと考えていたが、損得をおいても単純に知りたくなってきた。 「遠からず断末魔が聞けるだろうがな」 そんなことはおくびにも出さずせせら笑う。 「キーちゃんのことですか? この子はちょっとしたお小遣い稼ぎの間に可愛がっていただけですわ。やろうと思えばいつだって解呪出来ますもの」 ねー? と再び肩の"呪い"に相づちを求めてやがる。キーちゃんはうっごうっご身を捩って少女に抗議している。 変な光景。 「金蚕を拾うような間抜けに何が出来る」 「拾ってなんかいませんわ。キーちゃんは、ワタクシを呪うために作られた術ですもの。ワタクシが最初」 蟲毒は呪いであり毒である。その作成方法は、蟲付きの家の秘伝だ。忌み嫌われるため、暗部に紛れその技を細々と伝えるという。 「放蟲の家系の者が後宮にいるのか」 「物騒ですわよねー。王様自ら藁人形作っちゃってもぴんぴんしてますし、"呪い"は神域貴陽でも規制できない人を人たらしめる悪意。八仙の加護も呪いを制することはかなわないのですわねー」 最初の一人以降の金蚕は、金に扮して宿主を捜す。欲に目がくらみそれを懐に納めた愚か者とその周囲を転々と無作為に呪っていく。災害といっても過言ではない。 一人目以降の金蚕は、災害なのだ。次から次へと喰い殺す。だからこそ、忌み嫌われ―――恐れられる。 「金蚕を王都に放すつもりだったら、優しい俺がお前ごと葬ってやるから感謝しろよ」 これは、本気だった。 突如として勃発した蛇姫との嫌がらせ合戦も当然勝利する気しかなかったが、それにあえて乗ったのは、この災害を放置するわけにはいかなかったのが大きい。 「まぁお優しいこと……本当に。かなり意外……ですけどワタクシとて、金蚕なんてあまり知られていない呪いを貴陽に放すなんてはた迷惑なこといたしませんわ。キーちゃんを一目で"呪"だと見抜けるほど陰険な人間、そうはいませんもの」 以前忠告をくれた邵可と、一発で見抜いた己とついでに清雅も相当陰険だと小気味よく真朱は断じた。 「解呪ね。呪もろとも自殺でもするのか? 出来るもんならやってみろ。悲劇の姫君として語り伝えてやるぜ」 「心の底からよけいなお世話ですわ。自殺なんてするわけないでしょう――決して」 酷く癇に障ったらしい。少女の死んだ魚の目に鋭い光が宿る。 無力ななりをして実際非力で吹けば飛ぶようなか細さで視力の乏しい目で、それでもその光の灯った両眼は、戦う者の目だ。 「お前は呪い返しができるような術者なのか?」 「いいえ。ですが、専門ですから。解呪くらいチョチョイのちょいです」 「他人に押しつける。宿主ごと葬り去る。他に手段などない。術者でもないというのに専門を騙るとは恐れ入るな」 「もっと恐縮なさい。基本的に侍官のフリして頭が高いのですわ。覆面する気本当にございますの? このヘ・タ・ク・ソ」 この――寝台で囁くかのようなヘタクソ。癪に障らぬ男はいない。当然真朱は全部わかってやっている。清雅はイラっとした。 「ワタクシの言う"専門家"とは術者を指してのことではございません。例えるなら小説家と評論家のようなもの。ことによっては本人よりも詳しいのですわ。ワタクシは―――研究者。ことによっては呪術者よりもその"呪"を知り得る」 「大言壮語にしか聞こえん――その言葉、違えぬと言うのなら今この場で、為してみるがいい」 挑発。 「よろしい。その眼球、落とさぬようお気をつけあそばせ」 受けて立つ。 真朱は肩の金蚕を鷲掴む。名を授けありえないことに可愛がっていたことなど知らぬとばかりの、透徹した研究者の怜悧なまなざしで見据える。ぅごっと硬直し、怯える芋虫。 少女は微笑むように赤い唇を綻ばせる。 「悪凶を追う十二獣が一、窮奇・騰根はともに蟲を喰らう。疾く去らず遅れるならば――お前の体を引き裂いて、お前の骨を打ち砕き、お前の肉を引き破り、お前の臓腑を引き抜かん」 それは鈴を転がす少女の甘い声。 逃げなさいと囁きながら、逃がすものかと金蚕を握りしめて放さない左手。握力以外の何かで拘束して、芋虫は身じろぐこともかなわない。 そして。 食べた。 もぐもぐ。 「………」 「………………」 もぐもぐもぐもぐ。もぐもぐ。 「……………………」 「………………………………」 もぐもぐもぐ。もぐ。もぐもぐ。 「……………………」 「………………………………」 ごっくん。 「……………………………」 「………………………………………」 静止。 「金蚕、恐るるに足らず」 清雅の腰が砕けた。 「特大の芋虫を、踊り喰い――!?」 見た目だけならああ見た目だけだが見た目だけなら、虫も殺さぬような顔をして、特大の芋虫を踊り喰い。しかも呪いで毒である。喰った。喰いやがった。しっかりがっつり咀嚼して燕下してのけた。 信じられない。 信じがたいことに、ツラッとしてやがる。 「お忘れのようですけど、金蚕は清貧を尊ぶ清廉潔白の士には無害でしてよ。家族や知人に迷惑をかけることをよしとせず、喰い殺される前に自ら金蚕を呷った進士の逸話が残っているではありませんか」 懐から華奢な羽扇を取り出して、優雅に仰ぐ。 「お前は自分が清貧を尊ぶ清廉潔白だと思ってんのかっ!?」 「研究者として言わせてもらえば、それこそが 艶やかに微笑む蟲喰った姫君。 「呪に打ち勝つ。叩いても潰しても焼いても沈めても殺せない離れないものに"克つ"にはどうすればよいのでしょう? かの先生の逸話が示すように、食べちゃえばよいのですわ。 「だが金蚕は猛毒だろう!?」 「体内はワタクシの絶対領域。ワタクシの領分ですわ。肉の器を結界となし、内界の神はワタクシ自身。外界より数段融通が利くのですわ」 コレラ菌を自飲してコレラにかからなかった公衆衛生の父、ペッテンコーファー教授のごとく。 「ワタクシは、今、生きている」 真朱はぱちりと羽扇を清雅に突きつける。 「呪術とは因果の逆転。雨乞いをするから雨が降るのではなく、雨が降ったから雨乞いが成立するのです。結果により成立するといえるのですわ。原因があって結果があるのが常。それが逆転しているからこそ呪術は超常現象と呼ばれるのです。ワタクシは生きている――この結果を前に、今から呪として破れた金蚕の猛毒がワタクシに何が出来る。結果が先にある。ですから、金蚕は呪も毒もワタクシに破れたのですわ」 一瞬でいい。 燕下したその瞬間、呼吸をしていれば真朱の勝利だった。 もはや揺るがない。 「ワタクシの専門は文化人類学。文化と名の付くものであれば、道具から食から二十一世紀にもなって大真面目に呪術まで、片っ端から追求しますの」 二十一世紀で生きていくのにこれっぽっちも役に立たないところがなんとも贅沢で気に入っていた。 本当は、院に、行きたかった。 「我が学問の完全勝利ですわ」 ついに清雅が爆笑した。 (どうでもいいけど一話まるまる女言葉は快挙だと思う。次で原作合流) |