ひんやりとした柔らかい何かが額にそっと触れて、秀麗は浮上した。
 瞼を持ち上げる。

「あぁ良かった秀麗さま! お加減は如何ですか? 眩暈はしませんか?」

 鼻と鼻が引っ付きそうなくらい間近に、綺麗な化粧を施された白い面。
「―――えっ、し、真朱!? なんでっ!? あれ、わたしどうしたのかしら。いつのまに眠っちゃったのっ!?」
 頬を押さえ首をかしげながら身を起こした秀麗に、「寝てたんじゃなくて失神してたんですよ」と真実を告げた者はいない。
 小柄な背中が威容を放っている。




 喋ッタラ華麗ニ捌イテ天日干シニシテぐつぐつ煮込ム―――と。




 謎の料理の具材に我こそは! と名乗りを上げる者は皆無。
「よかった秀麗殿。心配したんだよ」
「えぇ!? 楸瑛様までいつの間に!?」
「うちの愚弟がほんっっっっっとうに迷惑をかけたね………」
「………………………あー」
 思い出してきた。
 ―――思い出して、きたのだが。
「あれ? どこまでが現でドコからが夢だったのかしら? もうすっごく怖い夢見たのよ!! アレは夢よね? 一つだけでも気味が悪かった父様の顔仮面が二つに増えてそれが貴陽戦隊ショーカメンとかなんとか………やだ、思い出してみたら、悪夢って言うより笑っちゃうわ」
 珍しくも穏やかな笑顔を浮かべている真朱以外の全員が、バババッと目を逸らした。
 秀麗は口元の笑みを引き攣らせ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「…………夢、よねっ!?」
「オホホいやですわ秀麗さまったら。そんな奇ッ怪な夢をご覧になるなんて!」

 テメーが言うな

 そんな沈黙の絶叫などドコ吹く風とばかりに真朱はニコニコ笑って現実を奇ッ怪な夢にしてのけた。
「そーよね!! 夢に決まってるわよね!!」
「オホホホホ。夢に決まっているではあーりませんか秀麗さま! オホホホホホホホホホ」
 軽やかに笑う少女の胸元はよく見れば歪に膨らんでいる。隠しモノにはうってつけ、秘密の花園
 だれも貴陽戦隊ショーカメンの実在を証明できない。そこを暴くには、失うものが大きすぎる―――っ。
 誰もが視線で平泳ぎクロールバタフライ犬掻きで宙を掻いている間に、自己完結した秀麗は小首をかしげる。
「それにしても、どうして藍将軍と真朱が此処に……?」
 いや楸瑛はわからぬでもない。実の弟の不始末を収めにやってきたのだろう―――やや疲れた笑顔を浮かべている。それが死に至る寸前まで腹筋を酷使した結果だとは、秀麗はソレコソ夢にも思わない。
 もっともな問いに、一瞬明後日の方向を見やった真朱は、次の瞬間おもむろに、ややヨレていた楸瑛の腕に抱きついた。むぎゅっと。
 自然と見上げて上目遣い。可愛らしく頬を膨らませて所有権を主張するかのように全身で抱きつき、おまけに目配せ。
「…………」
「……………」
「………………………………ス、すまなかったね真朱殿。この埋め合わせは、必ずするから」
 血を吐くような思いを味わいながら楸瑛は少女の望む言葉を口にした。
「―――んもぅ、絶対に約束ですわよ?」
 楸瑛の腕にしがみついたまま顔だけをツンと逸らしてみせる。





 せっかくのデートの最中に邪魔が入ってご機嫌斜めな彼女、にしか見えない恐怖。





 ――――つい先刻の悪夢を覚えていなければの話。つまり秀麗の視界限定である。
 故に、その猿芝居に秀麗のみが泡を食った。
「や、ヤダ! もう龍蓮なんてことしでかしてんのよ!! お忙しいお兄様の手を煩わすなんて愚弟以下よ以下! お邪魔虫じゃない!! 虫!」
「………………………」
「ちょっと!! ちゃんと謝ったの!?」
「………………………」
 龍蓮は沈黙を守っている。
「いえ、いいんですのよ秀麗さま。おかげでこうして、秀麗さまと影月くんにお会い出来たワケですし。それもこれも龍蓮のおかげなんですから感謝こそすれ謝られることなんてなぁんにもありませんわ」
 オホオホホ。
 李真朱。
 その面の皮の厚さは、餌の要らない猫、隙のない化粧も相まって―――どこまでもどこまでもどーこーまーでーもー、ブ厚い。
「真朱―――あなた、なんてなんて心が広いの!!」
「まぁ秀麗さま、褒めていただきましても何にも出ませんわよゥオッホッホ」
 嘘はついていない。真朱はおもむろに楸瑛に抱きついただけだ。言質? 何ソレ。
「…………………真朱殿」
 まぁ本人も物凄く必死なのだろうが。あまりにも悪辣といえば悪辣な真朱の詭弁に頭痛を覚えた楸瑛に言葉少なに窘められ、少女は得意絶頂のエセお嬢笑いを引っ込めた。




 彼女は本当に、人に、信じたいものだけを信じさせるのが巧い。そう、あまりにも。




「――――そうですわね、藍将軍。そろそろお暇いたしましょうか。親分衆の皆様も突然訪問してご迷惑おかけしましたわ」
 いい加減、外見完璧な美少女にしか見えない少女の丁寧な女言葉が怖い。つかそろそろキモイ。
「いやさぁ……もう、ホント、なんか色々、もうどーでもいいんだけどねぇ………」
 疲れ果てていても艶やかな溜息をついた胡蝶は親分衆の心情を代弁した。
「あっと。いけないいけない忘れるところでしたわ!」
 どこかわざとらしく手を打った真朱は、おもむろに秀麗に背を向けると、その懐、秘密の花園むしろ谷間からもそっとアレを取り出した。
コレ、なんですけれど」





 満面笑顔仮面。





「龍蓮と、コレを賭けて勝負してらしたんですって?」
 そっちじゃない
 そっちじゃなくて少し困り顔―――っ!! そう、叫べたら幸せだろうねぇと胡蝶は思った。ちゃっかり秀麗に背を向けて真朱が作った笑顔がちょっとマジヤバイ。凄い顔芸だ。
「龍蓮に勝ったのは胡蝶? ということは今、コレは胡蝶のアガリということでよろしくて?」
「まぁ……とどのつまりは成り行きで、紅師には悪いけどソレが心底欲しくてそこのボーヤと戦ったわけじゃないけどねぇ」
「でも今は勝負に勝って胡蝶のモノってことで間違いないのね。じゃ、胡蝶に相談。ワタクシ、こ、この仮面、す、スッゴク、き、ききききき気に入ってしししししまいましたのっ!」 
 後半、物凄くドモった。
「だから! 是非にとも! ワタクシに! コレ、売ってくださらないっ!? 言い値を支払いますわ!!」
 鬼気迫る形相で迫られた胡蝶は見るに耐えない血走った眼から視線を逸らした。
「何言ってんだい、言い値も何も………もともとわたしが勝ったらそれは秀麗ちゃんに渡すつもりだったんだし」
「えっ!? いいいいいいいらないわ姐さんっ!!!」
 脊髄反射で秀麗は絶叫した。

 娘よ

「だめだめ胡蝶! 親しき仲にも礼儀ありですわ。ちゃんと値を支払います。そうですね、言い値がないのなら、そこの全ての元凶が巻き起こした損害額、でいかがです?」
 龍蓮を後ろ手で指差して真朱は損害の丸々補填を買って出る。
「………………………いいよ。持ってきな。ボーヤ。この子なら問題ないだろ。悪用はしないだろ………う、し?」


 いや駄目かもしんない。
 李真朱はその身を持ってして、どう悪用すればいいのかサッパリわからないブツの奇天烈な悪用を文字通り体現した


「…………………えーと」
「ありがとう胡蝶!!」
 必殺、お礼の先払い
「……あぁもういいよ、いいよいいよ。持ってきな真朱!」
「おしゃー!! ミッションコンプリートッ!!」
 真朱、懇親のガッツポーズ。
 そして舞うようにくるりと振り返り、スッコーンと秀麗の顎を落とすことに成功する。
「でもそっかー。あんまりにも邵可さまにそっくりですから、秀麗さまに貢がせていただこうかと思ったんですけど」
 いらないと心底絶叫されてしまった。
「し、しししししししししし真朱っ」
「秀麗さまがいらないとおっしゃるのなら、此処はやはり邵可さまに貢がせていただきますね(/プレゼントフォーユー)♪」

 収まるべきところに収める気満々の真朱は超笑顔で満面笑顔を掲げて見せた。

 奪還を厳命されたのは少し困り顔のみだもん。
 満面笑顔は落としたことにすら気づかなかったのか、真朱は何にも言われてないし。怒り心頭だった黎深が広げて見せた風呂敷の中、少し困り顔に加え、満面笑顔が不在だったことに目ざとく気づいた真朱は、黎深が仮面を自慢しに入った黄鳳珠の元へと一筆啓上。案の定、黎深は鳳珠の元で満面笑顔を紛失しておりまんまとソレを手に入れたのだ。
「それにつけても………ほんっとうにいい出来栄えですわねぇ、この仮面」
「真朱ーーーーーーーーーーーっっ!!??」
「あら、いかがいたしました? 秀麗さま」






「ちょっとまって、ねぇ待って待ってよぉぉぉ!! 父様の顔仮面、少し困ってなかったっ!? 少し困ってたわよねぇ!? なんで満面笑顔になってるのぉぉぉぉぉっっっっ!!?? イヤァァァァァァァいーつーのーまーにーっ!!??」






晴れた日には仮面だって笑ったりするのですわ、きっと」
 しゃーしゃーと堂々と仮面をすり替えて(/、、、、、)、少し困り顔は黎深に命令どおり返却。
「もう夜よ! 夜だからっ!! ねぇ仮面って笑うの!?」
 満面笑顔は、邵可に渡す。渡すったら渡す。叱ってもらおう。
 うん。悪の栄えたためしなし。
 正義の味方を騙ったのだから、最後の最後までロールプレイ。

「ふふはははふははははははー!! これぞカンゼンチョーアク正義の味方っ!! 秀麗さま細かいこと気にしなーい!!」











 それはそれは、完全超悪な笑顔でした、とさ。










(てゆーか完全犯罪? 沈黙は金。あぁ真夏のテンションって我ながらこえぇ)




モドル ▽   △ ツギ





inserted by FC2 system