国試最終日に、秀麗はとある噂を耳にした。
 まさかまさかと耳を疑い、勝機を窺った己の正気を疑って、危険思考を遮断した。

 真正面から訊ねたところで煙に巻かれるに決まっている。
 だけど遠まわしに訊ねたら、彼女はきっと答えるだろう。

 今日は青い衣の少女。楸瑛の見立てだと聞いた―――よく似合っている。普段は少女らしい華やかな桃や桜の衣を清楚可憐に着こなしているが、今日は豪華絢爛嫣然と堂々たる風情だ。
 服装を手放しで褒めたら真朱は遠い目をして"ワタクシの趣味ではございません"などとぼやいていた。つまり本日は見立てた楸瑛の趣味が全開。
 いつもの姿も素敵よね、と続けたら"ソレもワタクシの趣味じゃありませーん"と秀麗から目を逸らした。彼女が自分の為に着飾るということをしないというなら、普段の、薄い色合いは控えめだけど初々しく華やかで、楚々とした中にパッと目を引く芯の通った、可愛らしいけど甘ったるくない装いは―――よくよく考えてみれば彼女の趣味性格と、その服装は全くといっていいほど互換性が無い―――つまり誰の趣味だろう―――秀麗は思考を飛ばした。

 遠まわしに訊ねたところで煙に巻かれるに決まっている。
 だけど真正面から訊ねたら、彼女はきっと答えるのだろう。

 楸瑛と真朱も交えての夕餉となるはずだった。
 買い物を買って出た龍蓮が肉食いたいといっていたのに藁しべ一本持って帰ってきた予想外もありいつもの草々しい鍋となったがコレはまぁ………まぁショーガナイ。 

 秀麗は、隣で準備を手伝い、小鉢や小皿を用意している少女に視線を向けた。
 視線に気づいた真朱が小首をかしげる。
「―――なにか?」
 秀麗はニッコリと微笑んだ。
「真朱、聞いて。わたしの野望」
「いいですねぇ野望。大好きな言葉です野望」
 そんな彼女の嫌いな言葉は、正義、清貧、無償の愛だと聞く。公言しちゃうから割と凄い。
「口に出さないと負けちゃいそうなの。だから、貴女が聞き届けてね」
「ドンと来いです」



「いつか、貴女の一番の女友達になるわ、わたし」



 微笑んだまま、真朱は白目を剥いてぶっ倒れた






 ―――目を開けるといつか見たことのある天井があった。
「………一回見たことある天井だ、と」
 お約束を微妙にアレンジして、よっこらせと半身を起こす。ちょっとクラリときて俯く。
「真朱!?」
「真朱さんっ!?」
「はーいおはよーございます……」
 もぞもぞと布団から這い出る。
「きゅ、急に倒れるから、ビックリしたのよっ!?」
 小声で叫ぶ器用な秀麗に、俺もビックリしたよとは言えず曖昧に笑む。
「あー……貧血?」
「真朱さん今日ちゃんとご飯食べましたか!? 貧血と、過労ですっ!」
「あっはっは………食べてない。でも過労じゃなくて心労じゃねーかなー? あっはっはー」
 影月の診断に、真朱は乾いた笑い声を漏らして歯噛みする。
 一食二食抜いて全力疾走したくらいでぶっ倒れるとはありえない。朝礼でぶっ倒れる女の子みたいだ。
 だが、叩き起こされてから襲い掛かった怒涛の心労と、やりたくもなかった正義の味方のロールプレイはぶっ倒れるに足りるストレスだったと信じる。
 そんでもって秀麗の爆弾発言にトドメを刺された形だ。
「駄目じゃない! 朝ごはんはちゃんと食べなきゃ!」
「起きたら夕方だったんでーす」
「つまりお昼も食べてないのねッ!?」
「寝てましたぁ」
 自堕落な休日がチョンバレ。あぁ、秀麗と影月の視線が痛い。
「………ご飯食べられる?」
「お腹すきました」
「お鍋で作った雑炊、持ってくるわっ!!」
 食欲があるなら大丈夫だろうと、秀麗は真朱の不規則な生活習慣をお説教するのを後回しにして厨房へ走った。
 ピンッと背筋の伸びた小さな背中をぼーっと見送る。腰がチョット痛い。倒れたときに打ったのだろうか。


「………………真朱さん」


 秀麗の足音が充分に遠ざかったのを見計らって、影月がいつになく低い声で真朱の名を呼んだ。
 その声音に予感を覚え、真朱は咄嗟に胸元を探る。
 ない………ない。

 ―――ぬかった。

 盛大に舌打ちしたいのを堪え、仮面めいた笑顔を咄嗟に浮かべる。
「なにかな? 影月君」
「これは、どういうことですか?」
 影月が眼前に掲げたのは、小さな薬包だ。
 やっぱりソレか。
「んー……ヲトメの懐から常備薬を抜き取るのってちょっと失礼じゃなぁい? そこ秘密の花園だぞ。メッ」
「〜〜〜ちゃんと秀麗さんに取ってもらいましたっ!! そんなことより、この薬は、どういうことですかっ!? いつもの薬じゃないじゃないですかっ!!」
「―――寒がり真朱さんのいつもの薬です。ちょっと配合を変えただけー」
「でもこの配合はっ、」
「あーストップ。やめてやめて追求しないで。ついでに死亡フラグっぽいの立てないでお願い。この会話の流れ不治の病隠してたクサーイ。ほんっと勘弁してください」
「意味が解かりません! ちゃんと説明してくださいっ!!」
 影月だけはわかってしまうだろうと予測していたから、影月にだけは見せたくなかった薬なのに。


「―――………、やだ」


 逡巡して。
 しかし躊躇しただけでキッパリと。
「言いたくない」
「真朱さんっ!!」
「言いたくなーい。ホンッキで言いたくなぁい! 俺のあってなきが如し名誉に関わるんでマジで言いたくありません! 言えないんじゃなくて言いたくないんです! その配合は、そーゆーことですっ、そーゆーことにしときたいんですっ! 影月君ならわかっちゃうよなぁ言ったも同然じゃねーかうおおぉぉぉぉ………」
 顔が向けられないのか、真朱はせっかくの髪飾りと真珠が乱れるのも構わずに布団を被って頭を隠した。尻隠さず。
 当然として、医者である影月は悟った。

 何故、とは問えない。言いたくないときっぱり言われた。

 医師としてならもうちょっと食い下がれる。だが、影月の問いは医者としてのものではない―――口惜しいことに、個人の疑問だ。
「秀麗さまが席を外した隙を見て問うてくれた配慮に海より深く感謝する、が。言いたくないんだ影月君。正確には、まかり間違っても言葉にしたくないんだコレが―――言葉には力が宿る、というのは古今東西世界を問わない汎世界的な思想なんだよ」
 内緒話をするように、少女は低く囁いた。
「…………………身体は―――辛くないですか?」
 これだけは答えて欲しいと優しい願いを込めて影月が呟く。
「春も近い。日に日にあったかくなってるじゃないか。大丈夫だよ」
 それだけは答えられると、少女は頼もしく笑った。
 笑顔に、影月は少しだけ、安堵した。

「―――心は、辛くないんですか?」

 真朱は一瞬俯いて、鋭く息を逃す。
 しかし、再び顔を上げたとき、少女は先ほどの笑みと寸分たがわぬ仮面を被っていた。
 曇りなく、自信に溢れ、揺るぎなく、美しく、強く。
 満面の笑顔で、





「すごく痛い」





 言顔不一致も甚だしく、真朱は医師にも癒せぬ痛みを訴えた。
 影月は、彼女の言葉と表情の―――信じたいほうを信じるしか、なかった。







 鍋のイイ出汁で作られた雑炊をぺロッと平らげ、スリスリ虫対策であるいつもの薬を飲み干して、看病のため付き添おうとした秀麗と影月の優しさを断固として固辞して真朱は布団の中でぺりぺり蜜柑の皮を剥いてモソモソ食っていた。
 己の鼓動に耳を澄ます。
 健気にして憎っき心臓は、規則正しく脈を打ち、血液を全身にくまなく届ける。
 薬の力を借りて、指先と爪先にまで血と熱が行き届きポカポカしてきたのを確認する。
 暖かい布団への未練を断つように、行儀悪く掛け布団を蹴り上げる。
 寝台から飛び降りて、意識して背筋をただし、起立して一時停止―――。
「眩暈、ナッシング。貧血オーケー。身体ぽっかぽか。上着よーし。うん」
 若葉マークの車の発進のように、一つ一つを指差し確認。

 大丈夫。

「どっこいせ」
 年寄り臭いかけ声で気合を補充し、真朱は窓枠に手をかけ足をかけ、邵可邸の客室から脱走した。


 サクリと根雪を踏みしめる。霜かもしれない。
「ヤバ。予想以上に寒い」
 妙な癖が出る前に、ことを済ませたい。

 ―――呼べば、来るだろう。
 それがどんなに小声でも、すぐに。
 だからこそ、真朱は呼ばずに探し当てたかった。
 縁だとか、偶然だとか、もうちょっと頑張って運命だとか……そういった目には見えないナニかをどうしても信じたいのだろうと自己分析。
 自分たちは最低最悪の相性を誇るが、ソレは別に自分たちの意思じゃない。生まれ変わって人生やり直さないとどーしよーもないんだろうというめぐり合わせに違いはないが、相思相愛なのも間違いはない、はず。

 ただ―――優しくしようとしてウッカリ傷つけ、騙されてあげたいのに、バッチリ気づいてしまうだけで。おおやっぱり相性最悪。
 呼べば、来るだろう。すぐに。だからこそ、真朱は探し当てたくて、呼べば聞こえるところにいるのなら――どこかで呼ばれるのを待っていてくれたのならば。



「第六勘も電波受信アンテナももってなくても、見つからない道理がねぇよ―――なぁ? 龍蓮」



 大好きな笛も吹かず、冬の桜の根元にたたずんでいた藍龍蓮が、ゆっくりと振り返った。

「………身体は」
「ダイジョブ。だがクソ寒い。から手短に済まそうぜお互い」
 真朱は白い息を紫煙のように細く長く吐いた。
「俺に言いてぇことあんだろ龍蓮。先手譲るぜ」
 冷え切った鉄笛を、少しだけ強く握りなおしたように見えた。
「―――……ああいうこと(/、、、、、、)は、みだりに口にすべきではない」
「いやもう怒られると思ってたけど開き直って言うぞコラ誰のせいだ」
 苦虫噛み潰しています現在進行形という顔で真朱は眉間に皺を刻んだ。
 気づいて、必死に皺を伸ばす。
「違うか。ちがうな。九分九厘ウチの養い親のせいじゃねーかスマン濡れ衣。ホントすまん」
 公平であろうと努める少女は、一瞬にして責任構成分を分析試算して赤っ恥かいた茶番の原因が養い親でしかない現実を見詰めなおした。恐ろしいほどにやるせない結論だ。
 公平な判断のはずだ。いつまでたっても秀麗に自己紹介出来ない黎深の名と奇行を伏せねばならなかったからの正義の味方なわけで、仮面拾ってくれやがった龍蓮の責任なんぞ一厘あるかないかってトコだろう実際。
「この寒い中、そなたは口止めに来たのか」
「その通りだ。龍蓮はいい子だから黙っててくれるよなぁ?」
 今度は龍蓮が眉間に皺を刻んだ。
「そのようなことをしなくても、私は言わない」
「わかってるけど、念のためだ」
「言わなくても、心の友其の一は少し困り顔仮面の正体に気づいている」
「当たり前だろンなこと。秀麗さまは頭良いし、何より優しいから、あそこまでして言いたくないなら言わなくていいって気づかない振りしてくれてんの。仮面すり替えたのだって黙認してくれたし。いつか言えるようにしてやるわってちょーっと逆襲(/せんげん)されたけどなァ。それで赦されちまったよ。なっさけねぇったらねーわ」
 今度はもわっと塊のような白い溜息をついて、真朱は脱力する。
「それでも、私は言わない」
「知ってるけど、口止めするに越したことはねぇよ」
 まかり間違っても言うな。
 いやもう言わないでお願い。
 雑談とかでポロッとでも零してくれたら末代まで呪うぞコラ。
「………愚兄其の四と心の友其の二の口止めは済ませたのか?」
「それこそ必要ねぇし」
 楸瑛と影月は問題ない。親分衆も胡蝶も問題ない。秀麗もだ。
 皆、信じてない。


「あんな戯言信じるのは、お前ぐらいだろ」


 小馬鹿にしたように鼻を鳴らして、真朱は一歩龍蓮に近づいた。
「戯言には―――違いない」
「龍蓮にまで言われるとさすがにヘコむ……」
「仮に、信じた者が、"助けてショーカメン!!"と呼べば?」
「駆けつけよう。ソレくらいの覚悟と代償は支払っての戯言だ」
 呼べば、行くよ。
 君が呼ぶのなら。
「………正体がばれたら泡沫のように消え失せると言った」
「実際消え失せる予定。バレたら李真朱は社会的に抹殺………むしろ黙殺されるっつーの。貴陽戦隊ショーカメンだぞオイ自分で言うがありえねぇ」
「とんだ戯言だ」
「全くだ」





「アレほど戯けていたというのに、嘘だけは、一つもない」





「…………まぁねー」
 とんだ、戯言だった。
「其方は、嘘をつかない」
「そーなのよ。コレが意外に」
 到底信じ難い演出、口調、真逆の表情で戯けるが、裏を返せばそれだけで、彼女は病的なまでに自分の言葉に責任を持つ有言実行の人だ。
「だから、呼ぶなよな。面倒くさいし実際聞こえるかどうかわかんないんだから」
 ただ一人アレを信じた藍龍蓮。君にだけ口止めを施そう。てゆーか呼び出し禁止。厳禁。
 君にだけ、ショーカメンを呼ぶ権利が発生した。ショーカメンの実在を信じていない者が呼んだところで答える必要は無い。翻して、信じられたら出動しなきゃなんないんだよね。勘弁してください。
 正義の味方で頻繁に出動できるほど、李真朱は暇じゃないのだ。そこんとこホントよろしく。

 真朱は細い腕を伸ばし、龍蓮の首に回した。
 身長差から無茶な背伸びをした少女の腰に龍蓮は慌てて手を回す。奇しくも(?)真正面から抱き合う形となる。

「………この珍妙な体勢の意味は?」
「口止め料支払うからちょっと黙ってー」

 黙らなければ良かった―――藍龍蓮は生まれて初めて後悔めいた思いを残すことになる。






 冷え切った唇と唇が、触れた。






「…………なるほど物理的に口止め。やや嬉しくも複雑だぞマタタビの君」
 やや嬉しいのに心が痛む。なぜだ。
「嬉しいのは俺が一見美少女だから。複雑なのは実は野郎とのちゅーだから」
 的確な分析である。
 ニヤリ、と少女は極悪な表情で口元引き攣らせて笑った。
「口止め料。俺が支払ったのは残り少ない貴重な男の矜持(/プライド)!! 龍蓮ならこの価値がわかると信じているぞ。俺は今マサに魂を売ったんだ。お願いするからあんまり安く買わないで。ヘコむから。超ヘコむから」
 唇を押さえ、龍蓮は真摯に頷いた。
「了解した。高く買おう」
 押し売りでしかないのに、龍蓮は頷いた。
「そいつぁ助かる。ホンットよろしく」
 パッと龍蓮の首ッ玉から両腕を離すと、真朱はヨレッと着地した。
「………ダメージが足に来ている………」
 グロッキーだ。
「寒い疲れた眠い用は済んだ俺戻る」
「マタタビの君はもっと余韻を楽しむべきかと」
「知・る・か。ンなもん本命に所望しろ」
 ケッと吐き捨て少女は毅然と胸を張り―――しかし足取りはヨレヨレと、蛇行しながらあてがわれた客室へ去っていく。
 ふと、龍蓮は思いついて振り向かない少女に声をかける。
「マタタビの君」
「………あんだよ」
 呼べば、振り返る。だからきっと、呼べば来てくれるのだろう。呼ぶなと釘を刺されたが。
「感想だ」
「聞きたくないっ!!」
「檸檬の味がした」



ホンットごめんっ―――!!



 何故か少女は龍蓮の忌憚なき感想に、ズッサァァァァと涙目全力で謝罪して、逃げた
 直前に食ってた蜜柑か。すわ蜜柑か!? 檸檬じゃないよ蜜柑だよ。蜜柑だから。蜜柑なのにっ!!
 
 おおおおおお己の都合で龍蓮の取り返しの付かないものを奪っちゃったカモーっ!!?? 遁走する少女の戦慄を尻目に、龍蓮は何事も無かったかのように笛を持ち上げた。
 気まぐれに、心赴くままに、笛を鳴らす。
 冷えた夜更けに(珍妙且つ迷惑な)笛の音は良く響く。
 胸に秘めた曲名はさながら"檸檬味のほにゃらら"。蜜柑だったのに檸檬だった摩訶不思議。
 ―――李真朱は曲者だ。
 あれだけ男らしく言動思考共に男そのものでありながら少女の身体を躊躇い無く利用する。
 結果。

 着々と悪女街道を驀進している

 そこんとこ無意識な彼女に、そろそろ誰か忠告か苦言を呈するべきなのだが、それは己の役割ではない。
 龍蓮が忠告すべき相手は、他にいる。
 笛を止める。





「ノゾキとは如何なものか?」





 藍龍蓮がいつもの無表情で問いかけた先。

 どえらいもの見た、という顔で、彩雲国国主が庭院の石像と化していた。






(男のプライド、プライスレス。てゆーかそろそろ"王様は見た"シリーズが出来そうな勢いじゃね?)





モドル ▽   △ ツギ






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