邵可さまが笑っている。
 邵可さまがちょっと笑っている。
 邵可さまがちょっと困っている。
 邵可さまがちょっと呆れている。
 邵可さまが―――以下略。



 どれも顔だけ。
 頭から下どころか頭すらない顔だけ。



「なななななななななに顔、かおかおかおかおかおかお顔っ!? 仮面っ!? 邵可さまーーーーっ!!??」
 戸籍上の伯父にあたる人物の満面笑顔に震える手で触れる。
 これで感触がブニとかいったら生皮決定確実に卒倒したと思われる。しかし紅く染色した綺麗な爪が表面を弾くと、カツっと硬い音が返った。安堵。
「ふふふどうだこの精巧な兄上の表情仮面!! そっくりだろうまるでここに兄上がいるみたいだろうふふはははは」
「怖いわぁっ!!」
 生半なことでは眉すら動かさない図太い精神を有する李真朱が涙目で絶叫した。
「私の兄上のどこが怖いというんだ。兄上は優しい」
「邵可さまーーーーっっ!! あなた弟甘やかしすぎですーーーーっっっ!!!」
 仮面に訴えても無駄に決まっているが、あまりにもそっくりかつ精巧なため思わず仮面に訴える。邵可さま邵可さま邵可さま助けて邵可さまっ。
 邵可さま(顔だけ)はちょっと微笑んだまま何も言ってくれなかった。当たり前。
「〜〜〜黎深さまあんた何やらかしてくれてんですかっ!?」
「練習用仮面だ。本物には遠く及ばぬが練習には十分だ。真朱被ってみろ」
「なんの罰ですかそれ!? いやだああぁぁっ!!」
「兄上の仮面をかぶることが罰とは何だこの馬鹿娘っ!! 歓喜に咽び泣くべきだろう!!」 
「いやーーーーーーっっ!! もうやだほんとヤダこの人やだーーーーーーーっっ!!!!」
 泣き叫んだ。
 ―――李真朱は外道な養父に一歩も引かない勇者である。仕事に限定すれば兄も出来るが、妹のほうは仕事以外に限定される。李兄妹を足して二で割れば対紅黎深用汎用兵器となりえるだろうというのが家人たちの言。しかし。
 李真朱と言えども黎深に振り回されることがある。
 兄一家にかかわって天井突き抜けた馬鹿となった養父には叶わないのだ。だって理屈が通じないんですよ!?
 黎深は義娘の絶叫を軽く聞き流して少し困り顔仮面を愛でる。
「フフ―――兄上あにうえ。あにうえがいっぱい
「ぎぃにゃーーーーーーーっっっ!!!」
 やべぇ。
 ヤバイヤバイヤバイ。マジでヤバイよこの人!! ヤバ過ぎるから!!
 ヤバイ人から目を逸らすと、逸らした先に微笑を携えた邵可の顔(だけ)が映った。もう何処を見ても地獄。
 王命なんて無視して帰ってこなけりゃヨカッタと心底思った。
 震える指先で精巧な細工の邵可仮面の裏を返すと、真朱の見知った工匠の銘が小さく刻まれていた。

「…………オイこれ」
「あぁ。最近名を知られてきたお前の愛人の一人に発注してみた。なかなかの出来だからな、紅家の専属細工師に取り立てやってもいいぞ」
「そりゃありがたいが………じゃねーよ。誰が俺の愛人だって? 人聞きの悪ぃことゆーなや」
 思わずノリツッコミ。人聞きが悪い。兄が聞いたら気絶するではないか―――卒倒しようと転倒しようと転ぶのが自分でなければ別段かまわんのだが。

 ―――真朱は貴族の姫らしく、見所のある若い職人の保護を買って出ている。まぁパトロンなのだがだからといって愛人はねーだろ。プラトニックだっつーの。

 李真朱の素顔とえげつないヤリ手である仕事中の顔をを知るものは笑顔を引き攣らせるが、対外的な評価として、真朱は真っ当に貴族のお姫様をしている。
 詩歌の造詣に深く、奥方に習った舞や技芸もそこそここなす。一部苦手分野が燦然と存在するものの、その他は秀でていないだけで総合的には過不足ない水準を死守している。師匠のおかげだ。
 いいトコのお姫さまの必須技能に加え、少女は職人の保護を自らの金で行なっている。その範囲は広く、細工師や陶芸家、染物師、絵師、果ては大工や庭師まで、その独断と偏見により気に入れば太っ腹に出資する。職人にとどまらず、学者や文士にも出資する。西洋で言えば貴婦人のサロンに相当すると気づいていても無視。

 階層社会において、富める者は富める者らしく金を使わねばならない。たとえ己の根性が庶民であろうとも、金持ちの消費はもはや義務だ。富裕層の個人消費は庶民の個人消費と桁が違う………違わなければ格差社会で経済なんて成り立たない。間尺に合わないだとか贅沢は敵だとか今日のご飯に困っている人もいるのにワタシだけこんなに食べるのきっとよくないよ不平等だーなんて甘ったれたこと言ってはならないのだ。贅沢は義務だ。癇に障ろうと障られようと高笑いして湯水のように金を使ってこそ金持ちの正しく真っ当な姿であり経済っちゅーのは金を動かして回して回してなんぼのものだ。ただでさえ沢山持っているものを溜め込んで出し惜しみする――持ってるのにケチる、それこそが金持ちの害悪である。とにかく使え。どんどん使え。仕事がないから食べていけないというなら仕事を与える、制度でなく、個人でそれが出来るのが金持ちだ。使わなきゃなんないからとにかく使う。機会を見つけてはとにかく使うように親は超絶金持ち自身も金持ちという李真朱は心がけており、芸術はパンに従うという欧州の諺に則り、文化の振興と保護、義務である個人消費を兼ねる金の使い道を好んでいる。援助もその一つだ。

 ここまでくると、ただのお姫様ではなく"聡明なお姫さま"という機知に富んだ才媛(そこ、笑って良いぞ)となる。
 そこ、笑って良いぞむしろ笑え

 妹の対外的な評価もとい評判は、誤解のようで誤解ではないのが恐ろしいところだというのが兄の感想。
 少女の身の回りの品、特に姫君らしい小物のすべては、それらの職人たちの感謝を込めた献上品だ。貢がれてる、というのも間違いじゃないし、一見逆ハーレムなのだが本人気にしてない気にし始めたら発狂一直線だ。くれるものはもらっとくくらいの庶民根性で自分を騙している。
 もちろん、嬉しい。それがたとえ煌びやかな衣でも、華やかな髪飾りでも、恋文めいた小説でも指輪でも首飾りでも扇子でもなんだろうと。

 受け取るたび、少女はちゃんと"嬉しい"と思う自分に安堵する。

「取り立てるのはかまわんが………仮面ばっかり作らせるつーなら超反対」
 決して手を抜かず、良い細工を作る工匠なのだ。超局地的前衛芸術品ばかり生産させてはもったいないったらないったらないってゆーかマジやめろ。 
 長く触れているとなんかノリ移ってきそうな気がする精巧な仮面からそっと手を離した。なるべく直視しないように。
「本人も若輩を理由にこの私の誘いを固辞した。紅家の名に釣られぬ矜持は悪くない。何より兄上にそっくりだこの仮面!」
 保護している職人を褒められて(後半は無視)、真朱は少し誇らしげに笑った。えてして自分を褒められるより嬉しいものだ。とゆーか、黎深に自分を褒められたらこの世の終わりだと思う。
「だろー。いい細工作る奴なんだよ」
 モデルには申し訳ないが―――はっきり言って気味が悪かっただけの仮面も、作者が既知と知ると愛着が湧いて来ないこともないかもしれないどうだろう。少なくとも不気味じゃなくなってきた。
「中々の出来だからな、礼金を弾んでやろうとしたが、それも受け取らなかった。だがしかし兄上の仮面だぞ!? そんじょそこらの仮面ではない!」
 あぁうん確かにそんじょそこらの仮面と同一にしてはいけない類の妄執の具現だ。それは認める。
 認めるが。


 ――――嫌な予感がした。


「故に、お前への求婚を許可した」











 ほんっとうに何やらかしてくれてんだこのクソオヤジ普通に娘売るのやめろ。
 真朱は矢の如く黎深の室を飛び出した。










「………交渉決裂」
 黎深の室よりすっ飛んで何処へか全力疾走で駆けて行った真朱は日が暮れる前に再度帰宅した。
 ―――外出しようとしていた義父に回廊ですれ違い様に言い棄て、顔も上げず少女はズカズカと私室へ向かっていった。
 求婚への返答を交渉と称すあたり、李真朱という年頃の少女の内面が如実に伺える。
「つまらん」
 義父の所業に一言の恨み言すら漏らさずに通り過ぎた背中を黎深は扇越しに眺める。
 あの娘はある意味甲斐性がありすぎてツマラナイ。影の報告など聞かずとも顛末が読める。
 黎深は歩みを再開する。
 大切な大切な兄上、の仮面を包んだ風呂敷を小脇に抱え、予想通りの結末に紅黎深は冷笑する。
 工匠を当て馬に使ったつもりはない。使うときは使うときで何の痛痒も覚えない黎深だが、今回ばかりは出来の良い仮面の褒美として工匠の望むものを与えただけだ。至極珍しくも他人に対して他意もなく、欲しいものを与えてみた。
 至極当然として含むところありありな義娘の心境を慮る必要は欠片もない。娘は黎深の所有物だ。拾うのも捨てるのも叩き売るのも黎深の自由で、黎深が工匠に与えたものを奪ったのは義娘であって黎深ではない。何の問題も無い。
 何の問題もないのだが―――少々思いついて、黎深は行き先を変更した。

 その室は書翰に埋もれていた。

「いつ見ても汚い室だ」
 一心不乱に動いていた小筆がぴくりと止まった。
「…………誰のせいだとっ」
 その室は別段散らかってなどいない。ただ書翰の山に埋もれているだけだ。
「この程度の仕事も早々に片付けられんダレカのせいだろう」
 ミシッと小筆が悲鳴を上げた。
「今夜は出かけるのではなかったのですかっ!? 邸にいるなら是が非でもこの辺の書翰片付けませんか黎深様ーーーーーーっっ!!!」
「何故私がそんなことをせねばならん」
 心底不思議そうに問われ、絳攸の手許でバキリと小筆が逝った。腐れ縁の将軍に羽林軍に誘わることも少なくない身体能力が垣間見える握力に見せかけて火事場の馬鹿力。
 あれこの人は自分の直属の上司ではなかったのかと眩暈を覚える。
 俺は誰だ李絳攸で吏部侍郎、この方は自らの養い親で吏部尚書じゃなかったっけどうだっけっ!?
 逝った小筆はなぜかこの日だけで十本目。亡骸は屑籠に累々と重なっている。新たな犠牲者を視線も上げず葬り去って、絳攸は案机の引き出しを開けて次なる犠牲者を握る。
「公休日まで仕事をするなど馬鹿じゃないのか」
「おかげさまでっ!!」
「そうか私のおかげか。己の素晴らしさに眩暈がするな」
「〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」
 なんっっっっっっで俺はこの人が大好きなんだと絳攸は真剣に自問自答した。
「貴方何しに来たんですか俺をおちょくりに来たのでしたら大っっ好きな仕事の邪魔なんで遠慮してくださいませんかっ!?」
 まぁ仕事に限定すれば絳攸だってコレくらいは言える。
 黎深は扇子を開いた。


「真朱が泣いてるぞ」
「なんですか藪から棒にその嘘」


 絳攸は頭から信じなかった。
 この辺紅黎深の養い子であり李真朱の兄である面目躍如かもしれない。
「何故嘘だと決め付ける」
「嘘というか………あいつが泣くところなんて想像できないんですが」
「何度か見たことあるだろう」
「例外中の例外だと知っています」
 それが、絳攸の妹の強さであり弱さだ。
 例外中の例外でなければ素直に泣けない弱さと、例外中の例外であれば素直に涙を零す強さ。表裏の一だ。
「――――話にならん」
 黎深は一切の興味を失ったように踵を返す。何しに来たんだあの人本当に。
 絳攸は深刻に首を傾げ、


「それは人前での話しだろうが」


 黎深の捨て台詞に硬直した。







 書翰の上で小筆が彷徨い、文字にならない。
 考えがまとまらない。
 実家に帰って骨を休めて欲しいと王は言った。甘い。甘すぎる甘っちょろいぞ甘ったれ。実家に帰って李真朱が休むものか。仕事はいくらでもあるし、国で一二を争う非癒し系、紅黎深がいるのだ。休めるか。休まるかくつろげるか出来るモンならやってみろ
「…………くふぁ」
 大あくびが漏れた。
 人前であれば衣や扇子で覆ったり俯いて隠したりそれなりに繕う。女というより人として。うん人として。
「あ〜〜…………」
 顎、抜けるかと思った。そんくらい大口開けた。
 疲れているとは思ってなかったが―――クソ寒い牢獄暮らし、夜は良く眠れなかった。いつもと違う仕事をして、いつもと違う筋肉を使って掃除もしたし、おさんどんにも精を出した。礼部とガチンコのち義父の精神攻撃全力疾走―――そして。

「疲れんに決まってんじゃねぇか―――っ!!」

 ナニユエ今の今まで疲れているとは欠片も思っちゃいなかったのか。脳内麻薬が分泌されていたのかもしれない。
 脱力。
「………は」
 なんだ。
 ダルイ筈だ。仕事が進まないはずだ。頭が働かないはずだ。大あくび扱くはずだ。納得した。 
「つかれてたのか、おれ」
 あくびに誘発された涙がポロリと頬に零れた。

 ―――ドタバタガチャドタドタバタドタバタンッッ!!

「うぉっ!!??」
 突然の騒音に驚いて顔を上げた。
 肩で息をする兄が蹴破った扉の影で愕然と突っ立っている。
「………何しに来たんだお前」
 真朱は訊ね、意識もせず己の濡れた頬を拭った。
ッッッぎゃーーーーーーーーーーーーっっっ!!
「人の顔みるなりそのこの世の終わりのような絶叫は何だっ!?」
 失礼にも程がある。
「おまおまおまお前、な、なななな何なにナニ泣いて」
「はぁ?」
 今無意識で拭った頬に触れる。わずかに湿った衣に視線を落とす。
「あー。あくび」
「は?」
「あくび」
「………あくび?」
「出るだろフツー。あくびしたら涙」
 生理的に。
 その証拠に、両眼には次弾の装填はない。そもそもうっすらとした涙膜が零れ落ちたのも不用意に瞬いたせいだ。
 頬を拭ってしまうと痕跡すら消え果る。
「〜〜〜〜〜〜〜〜騙されたっ!!!!」
「はぁ?」
 真朱は首を傾げる。ちなみに誰に、ではなく何を、でだ。絳攸を騙くらかせる人物というのはこれで片手しか存在せず、現場が紅家別邸で、成功率半々の己を除外したら犯人なんて言わずと知れている。
 ぜーはー言ってる兄に、一気に呷れる冷めたお茶を差し出した。別に冷めたから淹れなおそうとしていたお茶を有効利用したわけじゃない。ないったらない。
「騙され、る、俺も俺、だがっ!! どうしてこうあの人はっ、無意味な、ことを〜〜〜っ!!」
「………何があったかは知らんが」
 真朱はぐるりと案机を迂回して兄の正面立った。
「飛んで火にいる夏の虫って言葉知ってるー?」
「………は?」
「ここ数日の己の所業を回顧してみろ。致命的なヤツ一個あるだろ。義は我にあり」
 泣いてるどころか超笑顔の妹の握り締めた小さな拳に、絳攸は"致命的なヤツ"を思い出してギクリとする。

「牢獄ってなかなか快適なところでしたわよ? オホホホホホ、テメーもいっぺんくらい入って来いやぁっ!!」

 素で忘れてたーーーーーーっっっ!!!
 もしかしてコレか。コレが狙いだったのかあの人っっ!!
「いて、コラッ!! やめろっ」
 真朱は絳攸の髪を禿げろとばかりに引っ張る。しかもコメカミ付近。地味にマジで痛い痛い痛いっ。
「寒かったしかび臭かったしホンット素敵なところでしたわぁ!! このっこのっ!!」
 引っ張る引っ張る引っ張る。
「原因は常春の弟だろうっ!?」
「命令したのは王さまだろーがっ!! 側近のお前は共犯だっつーの!!!」
 引っ張る引っ張る引っ張る引っ張る引っ張る。
 耐えかね思わず髪を引っ張る妹の手首を掴み―――絳攸は失敗を悟る。
 力で叶わず押さえ込まれた妹の白面が歪んだ。
「―――チクショウッ!!」
「………悪い」
「るっさいわっ!! 謝ンなっ」
 振り払われた手首に引き攣れた傷跡があった。思い出し、絳攸の顔も歪む。
 

(/あと)が―――』


 蘇るのは、枯れた幼い声。
 蕾開くことを拒絶したまま、抉じ開けるように開花した。
 衰弱して、吐瀉物まみれで、痩せ細り血の気は失せて青白いのを通り過ぎて土気色。
 少女は、落ち窪んだ眼窩の深奥、爛々と、浅ましいほどに生に固執するド根性を見せた魅せた、魅せられた。目を離した瞬間に逝きそうだったから一睡もせず片時も目を離さなかった。だけど、本当は、衰弱して吐瀉物まみれで痩せ細り血の気は失せて青白いのを通り過ぎて土気色でも、ただ美しく―――美醜の基準など足蹴にして、在りのままでそうであるようにただただ美しく―――目を離せなかっただけ、だった。
 あの時―――。

「物理的に復讐出来ねぇとは何だクソむかつく!! こうなったら精神攻撃しか残されてないな最後の手段。よし、押し倒ーす

 兄の感傷を土足で蹂躙するこの少女、有言実行のお人である。

「マテマテマテマテマテーーーーーーーッ!!! 俺が悪かったっっ!!!」
 ヘバッていたところを妹に馬乗りにされ、絳攸は面子を捨てて謝った。もうは這い蹲っても良い。勘弁してください!!
「素直な子は長生きできるぞ。長生きしろよ、おにーちゃん」
 人の腹の上に跨ってうんうん頷きやがるこの妹どうしてくれようかと思う。
 実際どうも出来ないのだが。
「………時に聞くが恥じらいという言葉を知っているか」
「当然だ」
「そうかそうかでは恥じらいに懇願する。退けっ」
 この体勢は外聞が悪い。
 謝罪をさせたので真朱ももやはこの自爆体勢に用は無い。素直に退こうとして―――。


 がちゃり。


「…………」
「………………」
「………………………ゆ、百合様?」
 盆を携えた奥方に目撃された。
 目をぱちくりさせた兄妹の義母は差し入れの盆を優雅に扉脇の小さな卓子の上に置き、瞬間氷結した子どもたちをとっくり眺めうんうん頷きオホホと哂う。
「「っちょっ!!??」」







 がっちゃん







 地獄の沈黙。
「「外から鍵閉められたーーーーーーーーーっっ!!??」」
 不吉な鍵音に兄妹が絶叫した。
「なにこの恐怖のデジャヴッ!?」
 真朱は扉に転がり取っ手をガチャガチャ鳴らすがビクリともしない。本当に閉じ込められました今度は奥方にっ。
「なぜこうなるんだ? 仕事………仕事が………」
 絳攸は呆然と呟く。
「絳攸!! 窓だ窓窓っ!! 窓から出られるココは一階っ!!」
「はっ!!」
 前回に学び、李兄妹の自室は一階にある。
「…………た、助かった」
「本当に………」
 つーか養い親夫妻、本当に何を考えているのか時々全然わからなくなるのだが。苦節云年、まだ修行が足りないというのか。まだまだか。まだまだなのか。
「〜〜〜そもそもお前は手段を選ばないにも程があるんだぁっ!! いつか痛い目見るぞ!!」
 一応仮にも曲りなりにも年頃の少女が兄とは言え男を押し倒すとは論外だ。
「ふんっ。痛い目―――痛い目ね。そーだな。一度ならず痛い目にあうべきなんだろーな、俺は」
 らしからぬ自虐的な物言いに、説教体勢に入っていた絳攸は瞠目した。
「何言って、」
「俺は基本的に相互主義でありたいわけ。貰ったものには同じだけのものを返したい。返せないのなら、痛い目見て思い知るべきだろ。因果応報」
「………何があった」
「別に。同じものを返せなかったってだけだ」
 なんて事も無いように、真朱は義母の差し入れのお茶に口をつける。
 嘆く……でもなく、悔いる、ことも出来ず、哀れむわけでもなく耐えるでもなく―――恥じる。そんな言葉を吟味して、絳攸は吐き捨てた。
「―――それが出来たら、誰も悩まないだろう」
 それが、出来たのなら。
「まーな」
 茶は茉莉花の香りがした。
「けどさぁ、痛い目でも見ないと、俺ァ泣くことも出来ねーからなー」
 あくびはともかく。
 今度こそ、絳攸は驚愕した。
「お前でも―――泣きたくなるときがあるのかっ!?」
「どんなバケモンだ俺はっ!! しょっちゅうあるに決まってんだろっ!!」
 悲鳴に近い兄のたわけた物言いに妹はシギャッと噛み付く。
 しょっちゅう。
 しょっちゅうと言ったか。
「ちょっとマテ。じゃあ何で―――」
「なんでも何もあるかい。ほれ、脱出すんぞ」
 茶を飲み干した真朱は、しばし空にした茶碗に複雑な視線を落としていたが―――毅然と顔を上げ、窓辺で絳攸を手招きをした。
肩車しろ
「………………いやあの」
「俺は窓枠に背が! 届かねーんだよチクショウ!!」
 地団太。
「いやだから。お前はこのまま室にいて室の鍵を借りた俺が窓から外に出て外から回ってこの室の鍵を開ければ」
「い・い・か!? 俺は今茶を飲んだ。無意識だったが茶を飲んだっ―――飲んじまったっ!! 超絶方向音痴のお前が窓から外に出て庭院を迂回し正面から邸に入りなおしてこの室の前まで辿り着く前に絶対限界が訪れるーっ!!
「アホかーーーーっっ!!!」

 どんなに切羽詰った事態に陥ろうとも色気だけはトコトンわいてでない兄妹である。
 切羽詰るところ間違ってる

「…………もういっそ負ぶされ」
「うわぁい屈辱ー」
 イイ年こいた兄妹でおんぶ。これを屈辱と呼ばずなんと言う。しかしソッチの方が楽なので逡巡のち渋々受諾。
 至極複雑な感慨を抱かせる兄の背中に、抱きつくように飛びついた。両手は首に回す
「―――ぐぇ」
 ついでとばかりに絞めらたことに文句を言う前に、背に乗った暖かいフニフニを絳攸は詩経を唱えて心頭滅却を図る。お兄ちゃんは大変だ。
「お前…………泣きたいときに、泣ける場所はあるのか」
 文句を言おうと開いた口から零れたのは、全く違う言葉だった。驚く。
「あるに決まってんだろ」
「…………そう、か」
 耳元で即答が返り、くすぐったさに安堵すると同時に……少しだけ、心臓の辺りが痛んだような気もする。
 泣きたくなることもしょっちゅうあるのに人前ではまず泣かない頑固な少女にもちゃんと泣く場所があって、それが何処でも―――誰でも―――独りで泣くよりはずっとマシだと、少し淋しく思ったら。


「この名の刻まれた墓石の下」


 それまではまぁ、可能な限り我慢しておこうと思うとか言いやがった。 
「…………………なんで、お前は、それで女なんだ?」
 オットコらしいにも程がある。呆れるほどの意地っ張り。潔くて潔くて潔いのは美徳かも知れないがその影で切り捨てられるモノを省みないのはただただ薄情だ。たまには躊躇えとコッチの都合だけで絳攸は怒鳴りたくなる。
 聞く耳なんてもたないのだろうけれども。
「ぃやー俺もそれが真ッ剣に知りたくてなー」
 積年の疑問だ。
 タヌキが答えめいたことを言っていたが、人間の矜持にかけてタヌキの言葉など信じない。嘘も真もどうでもいい。ただ信じない。


 信じたいものだけを信じて、真摯に信じて、少しでも自分に都合のいい現実を作り上げる人の愚かさは―――愚かであっても、生きて行く強さには違いない。
 客観的にどれだけ無様でどんなに浅ましく恰好悪かろうと愚かでも、この腕を引きちぎって縄をかけて放り投げてだって届くのであれば掴んでみせよう。

 
「ちょっと………かなぁり、…………勿体なかったよなぁ」
 工匠の青年は、真朱から見てもイイ男だったのだ。
 優しかったし潔かったし見てくれも悪くないし何よりいい細工を作る工匠だし義父の阿呆な注文も受けてくれたし―――何でかこんなヘンなイキモノのこと、本気で好きになってくれたし。そもそもそれが不幸で不憫でならなくて恋愛のレの字も浮かばず禁じ得ない同情を禁じるので一杯一杯。
 あぁそれでも―――それでもだ。勿体なかった。
「何かだ?」
 耳元の声に反射的に振り返った絳攸は、すぐ傍に背負った妹の顔があるのにビビって慌ててグリンと顔を前に戻した………コイツはヘタレ過ぎる。比べるのも申し訳ない。
 試しに背中に胸を押し付けてみるムニ。おぉおぉ見事に固まった。こりゃ駄目だ。うん較べ物にならねー。
「ないしょー」
 墓まで持っていくと決めたからには、誰であろうと教えない。
 君であろうと教えない。


「つか言いたくねぇ。憤死する」
「みみみみ耳元でぼそぼそ喋るないい加減黙れっ!!」
「ンだとコラッ!? テメェこそさっさと進め馬車馬のように駆けろ絳攸!」
「振り落とすぞっ!?」






 このままがいいと思うのは、甘ったれた我侭なんだろう。









(……お久しぶりです。次もお久しぶりというと思います。様子を見ながら次話を投下する所存です)





モドル ▽   △ ツギ



inserted by FC2 system