「絳攸、代われ。そして客室に運べ」
「…………」
 スリスリ虫が苦手な養い親は、青年たちの生温い視線を華麗に無視して絳攸に真朱を押し付けた。
 この養い親、真朱が幼少の頃からまともに抱いたことがない。子供の接し方をよく知らないのだろう、小さい真朱を連れ歩いたときも抱き上げるのではなく首根っこを掴むという猫のような運び方をして、幼女は潰された蛙のような悲鳴を上げては養い親に仕返しの飛び蹴りをしていた。
 絳攸に真朱を押し付けお役目御免とばかりに満足した黎深はとっとこと大好きな兄の後を追う。紅黎深にとってこの行動は無責任でもなんでもない。面倒くさいことは絳攸に押し付ける。いつものことである。
「……………………つめたい。これやだ」
 押し付けられた寝ぼけ眼の妹は、外から帰還したばかりの兄の冷えた身体を嫌がった。

 ―――……、このやろう。

「あーあ絳攸ふられたね」
「一度死んで来い常春」
 妹の態度も何だが、楸瑛の合の手はさらに癇に障った。
「私が抱こうか?」
「例え仮に万が一貴様に他意はなくともその台詞が無性に気に食わんから却下だっ!」
「つめたい〜……これやだ〜……」
 しかもうるせー。
「何やってるんですかあなた方は。彼女まで風邪を引いたらどうするんですか」
 冷ややかに呆れた声音で静蘭は真朱を毛布で包んで絳攸からむしり取り双花菖蒲を一瞥、つかつかと客室へ向かった。
 外から帰ってきたばかりで体が冷え切っているのは誰もが一緒だ。毛布を持ち出したのは家人であり如才ない静蘭ならではの機転だった。
「………うーん、さすが静蘭。あの二人最近仲いいんだよね。大丈夫かい? 絳攸」
「なにがだッ!?」
「さぁ、なにがだろうねぇ」
 人を食った笑みを浮かべる楸瑛に、相手にしていられないと絳攸は静蘭の後を追う。この手の話題に関しては何を言っても薮蛇となることを経験的に熟知している。飛び出る蛇は牛を丸呑みできそうな大蛇だ。絳攸なんぞひとたまりもない。
 静蘭が客室の寝台に真朱を寝かしつけている途中、少女はうっすらと目を開ける。眼前に大写しされた美青年顔に驚いたのか、失礼にもしゃっくりに似た呼吸不全を起こしたが、静蘭と認識するとついで状況を認識したのか少しだけ、眉尻を下げた。
「わるい……でもねむい」
「かまいませんよ。そのまま少し眠ってください」
「おみまい……」
「お嬢様もまだ眠っています。お会いしたいのなら、きちんと起こして差し上げますから」
「たすかる……たのむ」
 真朱はあっさり静蘭に任せると、もぞもぞと布団にもぐりこんで繭になった。
 寒がりの少女に念のためもう一枚、掛布をかけて一仕事終えた静蘭が振り返ると、意外そうな面持ちの楸瑛と、なんともいえない表情をした絳攸が背後に控えていた。
「……なんですかその顔は」
「いや、ちょっと意外でね。君が秀麗殿以外の女人にもそういう顔をするのかと」
 楸瑛の言葉に静蘭は眉をよせる。真朱への対応は秀麗とは全く別物だ。むしろ対燕青用を少し丸くしたようなものだ。口調は丁寧だが遠慮は殆どない。でなければ仮にも嫁入り前の少女をグズグズしていたとはいえ兄の手からむしりとったりはしない。
「今、割と素顔なんじゃないかな?」
「そういう意味ですか。別段、繕う必要がない人ですから。彼女は」
 お互い本音が必要な相互監視兼矯正係だ。繕う必要がないというより、繕う方が利益がない。
 押し黙っている絳攸は、寒さ以外の理由でわずかに青ざめていた。
「…………なんで、」
「貴方はなんです?」
 そんなに意外なのかとややうんざりと静蘭が目を眇める。確かに見た目が年頃の男女だけに奇異に映るかもしれないが、そこに恋愛感情など互いに塵ッほども存在しないのは少し見ればわかるはずだ。男女の友情は存在するのかと言うのは永遠の命題だが、双方が性別を全く気にしていない場合、案外簡単に成り立つのではなかろうか。言葉の通じる異種族間交流に近い。同じ人間と双方が認識しているかすら疑わしいという性別以前の話だ。実際、静蘭は真朱の性別を全く気にしていない。それが楽なのだろう真朱も同じことだ。
「なんで、簡単に……」


 ―――静蘭は頼られるのか。


 絳攸は続く言葉を飲み込んだ。
 たすかる、たのむ。真朱がそう言葉にするのを、絳攸は生まれて初めて聞いた。あれで真朱は矜持が高い。黎深に巨額の金を借りたときも勝手に借文状を作ったくらいだ。そして楽々返済し、彼女の借文状―――株券はいまや金の生る木となっている。
 その真朱が、あそこまで素直に。
 何か察したのか、静蘭は少し意地悪く口の端を持ち上げて笑った。
「あぁ、あなたは彼女に頼られたことがないのですね?」
「……」
 沈黙は肯定。
 静蘭も真朱同様、他人を頼ることなどまず、ない。大抵のことは自分で出来る。出来ないことでも他人に頼るくらいなら自力で挑む。そして挑んでどうにかしてしまう力量を持っている。静蘭は完璧主義で、真朱は小器用だという違いはあれど、矜持の高さと応用範囲の広さはよく似ている。

 互いの力量を認めているというのも当然ある。しかし、頼ることを良しとしない静蘭と真朱が至極簡単にお互いを当てにするのは―――。

「別に秘密でも何でもありませんが、わからないようなら―――教えてあげません」
 静蘭は笑顔でたたっ切った。
「うわ」
 腹黒炸裂に楸瑛が引き攣り、絳攸は沈黙を深める。
「さぁ、さっさと夕餉を済ませてしまいましょう洗い物が終わりませんから」
 高貴な笑顔に所帯臭い理由をつけて、静蘭は食卓へ戻る。腹は減っているし、主婦秀麗ほどでなくとも静蘭も真朱の珍妙な菜に興味津々だ。一緒に厨房に立って作り方は覚えたので、気に入ったならば秀麗に作ってあげようと思う。
「………あれは、わかってない顔だね」
「全くわかってない顔ですね」
 ぐるんぐるん悩み始めた絳攸を置き去りにして楸瑛がこっそりと囁き、静蘭はあっさりと同意する。
 性別に惑わされなければ、一発でわかる。というか、我が身に置き換えて、静蘭の位置に楸瑛あたりを置いてみればわかるはずなのだが。
どっちが特別扱い(/、、、、、、、、)なのか、わかっていない」
「あの人ちょっと馬鹿ですよね」
 静蘭容赦なし。朝廷随一の才人を馬鹿呼ばわりした。邵可邸は相変わらず治外法権だ。
「あのままじゃいつか真朱殿がブチ切れるね。怒ると恐いんだよ、彼女」
「怒る前に―――……いえ。まぁ、いい薬なんじゃないですか?」
 静蘭は言い差して、やめた。他人が代弁するような心ではない。
「いや、ほんと。手段を選ばないし……肉を切らせて骨を絶ち骨片すら残さない大噴火土石流というか」
「……実感こもってますね」
「おっと」
「なにやらかしたんですか貴方」
「えーっと、黙秘権を行使するよ」
 別段追求する気がなかった静蘭は鼻を鳴らして見逃してくれた。珍しい。早く夕餉を取りたいのだろう。楸瑛はこっそり冷や汗を拭う。
 肉を切らせて骨を絶ち骨片すら残さない大噴火土石流―――気持ちよかった、とは黙っておく。気持ちよかったのだが、大変だったのはその後だ。総合的に割と思い出したくない記憶となっている。
「――何の話だ?」
 背後から聞こえた声に楸瑛は危く飛び上がるところだった。そんな醜態は辛うじて晒さなかったが。
「さ、さぁ! 早く食事を済ませてしまおう! 私は菜を作ったのは初めてだからちょっと楽しみなんだ!」
「………なんだ? あれ」
 聞いていたわけではなかった絳攸は楸瑛の挙動不審に首を傾げる。
「自然災害の恐怖の体験談みたいですよ」
「?」
 静蘭の受け答えも人を食っている。
 何があったのか静蘭も聞いてはいないが、彼の嗅覚は騒動の火種を敏感に嗅ぎ取った。
 面白いから黙っておくことにする。
 沈黙は時限爆弾。








(主人公の沸点は決して低くはないけど、傍目、地雷の場所が謎。何でキレるかわからない上に切れた恐怖を楸瑛は骨身に沁みて知ってます。三分三十七秒のアレ、というかその後





モドル ▽   △ ツギ



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