秀麗の大絶叫が邵可邸に木霊した。



「余、余は何もしてないと言ったのに………」
 傷心の王様が寝室の隅で膝を抱えて泣いている。
 それどころではない秀麗はしょうがない生姜湯の破壊力を緩和しようと一生懸命で、静蘭の持ってきた水を呷り、ついで差し出された湯飲みもごふっごふ飲み干した。
「死、死ぬかと思ったわ……これ甘くて美味しい……生き返るわ」
 素朴な甘さが虐殺されかけた舌に優しい。最高の口直しだった。
「真朱さまがお作りになった甘酒ですよ」
 本来の用途と違っていたが、対しょうがない生姜湯に甘酒は最高の威力を発揮した。
「え、真朱も来てるのっ?」
 熱っぽい秀麗の眼がぱっと輝く。
 "ともだち"のお見舞いはまた別種の思いを抱かせるのだろう。よく見るまでもなく、秀麗の寝室は男だらけで一杯一杯だ。一応仮にも曲りなりにも多少はあれでも多分李真朱は紅一点だ。
「少しお疲れの様子でしたので、客室でお休みになってます」
「そうなの……わざわざ嬉しいわ―――ねぇ劉輝、なんで真朱の甘酒じゃなくて父様の生姜湯を飲ませてくれたのよ?」
「う……そ、そこにあったから。すまぬっ」
 父茶を知らぬわけではあるまいにという秀麗の呆れの色濃い恨み言に王様は縮こまるばかりだ。
「でも、確かに元気になったようだね。熱も下がり始めたんじゃないかな」
「………何が一番効いたんだろうな」
 ぼそりと絳攸が疑問を口にする。
 葉医師の薬、しょうがない生姜湯、甘酒―――どれだ。
 寝室の一同は例外なくうっと詰まった。状況と即効作用を鑑みるに恐らく……超生姜湯。誰もが知ってはいたが、紅邵可、やはり侮れない。
 なんともいえない沈黙の中、勢いよく扉が開いて小さな影が秀麗の寝台に飛びついた。
「秀麗師――っ!!」
「柳晋!? どうしたのその包帯っ!?」
 秀麗は柳晋の両手の包帯に驚き、ついで室に入ってきた仮面の尚書にやっぱり驚き、その腕に抱きかかえられている真朱を見つけてとどめとばかりに驚いた。
「……どうしても会いに行くときかなかったのだ―――真朱は廊下で行き倒れてた」
「なんでっ!?」
 秀麗の悲鳴に飛び起きて、途中寒さに負けたのだろう。弱すぎ。
「秀麗師……ごめん、ごめんなさいっ」
 ぼろぼろと涙を零して柳晋が内心を吐露する後ろで、鳳珠にすりすりしていた真朱は暖かい室に徐々に浮上。

 ―――仕上げとばかりに家の中で行き倒れていたところを回収してくれた恩人の仮面をてやっと引っ剥がした

「っこら!」
「くぁ〜〜〜〜〜っ、効いたぁぁ!」
 極上の美貌を眼前に収め気合を入れるという真朱の神をも恐れぬ所業を目撃したものはいなかった。僥倖である。
「スッゲ。二千円のユン○ル五本イッキしたくらい効いたぁぁ。おさすがです鳳珠さま。鼻血出そ……」
 一万円分のユ○ケルをジョッキ飲みした馬鹿な大学生ならではの感嘆は世界の壁に激突して通じなかった。用法用量を守りましょうよい子は絶対真似するな
 鼻の付け根を押さえる馬鹿娘の頭を軽く小突いて、鳳珠は仮面を直す。
「何をするんだお前は」
「鳳珠さま大好きっ」
 答えになってない。
 しかしそれで無罪放免らしい。頭をなでられた。
 ……うん。実際、こういうところは大好きだ。幼い頃、黎深の猫運びに窒息しかけ青緑色の顔色になったところやがちがちに凍えていたところを黎深を殴って保護してくれたのも鳳珠だった。まったくなっちゃいない子供の扱い方を黎深にこんこんと説教してくれたのは鄭悠舜で、この二人は真朱の中で命の恩人としてインプットされている。おかげで義父と違っててらいなく懐ける。悠舜様元気かな?



「秀麗師、嫁になんて行くなよっ!!」



 鳳珠と真朱は勢いよく振り向いた―――嫁?
「え? や、別に嫁に行くわけじゃ……」
「ちょっと待て少年! そういうことなら余も黙っては」
「あんたは黙ってなさいっ!!」

 鋭い軌跡を描いて劉輝に扇子が飛来した。

「……………? なんでいきなり扇子が飛んでくるの?」
 もっともな秀麗の疑問に一同は押し黙る。ただ一人、真朱の沈黙のみ他と一線を隔した白けた無言だったが。
 いる。扉の影にきっといる。
「誰の扇子なの? ものすごく良いお品じゃない」
 李兄妹に視線が集中した。
「………ぐー
 真朱、鳳珠の胸に頭を預けてわざとらしいいびきでもって速攻狸寝入り。
 妹の超潔い知らんぷりに絳攸は内心で絶叫。ズルすぎる。おかげで視線が絳攸ただ一人に集中砲火だ。ここは立ちながら眠るという吃驚人間になってみるしかッ!?
「おや、劉輝様、申し訳ありません。ちょっと手が滑って扇が飛んでしまいました」
 おかゆを運んだ邵可が笑顔で嘘を吐く。
 真朱のいびきがゴフッグハというヤバげなものになった。鳳珠にしがみついて笑いをこらえる。こっちはこっちで決死だ。
 優しくさりげない手で柳晋の意識を落とし、邵可はにこにこ笑って寝台横の卓におかゆの盆を置いた。
「食欲があるならおあがりなさい」
「あ、はい―――あら、これ?」
 秀麗は土鍋の横にちょこんと添えられた紙細工に目を見開く。
「あぁ。それは真朱殿が作ってくれた紙の鶴だよ。かわいいだろう?」
「えぇ!? すごいわ!」
 小さな鳥をつまみあげて翳し、秀麗ははしゃいだ声を上げる。
「うわぁ、これ糊付けしてないの? 一枚の料紙を折ってこんな細工が作れるの? すごいすごいわっ―――あら、一つだけちょっと潰れたのがある……あは、これも可愛い」
 扉の隅で紅黎深が懇親のガッツポーズを決めていたことは、誰も知らない―――昔、紅黎深に折鶴の作り方を教えた狸寝入り中の真朱はなんとなく察し、やっぱり折り方を知っている絳攸は養い親のいじましさにうっかり目頭を押さえたが。がんばったんだ、よかったね。



 それは紅黎深の駄々漏れの愛が一匙ほど掬われた記念すべき瞬間だった。



「あと、皆さんにお礼を言いなさい。君が熱を出したと聞いてお見舞いに来てくださったんだよ。特に黄尚書と真朱殿に。そこに飾ってある蘭とお薬は黄尚書、鶴とこの花冠に夕餉とおかゆは真朱殿が作ってくれたんだから」
「わぁ、ぅわぁぁ!」
 窓辺に飾られた見事な蘭花と邵可に手渡された白い花冠に、秀麗が少女らしく華やかに感嘆する。
 室の隅で成り行きを見守っていた鳳珠は狸寝入りをする真朱をつついて床に降ろす。
「思ったより元気そうで何よりですわ、秀麗さま」
 鳳珠印根性注入済み真朱がにっこりと微笑む。珍しくも他意のない笑顔だ。秀麗の前では常ににこやかな顔を心がけているが、作られた少女の笑みでない素顔の微笑は彼女の前でも稀少だった。片眉を少しだけ吊り上げ、ぷっくりとした赤い唇をくっと持ち上げるそれは一見皮肉げにも映る。
 かわいい、きれい、そんな柔らかな修飾を受け付けない、問答無用に男らしく頼もしい微笑に秀麗は思わず見蕩れた。
「あ、ありがとう真朱。すいません黄尚書、何のお構いも出来なくて……お花、すごく綺麗です」
 女性の見舞いにやってきて、花を携えて来た二人の大勝利。
 鳳珠はやんわりと秀麗を気遣い、その後ろで花を忘れた男たちにべぇーっと真朱は舌を出した。特に王様と扉の影の養い親に向かってビクトリーサイン。黎深を煽るなと絳攸は冷や汗をかく。
 楸瑛は真朱の正統派男らしさに軽い眩暈を覚えた。彼女が男であったなら、後宮と妓楼の人気を二分していた可能性が……。
 年齢を問わず、花を贈られて喜ばない女性はいない。贈り物に悩んだらとりあえず花。常識である。元女タラシの面目躍如だ。
 ―――そして山盛りの薬と糖蜜漬けに話題は移行する。



「ねぇ……あと、誰かいるの?」



 真朱は思う。だから言ったじゃねーか見舞いに来た不審人物だと。
 緊張して凝固する兄の肩を叩き、真朱はふるふると首を振る。妹の達観した仕草と、邵可の視線に制されて絳攸も最早人事を尽くして天命を待つ。


 ―――三。


 ――二。



 一。



「いらっしゃったんだけどね。もう帰ってしまわれたよ。この扇子は忘れ物かな」

 ガ…クゥッと李兄妹が膝を突いた。

「せ、千載一遇の機会をっ……」
「実は思ってたけど、あの人ほんとにほんとは馬鹿なんじゃ……」
 お互いの目じりに溢れた涙を拭いあう微笑ましい兄妹がそこにいた。グスッ。
「え、何? どういうこと?」
 事情を知らない秀麗からしてみれば、微笑ましい兄妹の図というよりただの挙動不審である。しかしそれでも真正面から尋ねられても答えられない兄妹は誤魔化すように曖昧に笑うのが精一杯だ。
 ―――笑うしかなかったとも言う。
「自分できちんと名乗りたいそうだから、今は好意だけ受け取っておきなさいね」
「う、うん?」
 父の言葉に素直に頷く秀麗だ。そこは突っ込んで欲しかっただろうなとつくづく思う。
「食べられるならおかゆを食べて、またゆっくり眠りなさい。今お茶を入れてくるからね」
「あ、手伝います」
 ぱっと顔を上げて真朱が邵可の後を追う。

 来る。
 父茶が来る。

「い、いいい今のうちに皆さんお帰りになってくださいっ! 明日の仕事に支障が出たら大変なことに!? あれ、真朱がついていったから大丈夫? いえでもやっぱり遠慮なさらずっ!」
 ここで数名が判断を誤った。


 ―――真朱は父茶の洗礼を受けていませんよ?
 そして、その隙を見逃す静蘭は静蘭じゃない。



「叔父、叔父上………優しい叔父さん紅黎深……」
「おバカ」
 義娘の万感の篭った一言は黎深には届かなかった。
「帰るぞ黎深。近所迷惑だからこんなところで置物になっているんじゃない」
「鳳珠さま……」
 鳳珠と真朱は仮面越しに視線を交わす―――あー駄目だこりゃ駄目だと。視線は雄弁だ。
「李侍郎の為にこいつは我が家に持って帰ろう」
「あぁ……鳳珠さま。なんてお優しい……」
 くぅっと真朱は涙を拭った。
「未来の義理の親族に今日ぐらいは優しくしてやる」
「秀麗は絶対駄目だこの仮面男ッ!! 真朱なら勝手に持ってけー!」
「そこで俺を速攻売るかこのクソオヤジィィィィっ!? 鳳珠さまに嫁いだら全身全霊をかけてうっかり良妻賢母になるぞ俺はっ!?」

 円満解決じゃねーか。

「嫁に来るか? 真朱」
「あぁやめて心が揺れるもしかしてこれが乙女心!? なんか色々覚醒しそうでコワイィィィィ」
 からかわれているとわかっていても、仮面の下の美貌を知るものには心臓に悪い。新世界が見えるよ。あらゆる意味で薔薇色な未来だ。
「真朱は煮るなり焼くなり好きにしろッ!! だが秀麗は絶対駄目だからなっ!! 絶対許さん!!」
「………最悪の父親だな」
「百年前から知ってます」
 捨て値で叩き売られた義娘ははんっと男らしく鼻を鳴らす。双方言いたい放題のやりたい放題だが、この父娘、これで仲が悪くないから相変わらず不思議だ。
「邵可殿と二人で食事できたのだろう」
「そーだそーだ! それに黎深さまのへたっくそな折鶴、秀麗さま喜んでくださったじゃないですか」
 黄鳳珠と李真朱。
 対錯乱紅黎深、外野最強の抑止力である。
 それで満足しておけと、瞬く間に紅黎深を黙らせた―――拍手。




「しつこい茶渋は塩で落とすんですそんなことも知らないんですかあなた方は」
「油汚れは蜜柑の皮などで一度拭うと早いですよー」
 静蘭の教育的指導に、毛布に包まり父茶をすする真朱の主婦の裏技が飛び交う。
「米ぬかはゴミじゃありません捨てないでください。床磨きに使うんです」
「お茶がらは箒を掃くの前に床に散らすんですよ。そうすると埃が立たないんですー」
 、男ながらオレン○ページレタ○クラブを定期購読していた男。ネタに事欠かない。
「竈の油汚れはお酢で磨くんです」
「鍋のコゲには重曹がいいんですよー」

 静蘭と真朱は視線を交わした―――やりますね、えぇあなたも。

「………真朱殿、顔色を変えず邵可殿のお茶を飲んでるんだけど……」
「冬は味覚が壊れてるからな……しかしこれほどとは……」
 お兄ちゃんも吃驚だ。あの父茶を色のついたお湯くらいにしか思っていないのか。
「余は役に立つ、役に立つ男なのだーっ」
 がっしょんがっしょん金タワシで鍋を磨く国主。頑張りすぎて鍋の塗装がはげて静蘭に怒られてションボリ。
 戦力外通告を受けて傷心の王様を真朱が手招きする。
「鶴、折り方教えてあげます。普通手ぶらで来るか? バーカ」
「ぐぅっ……黄尚書と真朱が一番男らしく恰好良かった……余は負けてばかりなのだ」
「ったりめーだ年季が違う」
 まだ、真朱のほうが年上だ。
 ―――まだ。
「ほれ、まず正方形の紙を作って、最初は三角にして……」
「……余も花を折りたい」
「………出来るかなぁ? あれ上級技だぞ?」
 日本人でも折れるかどうか、難しいところだ。折り方を知っていて忘れていないだけ真朱はすごい。
「―――枯れない花があってもいいと、思ったのだ……」
「……なんか思うところがあったっつーことか? まぁ間に合わんかもしれんが、教えてやる」
 ここのところ寒さで輪をかけて不機嫌で、寝る前は劉輝の要望の名作劇場をまるで聞きいれずに季節外れの怪談百物語を蝋燭の下切々と語り王様を恐がらせて溜飲を下げるという新手の意地悪を披露してくれている性格の悪い女官は、その代わりなのか今夜はちょっと優しかった。昨夜の怪談、牡丹灯篭は王城に溢れる怪奇話と一線を隠した不気味さでとってもとーっても恐かった。おかげで王様ちょっと寝不足だ。恐くて厠にもいけない。粗相したらどうしてくれるのだろうこの女官。片付けるの主上付きの自分だとわかっているのか。多分わかってない。
「この紙細工は、祈りを形に残すものなのだな」
「んにゃ……レトロな子供の遊びっす」
 れとろ?
「でも、千羽鶴とかは……そうなのかも」
 深く考えたことなどなかった。一度も。
「あ、そーだ。教えてやる代わりに俺のことちゃんと後宮に持って帰れよな。そろそろ充電切れて俺寝るから」
「………それは構わぬが………絳攸の目が……」
「頑張れ」
 清々しい笑顔だ。確信犯か。


 秀麗の懸念もむなしく明日の執務は滞るだろう。恐らく寝不足と精神攻撃で。
 ―――外はいまだ雪、にぎやかな厨房は火元もないのに暖かかった。








(この後、主人公を抱いて帰るのは王様なので、なにげにすりすりコンプリート。王様案外スリスリ虫に慣れています)





モドル ▽   △ ツギ



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