真朱は楸瑛を気に入った。
 なんてったって武官。基礎代謝が高いからか平熱が高い。イコールあったかい。微妙に平熱の低い絳攸よりあったかいし、これも知らない腕ではない。ムカツクほど広い胸とかムカツクほど慣れた腕とかとかとかとか。あれ微妙に嫌な記憶の琴線に触れるような触れないような? 思い出すな危険。
 それさえ無視すれば、照れたりマジで嫌がったりする兄と違って、楸瑛は面白がってぬくぬく包んでくれる。こりゃーいいやってなもんである。
「ぬくぬく〜」
「うーん……本当に持って帰りたい」
「それは幻だ。いいか幻覚なんだ。暖かいところに入ったら元に戻るぞ。馬鹿を見るぞ」
「ははは絳攸馬鹿を見たのかい?」
「馬鹿はそいつだぁっ!!」
「人の家の前で何やってるんですかあなた方は」
 あんたら全員が馬鹿だと氷柱の如きツッコミが入った。
 言うまでもなく、静蘭である。がっちゃんばったんと怪音の聞こえる厨房をハラハラと振り返りつつ出迎えに来てくれた家人はいつもより多めに凍えています。
 そうだ、見舞いに来たのだ。真朱が面白おかしく傍迷惑にラリっていて当初の目的を忘れるところだった。
「――見舞いに来た。病に効く野菜や薬を持ってきた」
「秀麗殿は大丈夫かい? なんなら藍家の専属医師を呼ぼうか?」
 耳元で聞こえた兄と楸瑛の声に、真朱もさすがにこのままでは何しに来たんだかわからんともぞもぞ動く。
 むずがる幼子のような仕草に降りたがっているとわかった楸瑛が真朱を降ろす。
 おぼつかない足取りの真朱は三人の青年に背を向けると、おもむろに壁に頭を打ち付けた
 驚いたのは楸瑛と静蘭で、絳攸はと言えば無言のまま荷物から湿布を取り出していた。




だらっしゃああぁぁーーーーーっっ!! 李真朱、秀麗様のお見舞いに馳せ参じましたっ!!」




 淡雪の如く、スリスリ虫は幻想と消えた。
「うわ〜………」
「だから言っただろ」
 あまりにオトコらしい気合の入れ方と雄たけびに楸瑛は感嘆し、絳攸は自分で瘤をつくった馬鹿妹の額に湿布を張った。
 役立たずが一瞬にして最強の援軍と化した。
「―――よくおいでくださいました。旦那様が厨房を破壊しつくす前にお嬢様にご飯を作って差し上げてください」
 ちょっと声が引き攣ったが台詞自体は如才ない静蘭はおさすがである。
「お任せあれ」
 がっつり手を組む静蘭と真朱。
 一歩離れた距離で会話をしていたこの二人が、気がつけば遠慮のないやり取りをするようになっていた。いつの間に、と驚く傍ら、静蘭と真朱、世界征服が出来そうな二人だと絳攸と楸瑛は思ってしまった。あまりにも洒落にならない想像だった。
「藍将軍と絳攸殿も手伝ってくださいね? ちょっと猫の手も借りたいところなので」
 猫の手呼ばわりに双花菖蒲は沈黙するが、復活後真朱と比べれば猫の手だろう。静蘭の迫力に押され頷いた。






「あまり水仕事はするな」
「うん」
 しもやけあかぎれで済めば勿怪の幸い、下手すると凍傷を起こす妹の指先を案じて絳攸が水仕事を請け負う。邵可に破壊の限りを尽くされた厨房は惨憺たる有様で、見舞い陣営は一瞬宇宙を見た―――あれに見えるはウルトラの星?
 何をどうすれば厨房が爆発するのか真朱は化学知識を総動員して解析したいという誘惑を断腸の思いで振り切った。
 真朱の登場に出番を失った邵可はなおも何か仕事をしていないと落ち着かないのかソワソワしている。
「旦那様。ご飯は私たちで作りますからお嬢様についていてあげてください」
「え、そうかい? でもせっかくやる気になってたのにな……」
 まだ破壊活動が足りんのかと戦慄したのは真朱だけではあるまい。
「で、ではこれの味見していただけますか邵可さまっ! わたくし今ちょっと舌がおかしくて味がわかりませんのっ!!」
 泡を食って真朱が差し出した湯飲みの中身はとろりと白い液体。
「えっと、これは?」
「甘酒です! 風邪に良い完全栄養食品ですしかも安いっ! いかがでしょうかお味がよろしいようなら秀麗さまに運んで差し上げてください!」
「――うん、おいしいよ。飲みやすいから秀麗も喜ぶね」
 そう言って邵可はいそいそと甘酒を盆に乗せ運んで行った。
「―――お見事です真朱さま」
 邵可の面子とやる気を保ちつつ放逐してのけた少女に静蘭が賛辞を贈る。誰でも出来る味見から運搬という仕事をお願いするその手際、見習おうとすら思った。そうかその手が。
「いえ味見は本当にお願いします。マジで舌の感覚ないので」
 冬の李真朱の味覚は当てにならない。それもこれも薬湯のおかげだ。
「これ砂糖?」
「それは塩だ」
 ボケの入った老夫婦のような兄妹のやり取りに本気だと悟る。今日の夕飯は大丈夫だろうか。
「……えーっと静蘭。わたしは包丁を持ったこともないんだけど」
「包丁はともかく剣は毎日持っているでしょう。同じ刃物、似たようなものです」
「静蘭殿静蘭殿静蘭殿ー。その理屈で行くと秀麗さまは国一番の剣の達人になりますよ。俺だって将軍になれそうです」
 ぱったぱったと手を振って真朱が静蘭の三段論法をたしなめる。
「というわけで藍将軍は味見をお願いします」
 邵可並みっ!?
「……仕方ありませんね。絳攸殿は料理の方は?」
「簡単なものなら何とか」
 そういいながらも絳攸の手際は悪くない。あまり器用そうには見えない青年なのだが、妹の指示に応じて動く分には充分な戦力だった。
 恐らく冬、あまり水仕事が出来ない妹の手の代わりを毎年務めているのだろう、意外なほど手慣れている。あまりにもらしい理由にたどり着いて、楸瑛と静蘭はなんともいえない思いを味わった。まるで体の弱い妻を助ける夫のような姿だが、そう指摘したらこの兄妹、赤くなるより前に青くなって二人揃ってひっくり返ること請け合いだ。つくづく複雑怪奇な兄妹だ。
「つまり役立たずは藍将軍だけということですね。あなたその辺の片付けでもしていてください」
「………静蘭。わたしは一応君よりはるか高位の武官なんだけど」
「じゃー藍将軍、そこの冬瓜一口ぐらいの大きさに切ってくれます?」
 真朱が風呂敷から取り出したまるっとした冬瓜を受け取って楸瑛は押し黙る。
 どうやら邵可邸は治外法権らしい。俗世の官位や血筋など毛ほどの価値もないようだ。実力本位、しかも家事有能者が最高権力者。秀麗不在の現状、ツートップを張るのは静蘭と真朱だ。なんだか寒気がするのは隙間風のせいだけではあるまい。恐怖政治の予感大。
 楸瑛は生まれて初めて包丁を握った。







 冬瓜の肉餡かけ、冬野菜てんこ盛りの食べる味噌汁、炒め物にお吸い物。和洋折衷ならぬ和彩折衷と言ったところの食卓が完成する。真朱主導と静蘭主導でメニューがぱっくり分かれた面白い食卓と相成った。
「秀麗は良く寝てるから、先に私達がご飯にしよう」
 食事の支度を終え、静蘭が邵可を呼びに行ったら続いて食卓に現れた紅黎深と黄鳳珠の姿に正面突破見舞い組みが飛び上がった。
 特に李兄妹。養い親の登場にマトリックス並みに仰け反った。
「な、なななななんであなたがっ!? ていうかどこからっ!?」
「窓しかねーだろ。窓窓」
 真朱が推察した侵入経路正解。
「叔父が姪を見舞いに来て何が悪いんだね。君たちこそ私の知らぬところでずいぶん抜け駆けをしているようだねフフフいい度胸だあとで覚悟したまえ」
「自己紹介済んだの?」
 少女の最もな疑問に黎深はせっかくカッコつけて扇を広げたのに石像と化した。
「見舞いに来た不審人物じゃねーかっ!!」
「なな、なにおーっ!? 言うに事欠いてこの私を不審人物とは何だ真朱っ!?」
「いっだあぁぁぁぁっ! 図星刺されたからって扇投げんなよーっ!!」
 額の瘤の上にヒットした扇を引っつかんで投げ返す。
 かーん。


 黎深と真朱の脳内で、高い鐘の音、決戦のゴングが鳴り響いた。


 ぎゃあぎゃあと低レベルで争う紅黎深とその養い子その二。どったんばったん取っ組み合いをする姿は絳攸よりもよほど兄妹喧嘩めいて見えたのは何故か。
「………飯が冷める」
 真朱ほど養い親に対して気安くはなれない絳攸だが、ある種の見るに耐えない骨肉の争いをサクッと無視して食卓を指差すのはさすがかもしれないと誰もが思った。慣れてる。あはは仲がいいねーと笑っている邵可も凄い。
 紅尚書とその養い子二人は、三者三様それぞれ三方向に才気走った鬼才である。
 ―――ピンで立っていれば他を受け付けないほどに鋭利な才人が、揃うと三者三様それぞれ三方向に突き抜けたただの馬鹿となる。黎深しかり絳攸しかり真朱しかり。
 誰もが紅家別邸の彼らの生活を想像しようと試みて、無残に失敗した。





 ―――変な家族。










(当人たちは本気で嫌がってますが、普通に立っていると若夫婦に見られる兄妹と年の離れた兄妹に見られる義理の父娘。超変な家族。奥方が混じるとどうなるのだろう…)




モドル ▽   △ ツギ





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