彩七家筆頭紅藍両家の持つ専売特許は数多く、数知れない。
 そして紅家の専売特許商品の幾つかを開発したのは李姫、真朱であると知るものは少ない。
 その一つに紅茶がある。
 紅の名を冠したそれは、緑茶葉を一度発酵させたものだという。琥珀色の薫り高いお茶は、いまだ市場に出回るほど作られてはおらず、楸瑛といえども何度か口にしたことがある程度だった。
 それが今、目の前で湯気を立てている。
「花菖蒲、ですか」
 お茶を入れているのは李真朱。吏部侍郎たる絳攸の姿はここにない。彼は養い親兼上司である黎深に呼ばれ、多分迷子になっている。
「あぁ。さっきね。なんと生のまま」
 対面に座るのは左羽林軍将軍、藍楸瑛。真朱と二人っきりだ。絳攸がいればまた喚くに違いない光景だ。しかも後宮の真朱の部屋だ。後ろには寝台もある。卒倒するかもしれない。
 忘れようもない初対面から早幾年。楸瑛は先日彼女の兄の絳攸に語ったとおり、真朱を妹のように思っている。艶ごとには向かない出会いと人格だったが、真朱は聡く会話も弾み、時折思いもよらない考え方を口にしたりとなかなか興味が尽きない。保護者が極めつけの難物だと知った今はもう戯れにも口説こうとは考えないが、楸瑛は別に真朱を恋愛対象外に置いた覚えはない。
 ただ、遊びには向かない女人だと安置していた。
 真面目というのも少し違う。堅いわけではないのだが、真朱は男女の仲に酷い警戒心を持っているというか、実のところ元男だ。
 男相手に恋愛できるかというのが本人内心の弁。
「後宮のことはお任せください……と、言いたいところなのですが」
 真朱は吐息を零した。
「わたくしに出来ることなんて食べ物の毒見ぐらいですわ。その他に関しては主上のほうが手馴れています。何のために召し上がったんだかさっぱりわかりませんわ。役立たずで申し訳ございません」
「それはわたしたちの仕事だから真朱殿が思い悩む必要はありませんよ」
「つくづく……」
 役にたたねーなーと真朱は天を仰ぐ。
 それでも気づいたことは報告することにする。
「……お気づきでしょうが、二種類。わたくしでも気づく程度のものと、主上でなければ気づかないもの。稚拙なものと巧妙なものが混ざっております。下手人は後宮内に二人以上か。稚拙なほうが囮かと考えましたが、連携はないように思います」
「それに気づくだけ、あなたも優秀ですよ」
「慰めは結構です……」
 もう少し何か出来ると思っていた。うぬぼれだった。宮廷暗闘なんてつくづく柄じゃない。
「真朱殿の価値は後宮で計れるものではないということだよ。このお茶も美味しい。お茶を一度発酵させるなんて良く考え付いたものだね。こんなにも香りが変わるなんて思いもしなかったよ。紅家はこれをいつから市場にだすんだい?」
 藍家嫡子でなければ気安く聞けるはずもない質問だった。トップシークレットとまではいかないが、紅茶の作り方は紅家が秘匿している。試験的に市場に流した紅茶の味を知っているだけ楸瑛は地獄耳ならぬ地獄舌だ。
「あー。まだちょっと時期を見ているところみたいですね。味の評判は悪くありませんが、今はまだ市場に流せるだけの大量生産の方法を模索している段階で、そもそも開発できた時点でわたくしの役目は御免で、流通に関しては紅家に一任しております。餅は餅屋ということで」
 故郷の味を追求する真朱は自分の分さえ確保できれば以後それがどうなるかは感知していない。しようとしていない。真朱は別に商人ではないのだ。温暖な紅州で、茶葉は蜜柑に並ぶ輸出品で、成功すればまた一財を築くのだろうが、紅家は端から超金持ちだ。微々たるものだろう。
 流通待ち品目は紅茶の他にも前述の味噌、醤油に乳油(バター)、酪乳(ヨーグルト)などの乳製品が並ぶ。これらは試作段階で死ぬほど腹を下した苦い思い出もある。発酵と腐敗は紙一重だ。
 それでも真朱は感知しない。ぶっちゃけ面倒くさい。
「そうか。まぁ紅家なら間違えないだろう。わたしは消費者として楽しみに待つことにするよ。それはそうと真朱殿―――これを」
 楸瑛がそっとさしだしたのは、幾つかの薬包。
「………これは、」
「紅貴妃には主上が朝から晩まで引っ付いているから大丈夫だとしても、君が巻き添えを食らうかもしれないからってね、万能解毒剤」
 真朱は親の敵を睨むように薬包を見据えた。
「……貴重なものでしょう? いただけるいわれがございません」
「主上からだよ」
 差出人の名に、真朱は今度こそ絶句した。
「珍しいお菓子の礼だといってたね。貴女は秀麗殿とも仲がいいから、主上も気にかけるさ。王の花は全てから真綿で包むように守られねばならない。故に君も守護対象だ――受け取りなさい」
 最後の言葉は命令だ。紫の花菖蒲を受け取った王の側近としての。
 絳攸経由で届ければ、真朱が受け取らないばかりか、内心はどうあれ絳攸も"公私混同だ"といって受け取らない可能性がある。
 そのへんの機微を察して劉輝が兄の絳攸ではなく、楸瑛に薬を託したというなら、なかなか気が利くといえるだろう。
「ありがたく――ちょうだいいたします……」
 悔しさがにじんだ。
 ここで更にごねれば役立たずから足手まといに下落する。それは許されない。
「貴女は賢明だ。それは誰もが認めるところだよ。ただ、後宮では優しすぎてそれが発揮できないだけだ。恥じることはない」
「恥じますよ。今はもう、黎深様はわたくしを秀麗さまの話し相手として送り込んだのだと理解しておりますが、それでもなお、恥じるばかりです……」
 その点に関しては端から期待されてはいなかったという事実は、ただ情けなかった。
「秀麗さまの御身を守ることは叶いませんが……心の平穏に少しでもお役に立てるよう、努めます……」
 それこそが、真朱の役割だ。
「うん。やはり貴女は賢明だ」
 楸瑛は笑った。
 真朱は笑おうとして、失敗した。







(頭もいいしそこそこ順応性もあるが、もともとが一般市民。生粋の人々には当然負ける)









モドル ▽   △ ツギ

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