《岐多くとも羊を亡わないように》




 よく冷えた水出し緑茶にぷるぷるの葛饅頭は目にも舌にも涼しく甘い。
 つるんつるん葛饅頭の喉越しを楽しむ熊男の対面で、少女はその様子を呆れたように眺めている。
「喉詰まらせても知らねーぞ」
「ダイジョーブ美味いから」
 理由になってない。 
「姫さんも食えって」
「今は李真だ―――食ってるよ」
 そもそも俺が作ってきたのになんで燕青がしたり顔で勧めるんだとブツクサ零し、侍童姿の李真朱は細い竹べらでチョミと切った葛饅頭を口に運ぶと緑茶で流し込んだ。
 いつでもどこでも不機嫌そうな顔をした姫君である。淡い微笑でも浮かべれば花のように綻ぶだろう唇を引き結んで、眉間に皺を寄せている。"本当に機嫌が悪いわけではないので放っておくこと"、と事前に彼女の兄に取り扱い説明を受けていなければナンカまずいことしでかしたかなー? と不安になったかもしれない。
 話しかければ返事をするし、その返答も険のあるものでもないし、面白ければちゃんと笑うし、怒らせると不機嫌そうなーなどと悠長なこと言ってられない炯々とした憤怒の眼光に晒されるわけで、それと比べたら口を引き結んで眉間に皺を寄せている普段の表情など、不機嫌そうに見えるだけ、でしかないと身をもって思い知るというものだ。
 冷製緑茶をガブリと飲んで、燕青は少女の不機嫌面をしげしげと見やる。

 なんか、眉間の皺がいつもより一厘増し。

「もしかしてさー。李真、甘いものキライ?」
 燕青はなんとなく、そう思った。思ったことをそのまま口に出したら、お茶を口元に運ぶ白い手がほんの一瞬動きを止めた。
「………………一度でも、飢えて死にそうな目にあったなら、口が裂けても甘いものキライだなんて言えないね」
「あー」
 強烈な飢餓に見舞われると、普段は甘いものなど絶対に口にしないような辛党の御仁でさえ身も世もなく泣いて喚いて甘いものを欲するものだ。
 育ちの良い姫君に死ぬほど飢えた経験があるとは驚きである。が、まぁそこは人に歴史ありとでも納得しておく。恐らく迂闊に突付くと大蛇がコンニチワ。
 ―――肯定は出来ない。否定はしない。
 つまり燕青の直感は正しいのだろう。
「侮れねークマだなほんと」
「や、熊じゃねーから」
「侮れねーヒゲだなほんと」
「や、ヒゲでもねーから」
ヒゲだろが。隠してたわけでもないが、指摘されたの初めてだよ」
 苦笑を漏らし、少女はぺろっと葛饅頭を飲み込んだ。
「菜より菓子作りの方が得意なくらいだからか誰にも突っ込まれなかったんだが。実は好物ってわけじゃねーんだわなーコレが」
 だから残り全部くれてやると言って差し出された葛饅頭を、燕青はありがたく平らげた。
「美味いのになー」
「不味いなんて思っちゃいない。ただ甘いモノも辛いモノもしょっぱいモノも同じ腹に入るんだ」
 嗜好的、胃袋の容量的に甘いモノは別腹、とはどーにもいかない。三時のおやつにケーキはいいが、食後のデザートのケーキは食べるつもりで腹を余しておかないとまず厳しい。朝一番は問答無用で無理。だから紅家の朝食は試練である。三日にいっぺん汁粉。朝から汁粉。夏でも汁粉アツアツだ。なんかの我慢大会か。夏くらいせめて餡蜜にまからんかとぼやき続けて早十年。小豆一粒たりとも残したことのないこの無駄な根性、ひそかに自慢だ。
 今はおやつの時間だが、昼食に夏バテ対策としてニラレバを白米に乗っけて丼でがっつり掻っこんでいた真朱におやつを食す余裕は(胃に)ない。
「でも作るのは得意ってのも変わってんなー。この葛饅頭も絶品だし」
「そらどーも」
「なんで作るのは得意なんだ?」
 当然の疑問だったが、真朱はむっつりと沈黙した。

 ―――切欠は、ホットケーキだった。

 虎がぐるぐる回って溶けてバターになる某有名絵本を読み聞かせていたら食べたい食べたいとせがまれて、面倒くさいし材料ないから無理と突っぱねると泣き喚かれ、ギャアギャア喚く幼い弟妹を置いて材料買いにスーパーにも行けず、喚いてなくてもお留守番なんか不可能なクソガキどもをあやしながらインターネットでレシピを検索してミックス粉でなく小麦粉からホットケーキを焼かされたのだ夕飯前なのに(ココ重要)。
 混ぜすぎたのか美味く膨らまなかったし、片面は焦がした。メープルシロップなんて冷蔵庫に常備してはいないから、バターの欠片を乗っけただけの不細工なホットケーキを食わせて泣き止ませた。夕食はめでたく甘口カレーライスからカップラーメンへと変更された。
 不細工で粉っぽくてばさばさしてさして甘くもないホットケーキを、嬉しそうに食べていた。
 ………あれがいけなかった気がする。最初に出来ねぇ無理と突っぱねたのに出来損ないでも作ってしまったのが失敗だったのか。実際当時は父、長男ともにカップラーメン冷凍食品レンジでチンが精一杯の、母を亡くして一家が文化的食糧難に陥っていた頃であり、少年らしいプライドで、料理になんて欠片の興味も抱いてなかった頃の話だ。今思えば変節するにもほどがある
 気が付けばクソガキどもはにーちゃんには不可能など何もないという恐怖の刷り込みが為されワガママは飛躍的にエスカレートし可愛げのあるホットケーキ食べたいからテレビでやってたデパ地下話題の人気スイーツとやらまで要求されるようになり泣き喚かれるとウルセェから与えてしまう悪循環を形成し当時にーちゃんだって高校生ってゆーか受験生で酒も煙草も禁止された社会的には立派なお子様だったにもかかわらず身近なヒーロー兼母親代わりっつーかむしろ奴隷としての地位を確立してしまったとしての威厳があったのかなかったのか今もって謎。

 知りたいような知りたくないような―――知るよしもねぇよ畜生。

「…………………………………………」
「………や、言いたくねぇなら別にいいぞ」
「―――お言葉に甘えよう」

 甘いものを作ったのは、与え続けたのは―――結局、甘やかしたかったからなのだろうと―――健全な精神維持の為に回想終了強制終了。

 甘いモノは苦手だ。
 だけどキライじゃない。
 キライだったことなんてない。
 キライになれなかったんだよ。









 実は甘いものが得意ではない真朱の前から早々に葛饅頭のピラミッドが消えて燕青の腹の中に収まったというのに、侍童姿の少女は相変わらず一厘増しに不機嫌なままだ。
 燕青は強い蒸留酒でも舐めるようにチビチビ緑茶を嚥下している少女を観察する。
 ―――不機嫌な顔をしていても美人は美人だなー、と燕青は素直に思う。たとえ絶賛男装中で、顔面はスッピン上等、乳はサラシで梱包、燕青より短いという脅威の短髪であろうとも、顔立ちが少女めいて整っていることは隠しようがない。が、不思議と印象に残らない顔立ちでもある。美人なのだが、それ以外に形容のしようがないとも言える。
 顔面を構成する部品の一つ一つに特筆すべき特徴はない。"目元が涼しげな"美人だとか、"ぷっくりした唇が可愛らしい"美人だとか、修飾詞の付かない美人だ。部品の配置の妙とでもいうべき美だ。
 ゆえに彼女を"美人だ"と十人中八人(残る二人は特殊嗜好)は評すのだろうが、「どんな風に?」と特徴を訪ねられると押し黙る羽目になる。似顔絵が描きにくい顔だ。
「ジロジロ見んな照れるだろーが俺に惚れたかクマ」
 照れなんて要素の欠片もない超棒読みだった。
「や、美人だなーと思ってなー。でも惚れるとしたら顔じゃねーんじゃねーかなー?」
 真夏日だというのに一瞬にして真朱の顔面が氷点下に突入しガタガタガタと椅子ごと後ずさった。
「何その反応。ちーっと傷つくんだけど」
「ヒゲでクマ。ヒゲでクマひげくま。それでお前まかり間違って俺のナカミに"ホの字"とかいったら自動的にモの字がっ!?
「ホにモ? なにそれどーゆー意」
それを俺に説明しろというのか貴様ッ!!??
「え、ただの質問だろ!? 唐突に逆ギレ!?」
 尾を踏まれた猫のようにシギャアと毛を逆立てた真朱に意味がワカランと首を傾げる燕青。
 何故かしばし空中に火花が散る壮絶な沈黙。
「―――ややこしい外見しているお前にも責任の一端はあると思う。うん。だがまぁ逆ギレして悪かったよ」
 乾いた笑いを漏らしつつわけのわかっていない燕青に謝罪して、真朱はガタガタ椅子を定位置のちょっと手前に戻した。
「………なんだかよくわかんねーけど、ややこしい外見してんのは姫さんのほうだと思うぞ」
「男装中だからしょーがねーだろう」
 仮面尚書にバレちゃあいるが、一応声を潜めて少女は反論した。
「そゆことじゃなくてさー」
「なんだよ」
「まかり間違っても男に惚れられたくないんなら、男ウケしないカッコすりゃいーじゃん、って思うんだけど」
 初見、燕青はウッカリ真朱に見蕩れた。
 惚れちゃいないがしっかり見蕩れた。
 ―――黙っていれば文句なしの美少女。それもご丁寧に化粧を施し入念に着飾った絵に描いたような深窓の姫姿だった。茹るような暑さの中も汗もかかずに涼しげに背筋を伸ばし、温い風が運んだ花の香りが清楚なだった。口を開けばたちまち全ての幻想が破壊されたとはいえ、蹂躙陵辱するかの如く問答無用でブチ壊すくらいなら最初から装ったりしなければ一目惚れとかいう間違いもそうそう起こるまいに、と考えるのは燕青だけではないだろう。
「男って馬鹿だからさー、あんなカンジに綺麗に着飾ったねーちゃんがニッコリ微笑んだら、惚れてる? 俺に惚れてる!? とか思っちまうぞフツー」
「まぁ男はチン○で思考する生物だからな」

 なんかスゲーことしたり顔で言ったこの娘。しかもシミジミと実感込めて。

「えっと……」
「便利だったなーちん○センサー。もしくは性欲。あれさえあれば手に取るように男女の機微から下半身事情までわかったもんだが、今は見る影もなく混線して枯れ果てちまって生物としてそろそろ致命的な気がする。しかしなぁおい、女の全裸も男の全裸……ふふふはははは……駄目だホント駄目だ。どうしようタタナイどっちもタタナイそもそもたつものがないううう人として……生物として……」
 ぶつぶつ、ぶつぶつと聞くに堪えない独り言をのたまって奈落まで墓穴を掘っている美少女に、さすがの燕青も反応に窮する。
「姫さんさぁ……」
オッサンでいいぞ」
 さらっと切り返されてウッカリ頷くところだった。全力で。



「要らない―――そう言うのは、とても難しいじゃんか」



 少し唇を尖らせて、少女は膨れっ面を作った。
「出来ないって言うのは、とても簡単なんだ。ちょっと考えてみろ。恋人が一番わかり易いじゃねーか」
 言われ、燕青は素直に考えた。
 いらないとできない。何が違うか。
 多分、彼女は今物凄く耳に痛いことを燕青に告げようとしている。真朱が褒めたくないから貶した超一級の野性の勘が燕青に告げるている。
「髪の毛ぼさぼさでさ、いつ洗ったかわかんねーよーな服着てさ、すっぴんさらして眉ぼーぼーとかでさ。あからさまに非モテなナリして"恋人要らないのぉ"なんてほざいても"要らないっつーか心配せんでも出来ないからっ!!"って全力で杞憂だって嘲笑われるのがオチじゃんー。蓼食う虫も好き好きというが、初っ端から蓼食う虫狙うのはどんな戦略眼だ。あほすぎ」
 真朱はふんっと吐き捨てた。
「要らないんだ、恋人要らないの。ぶっちゃけヤりたくないの実は絶賛不感症なの。そーいってんのに、周りからは要らないッツーかたんに出来ねーだけじゃーんって思われるのちょっと、カナリ、いやものすごーく俺は癪だった」
 元は結構浮名を流していただけに。
 そのヤローの感覚で、不潔じゃなければ今はいいやと深く考えたくない容姿に関して投げ捨てていたら、所謂"お年頃"にさしかかった暁に満を持してってカンジで紅黎深に嘲笑われた「心配せんでもお前みたいな小娘以下の微妙なナマモノ嫁にしようなんて考える奴は虫しかいない――蓼食うヤツ」倒置法で

 超絶ムカついた。
 倒置法も、紅黎深奇跡の正論も、極めつけとばかりにブワッサァと翻った扇子にも。
 一言も反論できなかった己にも。


 李真朱が黎深に一言も言い返せなかったのだ。アイデンティティ喪失の危機である。
 ナリからして説得力皆無だった。不潔じゃなければいーやって底辺だ。気づけば底辺にいてゾッとした。
「そんで、シャカリキに出来ないんじゃねーよ要らねぇんだよって主張しようとしてみたらあら不思議。姫になってしまいましたと、さ」
 いやもうマジで不思議ーと少女はのたまい、コトリと首を傾げた。
「ほしい欲しいと、欲しいものちゃんと恥ずかしがらないで主張して、欲するものの為に勤勉実直な努力を重ねるのと同じくらい条件揃えてそんで漸く、初めて、イラナイって言えるんだ。いつでも手を伸ばせば届く距離にいなければイラナイって成り立たたなかった。一目惚れ? 誤解? 上等。ちゃんとフってやる。女装も化粧もバッチコイ。全然ヘーキもう慣れた。出来ないと思われるくらいなら、こんなの屁でもねぇーや。むしろ今このまるで似合ってない無理無理感駄々漏れてる男装のほうが果てしなく不愉快。暑さより不快」


 耳が。


「………イタイ」
 燕青は、遠い地に残してきたものを思った。
 今も懐に厳重に梱包して隠蔽してある佩玉が熱した鉄のようだ熱い。顔も熱い。もういいか、もうイラナイだろうと持ってきたはずだ。
 コレを渡してくれた今は亡きジー様は、今の自分を見てどう思う―――出来なかったのかと、失望されたりなんかしたらうわ嘘マジかよっ!?
「うむ。イタイ実体験だった今に見てろ紅黎深てゆーかあの人未だ言うしなっ」
 イイ男は素直にムカツクから軒並み振って歩いて鬱憤を晴らしつつ歩く美貌の広告塔として自社にも貢献、目のやり場に困った兄の眼がうようよと泳ぐのも面白い。だから女装も化粧もバッチコイ。もう平気。
 全然ヘーキもう慣れた。慣れたったら慣れたのだ誰がなんと言おうと、毎日毎日鏡を叩き割ろうとする衝動と激闘しようと――― 慣 れ た の だ 。 よし。

 そしていつかヤツに「ナント美しく育ったのダさすが我ガ娘コノ私が直々に国一番ノ花婿を探しテ選んデしんぜヨウ」とか言わせてみせるのが目標―――て、なのになんだこのド級の悪夢は!? 妄想ですらカタコトとなるありえねー黎深の言動×人生の墓場直下降というナイトメアコラボっ! 真性の悪夢じゃないかっ!!


 ―――気づき愕然とするがやっぱ言わす。絶対言わすいつか言わす。
「フフフフフフフフフフ」
 自虐の極みでも気にしない。目指すことに意義があるのだ。恐らくコノ国が滅びても実現不可能だから安心して目指してやるあははは畜生。
「じゃなくて………うああぁぁぁ顔から火が出そうっ」
「やめろどんな芸だってゆーか俺だってさすがに暑いっつーてんだろーがっ!!」

 なんか悶えるクマ男と、なんか燃えてるエセ侍童は、仮面の尚書が手ずから放った書翰が後頭部に直撃するまで悶えに悶え、静かにぷすぷす燃えていた。





(なんか巧く挟みこめなかった+お下品だったので没にした本編の一片リサイクルそのに。なんか色々スイマセン)





モドル

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