きっかけは、少女の小さな足の裏で一生を終えた小さな虫の五分の魂、その怨嗟だったかもしれない。

「お嬢様サイコーっっ!!!」
「お嬢様素晴らしいっっ!!!」
「お嬢様愛していますっっ!!」
「お嬢様私を抱いてっっ!!!」

 感極まった侍女たちが歓声の中、なにやらギリギリの発言をしている。

「…………えーっと」
 その輪の中で、当のお嬢様といえばまんざらでもないけど反応にも困る、といった複雑な面持ちで立ち尽くしていた。
「…………何の騒ぎだ」
 華やかといえば聞こえは良いが、色をつければ末期色(マッキイロ)。そんな耳障りな歓声に眉を顰めた絳攸が侍女の輪から遠く離れたヘタレな位置で疑問を投げた。
 兄の質問に顔を上げた妹は、はおもむろに布沓を脱ぎ、その沓底をぺろりと見せ付けた。


 圧殺された油虫(/ゴッキー)が無様に潰れている。


「イヤーーーーーッッ!!! お嬢様見せないでイヤアアアアァァァァァァっっっっっ!!!!」
「ゴキしとめた。プチッと」
 たちまち恐慌に陥る侍女たちを尻目に、平然と戦果を報告する見た目は可憐なのにトコトン剛毅なお嬢様がそこにいた。
 コレが妹。
 李絳攸は人生何度目かになるかわかったもんじゃない感慨を抱いて視線を彷徨わせた。というか油虫の成れの果てから目を逸らした。彼とて真っ向から視線に収めたいものではない。
「………お前には苦手なものがないのか」
「わかんね」
 肩をすくめた彼女だって、自分でも意外なのである。
 元の世界でもGハンターであったのは事実である。一家に一人Gハンター。おもに台所を預かり守る者の使命である。丸めた新聞紙、スリッパあたりが由緒正しい武器であり、スプレーとか罠だとか泡なんかは文明の利器もとい邪道である。ただし掃除機は創意工夫に分類される。
 彼は母の亡き後台所を預かるGハンターだった。つーか母は虫も殺せぬたおやかな人だった。ゆえに母の在りし日々もGハンターであった。もはや熟練の域である。故にGに関しては鋼鉄の心臓を維持しているだけなのだろうが、東京生まれの現代っ子にしてなかなかお目にかかれなかった生物とて案外平気にハンティング出来てしまう己の根性、むしろ―――感性が………。

 テレビや図鑑で知ってはいたものの、間近で見たのはハジメテでした蛇。
 公衆衛生の発達した世界では中々日の目を見ないドブネズミ。
 壁に張り付いてるのを発見して嬉々として尻尾切りましたトカゲ。
 野宿中に空から落ちてきましたムカデ。
 第一種接近遭遇の次の瞬間には一撃で仕留めていた。数々のゲテモノたちを想起して、この辺全部平気だったと回想を遮断する。

「ふむ。では、試してみるか」
「いたの黎深さま。つか何その不穏な提案」
 いつの間にかそこにいて、パタパタ扇子を仰いでいた義父の思いつきに少女はイヤァな予感を―――ロクでもないに決まっているから最早予感ですらない、確信だ。


「真朱に恐怖の悲鳴を上げさせたものに金百両の褒賞を出す。皆の者、やってみろ


 黎深の高らかな宣言に、先ほどのGハンターを称えたものとは別種の歓声が湧きあがった。
「ちょっ、俺の意見ガン無視っ!? 何その嫌がらせっ!?」
「ただの嫌がらせではない。私の公認だ」
 保護者公認の嫌がらせ?
「なお悪いっ!?」
 周囲を見渡すと、侍女も家人も金百両に釣られ目の色変わっている。
 
「空気読めちゃう自分が憎い。ここで俺が嫌がったら俺が悪者ー?」
 なんせ褒賞は金百両。そこそこの贅沢しても5年は遊んで暮らせちゃう大金である。
「…………俺が、最後まで恐怖の悲鳴を上げなかったら、金百両は俺の懐に転がり込むんだろーな黎深さま?」
「好きにするがいい」
「乗ったァァァァァァァ!!!」
 少女のオットコらしい承諾が得られ、此処に企画原案スポンサー紅黎深、審査員李真朱、挑戦者紅家家人一同のバカ企画、ゲテモノ評議会の開催が決定した。
 溜息をつく常識人は俺だけなのかと、我が家で孤独を深める青年が一人いたとかいないとか。




 


 合言葉は"生理的嫌悪"である。
 恐怖の悲鳴とて状況により多々あるが、第一回ゲテモノ評議会の優勝条件である李真朱の悲鳴は"生理的嫌悪"でなくてはならない。
「そらーな。俺だって目の前に人食い虎とか人食い熊ががおーときたら絶叫して漏らす
 何を。
「その悲鳴は本能的恐怖ということで除外、か」
 絳攸は華麗にスルーした。
 つまりダイレクトな命の危機に際する恐怖の悲鳴は当たり前すぎて面白くないのでアウト。
「そゆことそゆこと。例えば俺は平気だけど油虫だってさぁ、害虫は害虫でこの上なく害虫だが、別段毒を持っているとか病気を媒介するだとかいう厄介な性質は保持してないのに超嫌われんじゃん。命の危険があるわけでもないのに駄目、嫌い、キモい。理由なんかなくて問答無用で嫌い怖いキモい。そんな悲鳴が優勝条件」

 ペタペタ、もそもそ、ゴソゴソ。

 そんな音を立てる黒い布をかけられた水槽が慎重に運び込まれて壇上に並べられている。
 家人一同が七日間の猶予を持って根性入れて彩雲国各地から掻き集めたゲテモノたちであろう。あぁヤダヤダ。
「それはまたなんとも曖昧な基準………でもないな」
「でもないんだわこれが」
 お祭り騒ぎに乗り損ねた男、絳攸が少女の傍で何をするでもなく刻々と設営されていくお祭り会場もといゲテモノ評議会会場を遠い目で眺めている。紅家別邸の絢爛風雅な庭に当主公認の、今はまだ姿は隠されているが十中八九ゲテモノであろうゲテモノたちがワサワサと終結している目の前の光景にただただ頭痛。
「お前は昔から意地っ張りだ」
「んむ。そゆことだな」



「面白い。一度聞いてみたかったんだ俺も参加する
「ブルータスっ!!??」



 驚愕。
「え、ちょ、マジで!? つか今更用意できるのか!?」
「心配するのはそこか。問題ない」
「えぇ問題ないのっ!?」
「今から持ってくる」
「エーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!??」
 すたすた行ってしまった兄の背中を愕然と眺めてしまう少女が一人。
 入れ替わりとばかりにやってきた諸悪の根源、企画原案スポンサー兼問答無用の優勝候補が扇子片手にニヤニヤしている。
「…………飛び入り、認めんすか、黎深さま」
 立ち尽くしたまま視線も向けず、真朱は虚ろに尋ねる。
「参加制限などもとよりない。クク、まさかの伏兵の参加表明だな真朱」
 呆然絶句している少女に嬉々として追い討ちをえぐりこむ。
「え、夢?」
「現だ」
「え、だってあり得なくない?」
「認めろ」
「え、嘘だろ。マジ、マジですか?」
 少女は愕然としておろおろしている。珍しい姿である。
「絳攸が、俺の嫌がることを率先してやるっ!? やるのっ!?」
 驚愕は裏切りではなくその一点に尽きる。
「往生際が悪い。認めて兄の自立を喜べ」
 真朱は冷え冷えとした視線を黎深に向ける。
「「―――ッケ」」
 父娘は同時に吐き捨てた。



 


「はい驚愕の展開です。司会はワタクシ李真朱。審査員も勤めております人手不足。つーか司会もいないくらいこぞって参加されている俺は実は嫌われてんじゃないかと心底思ってちょっぴり落ち込んでます皆のバカーーーーーーーーーーーーーっっ!!」
 厚紙を丸めて作った即席メガホンで真朱は絶叫した。

 だーいすーきだーーーーーーー、という参加者兼観客のノリノリの応えに涙がちょちょぎれた。言動不一致だコンチキショー。

「〜〜〜〜ありがとうよっ!! そんなかんじで始まりました第一回当主主宰ゲテモノ評議会!! 優勝者にはナント驚き濡れ手に粟の金百両! 優勝条件は簡単だ! この、可憐な美少女李真朱に恐怖の悲鳴をあげさせるという人としてどうかと思う最低さだ!! お前ら心痛まんのかーーーーーーーーっっ!!??」

 いたみませーーーーーん、という参加者兼観客の正直な返答になんか目頭が熱くなった。
 ちょっと己の言動を省みる。あぁ駄目か、駄目だろうきっと駄目だ。見た目が可憐でも中身がバレバレている。むしろちょっくら鼻を明かしたくなるふてぶてしさじゃないか我ながら。納得だ。
 がくり。

「………恐怖の悲鳴といってもコチラは簡単じゃあないぞっ! 合言葉は"生理的嫌悪"だ! 命の危険があるような大型動物や凶悪動物は論外です! フツーに叫ぶからなァァァっ! 怖くないけどキモチワルイ! ここが焦点! 言うまでもないだろーが、俺ァ一筋縄じゃいかねーからなぁぁぁぁぁぁ!!」
 それこそ宣言するまでもない。
 そもそも発端はその一筋縄ではいかない複雑怪奇に糾える強靭な真朱のド根性である。天道虫に悲鳴を上げるような正真正銘の可憐な乙女であったらまずこんなバカ企画が持ち上がることすらなかったに違いない。
「参加者は団体と個人が入り乱れ! 勤続二十年、生え抜き家人一同団体!! 黎深さまのほくろの数と位置も熟知しているとかいないとか!! だが俺のほくろの位置は知らないだろうワハハハハハっ!!」
 司会、やけっぱち。
「続いて侍女団体!! 勤続年数は先の団体に劣れども、俺の素っ裸を知っているのはコチラの方だー! 女性ならではの観察眼で戦います!!」
 胸の谷間と左の腰骨ー! という応えが返った。
 一番際どいところにあるほくろの位置をドサクサでバラすなこんにゃろ。
「続いては個人参加です優勝候補! つーか諸悪の根源我らが当主紅黎深さま!! なにアタリマエって顔して参加してやがるアホかーーーーーーーーーっっ!!」
 フン、と鼻で笑う高慢ちきな義父をひな壇から睨みつけると睨み返された。負けず嫌いめっ。
「最後オォォォォ!! 誰が予想したコイツの参加! 静観は作戦だったのか我が兄李絳攸!! 突然の間際になっての参加表明!! 裏切り者めー!! 三日は口きいてやんないからっ!!」
「え!? おいコラちょっとまてっ!?」
「そこで本気で泡を食うからお前は尻にひかれるんだ阿呆」
 スコーンと青年の眉間に扇子が突き刺さった。同情なんかしない。
「解説兼特別審査員は奥方百合姫! 紅家最後の良心です! 参加辞退の台詞が泣けます、「娘の悲鳴を聞きたい母親がいるでしょうか。いるわけがございません」ときた! 俺は感動した! だが黎深サマを止めてはくれないんですねー……」

 壇上の特別席から優雅に繊手を振る、母の愛って―――母の愛ってさァ?

「結果として出展は四品? あれ参加人数に反比例してたった四品? 家人の皆さん団体出品でホントいーの? 賞金も山分けじゃなくて小分けにならない?」
 一通りの参加者を紹介してから、真朱は首を傾げた。
「アホか気づけ。彩雲国広しといえど、すでにお前は眉一つ動かさないことが判明しているゲテモノの方が多いんだ」
 至極冷静な兄の言葉に、真朱はぽくんと手を鳴らした。





 んでもって一言も発さずにそっぽ向いた。ぷいっと。





 ―――無視だ。
 無視した、無視したぞ。さすがお嬢様有言実行ォォォォ!!! お気の毒に絳攸さま、石化したぞー。

 小波のように観客席からざわめきが広がる。
 勤続二十年を誇る家人らはクワッと目を見開いた。およそはじめてみる李兄妹の冷戦だっ。
 開始前から、絳攸の参戦に真朱の冷戦と波乱続きのこの展開。


 悪寒が走ったと彼らは後にシミジミと語る。








「サクサク行きましょう。登録番号其の弐、男性家人一同の出品。ごらんあれー」
 フワサァ―――っと真朱は黒幕を翻す。




 ゲコ。




「っ――――――」
 司会兼審査員のお嬢様の沈黙に一同息を飲む。
 が。
「かえる。かえるカエル蛙。蛙ですねぇ。おぉデカイ。この大きさの蛙を見つけるのには一苦労なさったことでしょうオホホホホホホ骨折り損っ!! ご丁寧にイボまでつけて! イボガエルですわねっ! 特大のっ!! オーッホッホッホ!!」
 高笑った。

 あぁ駄目か。観客席では白目を剥いている侍女や苦手なのだろう男性人の腰が引けている代物なのに。

 玻璃製の水槽に張り付いてグェーコゲコ鳴いている疣蛙をマジマジ見詰めたお嬢様は、その白い手をそっと水槽に差し入れ、片手よりもはるかに大きい両生類をガツッと掴んだ。
 ―――つまり触った。
 掴んだかと思うと両手で持ち上げ、眼前まで抱えてみせる。
「オホホホホ蛙さんも可哀想にねぇ。こぉんな狭くて暗ぁい処に閉じ込められた挙句一銭にもならなくて。もういいのよ、よぉく我慢しましたね。さ、水辺へお帰り
 抱えたままひな壇を下り、てけてけ歩いて池の縁に辿り着くと、少女は蛙を自然に帰した。てゆーか振りかぶって、投げたァァァァァ




 ぼっちゃーん。




「――――ッフ」
 パンパンと手を払い、少女は傲然と胸を張った。

 結果―――お嬢様圧勝。

 





 


「さぁって気を取り直して登録番号其の参ーーっ! 侍女有志一同の出品!! さぁブツはなんだぁっ!?」
 この調子ならチョロいもんだぜ。
 少女がそう思ったかは定かではない。しかし明らかに調子づいて司会兼審査員は蛙ブン投げた手も洗わずに次なる黒幕を取り払った。
 出品者である侍女たちは期待と不安に祈るように手を組んでいる。




「――――っ?」
 現れた意外な生き物に、真朱はちょっとだけ目を見開いた。
 そう来たかっ!!





「うさぎ。うさぎウサギ兎ー。それも仔ウサギ、仔ウサギです!! プルプル震えています! 寂しいと死んじゃうナマモノです!! てゆーかこれゲテモノですかー? 特別審査員の百合姫、どうです?」
 訊ねられた百合姫は"許可"の札を上げた。
「許可です。許可が出ました仔ウサギちゃん! 出品者たちの魂胆は知れています。人が嫌がるゲテモノを嫌がらないのなら、人が問答無用に胸を締め付けずには要られない愛らしい小動物のほうが実は苦手なのではっ!? こーゆー思考回路ですねっ! 悪くない、悪くはありません、実際握りつぶしそうでイボガエルより苦手かもー」
 司会者冷静に己を分析して実況。
「ああぁもしかして! ンッキャーーーーカワイーーーー(棒読み)!! という悲鳴を期待したのかもしれませんねぇ。ふんふん。だがしかし」
 真朱はイボガエルよりは慎重な手つきで水槽からプルプル震えるナマモノを取り出した。
「くくくあはははふははははは!! 母性本能を期待したかなァァァ!!?? あるかそんなモン!! あってたまるかっ!!



 声も高らかに断言した。



「大きくなったら美味しく食べてあげるからねぇ?」
 慈母の如き慈愛に満ちた微笑で手の中の仔ウサギに微笑みかけた鬼畜が一人。
 仔ウサギは少女の手の中でガクプルと失禁した。

 結果―――ある意味痛み分け。






 物事には順序、というかお約束、というものがある。
 優劣を競い頂点を争う催し物において優勝候補はもったいぶらねばならない。エントリーナンバーワン、優勝候補の登場です、予想にたがわず優勝しました、では盛り上がりもクソもないのは古今東西変わらない。
 なので登録番号其の壱である黎深は後半戦に突入(とはいっても出品はたったの四つ)しても特別観客席に泰然と着席したまま優雅にお茶なんぞ飲んでいる。
「…………御大が動きゃしねーんでー、登録番号なしー、飛び入り参加のどっかのブァーカの用意したブツ、みてみましょーかねー」
 さすがに手を洗ってきたお嬢様は、明らかにどーでもよさそーに司会を続けた。
 露骨だ。

「参加表明も直前に突然ですので端っから期待なんかしてませーん」
 テンションの低い司会のだるだるした解説に反して、大半の観客の心情は静かに盛り上がりの一途を辿っている。
 ―――なんだかんだいって、少女と最も付き合いが長いのは飛び入り参加のどっかのブァーカなのである。例えそれが数日程度の差だろうが、それは厳然とした事実だ。
 そんでもって、彼らが傍目には危ないくらい仲の良い兄妹であることは、傍目にはタダの事実なのである。当人たちの心境は紅家別邸七不思議のひとつに数えられるのはこの際横に置いといて
 お互いの長所も短所も熟知しており、得意分野苦手分野、趣味に始まりささやかな癖に至るまでもまた然り。こともすれば本人より相手に詳しいといった点での観客の期待の高さは、人として色々吹っ飛んでいる計り知れない優勝候補に勝るとも劣らない上に、お嬢様本人の比ではないだろうが、ある意味妹には甘すぎる兄である若様の飛び入り参加には、観客一同も度肝を抜かれた。
 半刻もかけずに用意されたシロモノにかけられた暗幕を、お嬢様がヤル気の欠片もなく今正に取り払おうとしている―――。

 ああああああああこの勝負、どう転ぶのかまるで予想がつかないっ―――!!!

 盛り上がる観客を一滴も斟酌せず、真朱は暗幕を捲る。





「――――ひっ!?」





   お嬢様が、息を飲んだァァァァァァァァァァァ!!!!!
 身を乗り出した観客は咄嗟に特別審査員である奥方に視線を向ける。
 百合姫はちょいっと"無効"の札を上げた。上げた!! 無効だ!! コレはコレで珍しいが"ひっ!?"は無効!! 無効ーーーーーーーーー!!!
 司会が役割を果たさないので、観客は脳内実況で勝手に盛り上がる。

 顔を引き攣らせて息を飲んだ真朱は、ジリジリと兄の用意したブツから後ずさる。

「ゆっ、百合様ァァァァァァ!! これ、これ"不許可"だよねっ!? ゲテモノじゃないじゃんイキモノでもないじゃん"不許可"ですよねっ!!??」
 特別審査員というより役割が審判めいてきた奥方へ向けて真朱が泣きつく。そう、泣きついた。
 しかし審判は"ワタクシが法律"といわんばかりに"許可"の札を上げた。
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇ!!??」
「―――ッフ。"許可"が下りたぞ。さぁ真朱、存分に泣き喚くがいい」





 この台詞、吐いたのは黎深ではない―――絳攸である





 無視すると決め込んでなければ"キャラ違くないっ!?" と真朱は絶叫したに違いない。
 その代わりと言っちゃあなんだが、お嬢様はへたりと壇上に腰を抜かした。
「ただし―――泣こうが喚こうが今日こそは許さん」
 注:この台詞も絳攸です。
「みっ―――にょえ、だわっ」
 真朱は断続的に奇声を発してノタノタ尻で後ずさる。審判が上げる札は"無効""無効""無効"。しかし絳攸は委細構わず壇上に進んだ。
 お嬢様の腰を抜かしてあそばした凶悪なる品を片手で掲げる。もう片方の手をおもむろに懐に突っ込んで取り出したるは―――



「さぁ―――食え」



 右手に箸。
 左手に皿。
 皿の上には、牛肉と卵とキクラゲの炒め物

 …………って。

「まだまだ作りたてだ。ホカホカだ」
「―――い、うーっ」
「わざわざ俺が作ったんだぞ。厨房借りて」
「―――っひょう」
「お前の為に作ったんだぞ妹よ」
「―――ぐっへぇ」
 お嬢様が人語を放棄している。これはまた珍しい。追い詰められている。


「食べないなんて、言わないな?」


 色々吹っ切った笑顔の兄が操る箸と、大きな瞳に涙を溜めた妹の唇の距離が徐々に零に近づいていく。





 ぎーーーーにゃーーーーーーーーーーーーーーーーー。





 珍妙にして悲哀の篭った悲鳴が庭院に木霊した。



 結果―――試合に勝って勝負に負ける(双方)。
 








「………うぅ、ウッ、おぇ。うー………ウーウーウーッ」
 胸元と口元をきつく押さえたお嬢様が壇上でもがいている。陸でのた打ち回っている鯉の様だ。ちょっと哀れ。
 我らがお嬢様はキノコ(食材)とコリコリ(食感)が苦手なのである。キノコは食べる。コリコリも食べる。眉間の皺を一本増やすがちゃんと食べる。だがしかし、故に、キノコでコリコリなキクラゲは天敵だ―――とはいえ叫ぶほど嫌いだったとは。
 審判の"有効"札こそ最後まで上がらなかったものの、なんかやり遂げましたーというイイ汗かいて若様は壇上を後にした。
 壇上には前のめりで逆流を堪えているお嬢様が一人。



 結局全部食べたというか食べさせたというか。



 ゴチソウサマと手を合わせたのは一皿平らげ息も絶え絶えなお嬢様ではなく、観客一同だったのは言うまでもない。
「フン、"ぎにゃー"止まりか。情けない」
 すれ違い様、黎深が絳攸をせせら笑った。
「目的は賞金ではなく、いつもいつもいつもいつもいーつーもー人の皿にキクラゲを乗せる馬鹿へのささやかな復讐、もとい教育的指導です」
 つまり目的はちゃんと果たした。ぎにゃー止まりだったが。

 クソ意地っ張りにしてド根性を有する度し難い少女は、"少女らしい"己の鈴を転がすような高い声が大嫌いだ。
 それはどんなに度肝を抜かれても、どんなに反射的な悲鳴でも、金切り声を喉で押しつぶして"ぎにゃー"などと珍妙な叫び声に咄嗟に置換してのけるくらいには、クソ意地っ張りにしてド根性で自分の高い声が大嫌いだ。普段でさえ意識もせずに三音低く喋るくらい大嫌いだ。クソ意地っ張りにしてド根性であまりにももどかしい。

 気持ち悪いのなら、耐え難いのなら―――怖いのなら。声の限り、思うが侭に、叫べばいい。
 激しても平坦な口調や、潰れた蛙のような色気の欠片のない悲鳴を耳にする都度に思う。

 絳攸は、思うのだが。
「ふん、くだらん」
 絳攸の妹への教育的指導はもとより祈りに似た思いすらも"くだらん"の一言で片付けて悪役笑顔きらめかしていざ行かんと満を持して立ち上がった紅黎深がどう思って―――何を考えているのかサッパリわからない。
「真朱っ! いつまでへばっている!! 私の出番だぞ言葉を尽くして褒め称え態度を尽くして敬い尽くさぬかっ―――おぉそうか媚び諂っているのか。ふふん私の趣味ではないが卑屈っぷりがよく似合っているぞ」
「だらっしゃーーーーーーーっっ!!」
 心底素直にムカついたらしいお嬢様は気合一閃、不屈の意地で立ち上がった。

 キクラゲ如きで涙目になるかと思えばこのお嬢様、結局のところカッコイイのかもしれない。黎深様に負けてないから(勝たないが)凄い。

「けぷ―――優勝候補のとーじょーでーす。てゆーかもう疲れたよ俺」
「では哀れっぽく叫び倒して我が足元にひれ伏すがいい」
「うわーい。どこまで人としてサイテーなんでしょかこの人。もうだめ愛してる」
 そこで愛を告白してしまうお嬢様も人として結構底辺低空飛行。
「そんなものいらぬわっ」
「えぇー? 貴重じゃないけど稀少なのに」
 即答の受け取り拒否にプチプチ文句を垂れながら、気を取り直したお嬢様は顔を上げた。


「で? 黎深サマは何持ってきたんですかい。こうなりゃ俺が金百両。負けない」
「こっちだ」
「だからどこだよ?」
 この時、ノコノコ黎深の後をついていったことを、李真朱は本当に死ぬまで後悔し続ける。
 扇の先っちょでチョチョイと誘われ、ノコノコ赴いた即席舞台袖たる衝立の裏で。





「――――ッキャアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!????」





 絹を裂くよな恐怖の悲鳴を上げた我らがお嬢様が、何を目撃したのか、もしくは何を―――されたのか。
 それは定かではない。



 結果―――紅黎深の華麗なる勝利。






(1、慈愛に満ちた優しい微笑 2、愛の告白返し 3、ナマ乳揉まれた―――の、どれかってことで)





モドル

inserted by FC2 system