見事な葦毛の馬が軽快に黄昏の貴陽を駆ける。
 馬上には絵に描いたような貴公子と、その腕の中に絵に描いたような………―――、今、猛烈に傍目自分たちがどう見えているのか考えたくない
「………………乗馬、練習しようかなぁ………」
 舌を噛むから喋らないように。そう楸瑛に厳命されたので沈黙を守っていた真朱がボソリと禁を破った。
 さすがというべきだろう。うん、さすが武官。人通りの多い大通りを人を縫いながら駆けている上に腕の中にはお荷物真朱を抱えており全力疾走とは程遠いのもあるのだろうが、さして揺れない。最初こそ舌を噛むのはゴメンだと奥歯をかみ締めていたのだが、それも早々不用と悟った。
「それもいいんじゃないかな」
 深窓の姫君には不要な技術だが、行動範囲も広く機動力のある少女には出来て困ることはないと楸瑛は軽く相槌を打つ。
 その行動範囲と機動力と反比例するように、少女はいつも徒歩だった。

 自分の足だけで、どこまで行けるのか試すように。

「馬は苦手かい?」
「遠目で鑑賞するのは大好き」
 競馬とか競馬とか競馬とか競輪とか競艇とかとかとか。アレ後半、馬関係なくない?
 ―――自分の運動能力の低さを鑑みると果てしない道のりだろうが、黎深あたりに頼み込めばいい先生を用意してもらえただろう。禁じられることはなかったはずだ。危ないからやめなさいなんて口が裂けても言うはずがない。黎深なら、落馬した真朱を指を差して爆笑する。義娘に指を差して爆笑してこそ紅黎深。それ以外は断言していい贋者だ
 今まで乗馬の訓練を避けていた理由を強いて挙げればアレだ、普通免許保持者のプライドだ。マニュアルだったんだぞ。今更ドーブツに跨れとゆーのかチクショウ。
「でも昔乗っけてもらった時はもっとスッゲー揺れて揺れてケツの皮引ん剥けかけたからなぁ。二度と乗るかと幼心に誓ったもんだ」
「参考までに聞くけど、誰の後ろ?」
「絳攸」
 意外とやることやってんだよねーと思ったのは内緒だ。殺される。
「………まぁほら、絳攸は文官だから」
 武官の必須技能と貴族子弟の嗜みには深くて長い溝があっても致し方ない。

 ―――あれチョット待った。

「まさかそれ以来誰の後ろにも乗ってないのかな?」
「乗ってないな。懲りたから」
「へー………」
 つまり李姫に"遠駆けに行きませんか?"と誘いをかけてもハンッと鼻で断られるわけだ。へーえ。





 どこまで計算だったのか、折を見て絳攸に問い質してみよう。いいネタ拾った。





「―――到着」
 手綱を引いて馬を止めると、楸瑛は真朱を抱えたまま華麗に馬から飛び降りた。
「うぉあー……酔った」
 地上に足をつけてみると、静止しているはずなのに頭がぐらぐら揺れた。運動神経以前の問題じゃねーか。
 乗馬への道ははるか険しいと発覚。真朱は胸元を押さえながら遠い目をした。
「大丈夫かい?」
「吐くほどのもんじゃない……てゆーか幸いにも吐くもんがねぇ」
 黎深に叩き起こされてから怒涛の展開である。飯食う暇もなかったのが幸いした。食い物の恨みは恐ろしいのだ覚えてろ紅黎深。
「テメェら何モンだっ!? 此処をどこだと思ってやがるっ!?」
 ドスの利いた声に顔を上げた。
 楸瑛は少女の癇に障らぬさりげなさで真朱を庇い、真朱はぐらぐら揺れる頭をピタリと止める。
「親分衆の根城だろ」
「おうおうわかってて乗り込んで来るたぁいい度胸じゃねぇか貴族の坊ちゃん嬢ちゃんがよぉ!!」
 威勢のいい啖呵に楸瑛はニッコリ微笑んだ。
「やぁ突然すまないのだが、中に入れてもらえないかな。弟を引き取りにきたんだけど」
「弟だぁ!? なに言ってやがっ………………………―――藍、将軍?」
 さすが花街の有名人。
「今晩は」
「ひぇっ――失礼しやしたぁっ!!」
「かまわない。君は職務に忠実だっただけだ。ウチの弟が迷惑をかけたね」
 目を白黒させた門番の破格戸はそろそろと楸瑛を窺う。
「しかし……中に藍将軍の弟御なんていらっしゃるんですかい?」
「………言い方を変えよう。昨夜貴陽中の賭場を荒らし尽くしたトアル馬鹿がいるだろう? 持って帰るから」
「………………………………………………どうぞ、お入りくだせぇ。親分衆勢ぞろいですぜ」
 丁重に通された。









「………お腹すいたわ」
「そうですねー」
 くぅ、と可愛らしく鳴った腹部を押さえ、頬を染めた秀麗が心底呟くと、同じようにきゅう、と腹を鳴らした影月が、腹中虫に遅れる形で頷いた。
 おなかすいた。
「奇天烈な展開に頭がついていかないわ。てゆーかワケがわかんないわお腹すいた」
「なにがどう転がったらこうなるんでしょうねー。お腹すきましたー」
 別れ際ちょっとションボリしていた龍蓮を夕餉に誘っただけだったはずだ。だけだったはずだ。どこにあった落とし穴。
 気がつけば強面の破格戸に取り囲まれて、龍蓮の札勝負を遠目に鑑賞している。なんで? なんでこーなるの?
 ―――お呼ばれした龍蓮が、詫び暮らしの秀麗の負担にならぬように小金を稼ぐのはいい。お金より現物支給の方がこの場合嬉しいのだが、その心意気は買う。
「でもその手段が賭博。なんで賭博? いただけないわ」
「一生懸命労働する龍蓮さんってちょっと想像出来ませんけどー」
 それは秀麗も同感だ。龍蓮が労働。似合わないのを通り越して視界の暴力だ。
 しかし賭け事はいただけない。
「挙げ句、貴陽中の賭場を荒らしに荒らして親分衆に喧嘩売るなんて言語道断よ!」
「さすが龍蓮さんですよねー」
 なにが"さすが"なのか、秀麗の愚痴に付き合う影月もわかっていまい。
「でもここまではいいの。まだ筋道が通ってるわ」
「すっごい急勾配の道なき登山道みたいな筋道だと思いますけど、そうですよねー」
「影月君もけっこう言うわよね」
「そうですかー? お腹がすいてるだけなんですけど」
「お腹すくと荒むわよね。わかるわ」
「ですよねー」
 腹が減って荒んでいる秀麗と影月はガッツリ握手を交わして一拍、ワケわからない事態の原因のブツに視線を送り、すぐさま目を逸らした。
「それでどーして、親分衆と龍蓮が父様の少し困り顔仮面を賭けて真剣勝負するの? ねぇなんでこうなるの? ってゆーかアレなんなのっ!?」
 見慣れた実父の顔だけが一等賞景品の如く高座に飾られている。何で。ねぇなんで?
「………見れば見るほどそっくりですよねー」
「ワケわかんないわなんなのアレっ!! あぁお腹すいたっ!!」



 龍蓮をおびき寄せる餌として任意同行されただけの秀麗と影月は、ぶっちゃけ暇だった。



 札の決まりごともよくわからないから観戦していても面白くない。今どうなっているのかサッパリわからないから面白くない。龍蓮が勝っている様だが、今、龍蓮の対面に胡蝶が座った。
「あ、次は姐さんがやるのね。頑張れ姐さーん!!」
 相手は秀麗の尊敬する胡蝶である。この勝負どうなるかわからない。
 秀麗は拳を握って胡蝶に声援を送った。
「心の友其の一。そんなに心配せずとも私は負けぬ。案ずることはない」
 どこをどうこねくり回したらそう受け取ることが出来るのか。
「わ・た・し・は!! 姐さんの応援してんのよっ!!」
「秀麗さんカッカすると余計お腹がすいちゃいますよーあははー」
「まぁ任せときな秀麗ちゃん。孔雀のボーヤを華麗に畳んでお家に帰してあげるからねェ」
「キャー!! 姐さん最高!! かぁっこいーいっ!!」
 嫣然と微笑んで請け負った胡蝶に秀麗は目を潤ませる。あぁあ何てカッコいいんだろう。
「うむ。その侠気やよし。女人にして天晴れだ。私の知る最も侠気溢れて垂れ流す女人に勝るとも劣らぬ。受けて立とう」



 ズベシ、グフ。
 どこかで誰かがずっこけた様な、どこかで誰かが吹き出した様な音がしたが気にしない。



「そうかいボーヤ。興味あるねぇその子。今度紹介しておくれよ」
「私に勝てばそれも叶おう」
「面白い。さぁ一騎打ちだ。手加減しないよ」
 札が配られる。
 そして胡蝶は、札より先にそれに手を伸ばした。








笑い過ぎ
「すまなっ………っくく」
 こっそり扉の影から様子を窺っているのだ。ばれたらどうしてくれるんだ。
「………まぁいいや。つれてきてくださって有難うございます藍将軍。俺そろそろ行ってくるわ」
 真朱ははーどっこいせーと致命的なかけ声で気合を入れなおした。
「一人で大丈夫かい?」
「アハハ恥をかくのは一人で充分だ。それに我に秘策アリ」
 真朱はもぞもぞと懐からなにやら布包みを取り出す。
「………それは」
「小道具」
 確か、藍邸で真朱が走らせた早馬が文と引き換えに持ってきたものだ。そう言えば中身を聞いていない。
 やると言ったら必ずやる、有言実行の権化のような少女だから、彼女の策とやらをあえて言及したりはしなかった楸瑛も、この謎の布包みには興味を覚えた。
 中身を尋ねようとした矢先である。
 百聞は一見に如かずと言わんばかりに、真朱は息を、吸って、吐いて、吸って、吐いて、えぃやと包みを剥いた。


―――――っっっ!!???



 絶句する楸瑛を尻目に、少女はそれをヘーンシン、とうっ!! と謎の呪文と共に装着
「んじゃ、行ってきます」
 きーようーのへーいわーをまーっもるっためー♪
 微妙に下手な歌を口ずさみながら戦場へ向かった少女を、楸瑛は呆然と見送った。








 ―――ちょいと力を貸しておくれね紅師。
 そんな、甘やかな声音から始まった悪夢が目の前にあった。
「ふふんどうしたんだいボーヤ。目が泳いでるよ」

 魅惑の白い谷間の上に邵可の顔。少し困っている。
 優美な曲線を描く肢体の上に邵可の顔。少し困っている。
 艶っぽい白い鎖骨、首筋の上に邵可の顔。少し困っている。

「………どうしよう影月君。わたし吐きそう」
「胃液しかでませんよー苦しいですよ秀麗さん。堪えてくださいーっ」
 邵可の実の娘だけに、秀麗は一人がけっぷちに追い込まれていた。
「ねぇ影月君。わたし、わたしね。つくづく思うわ。父様が女人じゃなくってよかったぁああああってっ―――。あれそしたら父様は母様になるの? なっちゃうの?」
「ななな何を言ってるんですか!? 邵可さんはお父さんですよ、大丈夫お父さんです男性ですっ、ああぁ気を確かにっ!!」
「あ、綺麗なお花畑が見えてきたわ」
「えーえぇ!? そそそソッチに行っちゃ駄目です秀麗さーーーんっ!!」
「あ、蝶々。ちょーちょー。ちょーちょー」
「しゅしゅしゅ秀麗さん〜〜〜っ!!」
 追い詰められていた。
「こ、心の友其の一ィィィィ!! なんたることだ! 心の友其の一の父上の顔を無断借用心の友其の一を追い詰めて私を揺さぶるとはっ」
 龍蓮が札と後ろの秀麗を交互に見やる。だが対面の仮面胡蝶は見ない


 ―――勝敗は決した。


「おおよしよし秀麗ちゃん。こっちをお向き。ほら胡蝶だよ」
「あああ姐さん、姐さんなのねいつもの姐さん!! 会いたかったわ!!」
 感動の再会だった。
 しかしこの時、次なる悪夢がヘタクソな鼻歌を口ずさみつつ背後から忍び寄っていたことに秀麗は気づいていなかった。
「さぁ私の勝ちだボーヤ。約束通り値を払って貰おうかねェ。ついでに侠気溢れて垂れ流す子も紹介してもらうよ」
「…………わかった」




その必要はなーい




 くぐもった声が響いた。
「誰だっ!?」
サイコーの合の手ありがとー………ついでで呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃん。満を持してヒーロー登場ー」

 右手は腰。
 左手は天井を指し示し、やる気のない口上と共に青い衣に満面笑顔の少女が一人。
 












 満面笑顔の邵可仮面を被った少女が一人………












「「「「「「「本当に誰だヨっ!?」」」」」」」」」」
 ごもっともで。
「あー」
 間と気の抜けた声で仮面がやや上方を向く。なにやら思案して、名案が浮かんだとばかりに手をポンと打つ。
一つ人より貧弱で、二つふるさと所在地不明! 貴陽の平和を守るため、月影星影影から影へ、闇夜をかけて今日も行く! 貴陽戦隊ショーカメン!! 五人衆が一人満面笑顔仮面? ただいま参上ッ!」











 惨状。











「………………………………………………ふ、ぃ〜」
「ああ秀麗さんっ!? 秀麗さーーーんっ!!」
 秀麗が失神した。
「きよーせんたい………」
「しょーかめん…………」
 誰もがごくりと生唾を飲み込んだ。
 貴陽戦隊ショーカメン満面笑顔仮面はクルリとご機嫌な顔で(仮面)周囲を見渡しコクコク頷く。
「アー、我が仲間の少し困り顔仮面が大切な仮面を紛失してしまったのだよ諸君。我らは影。我等といいながら実は一人五役。裏からコッソリ陰険に、貴陽ノ平和ヲ守ルノガ我ラノ使命! 世に紛れる仮の姿である素顔を晒すことはどんなに親しき者にも明かしてはならぬ。なぜなら知られては泡沫となって消えゆく宿命だからであーる」
 目論見どおり秀麗の耳目を封じた貴陽戦隊ショーカメン満面笑顔は、ローテンションで口上を続ける。
「だからソレ返してくんない?」
 ソレ、と白い指に指し示されたソレを誘われるままに注視した面々が悉く視線を逸らした。
「持ってくよ? いい?」
 返事はない。
「沈黙は肯定と受け取る。なぜなら正義の味方って割と問答無用だから」
 満面笑顔仮面は少し困り顔をヒョイッと持ち上げると、大事そうに懐にしまう。
「―――任務完了。皆の協力に感謝する」
 そうして満面笑顔仮面は青い衣を翻し、余裕シャクシャク、悠々と踵を返した。振り向かない。


 気絶した秀麗、「素顔を知られては泡沫と〜」の件から口を縫いつけた龍蓮、真実呆然絶句で言葉もない影月はもとより。
 修羅場上等酸いも甘いもかみ分けた親分衆も黙って見送るのみ。
 




 誰一人として一言たりともツッコめなかった










(夏になると脳みそが溶けるの。クーラーがないからさぁ←言い訳)



モドル ▽   △ ツギ





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