秀麗たち四人が試験を受けている日中、真朱の仕事は牢獄内の清掃(あんま意味ない)と食事の下準備くらいである。
 時間もあることだし、少しでも牢獄内のアメニティを向上させようと、穴の空いたスプーンで水を掬うような作業に精を出す。穴を掘っては穴を埋めるという無為な作業の拷問に似ているかもしれない。石畳を磨き上げたって所詮牢獄、掃除というより苔毟りだ。暗いからって蝋燭を大量に持ち込んでみれば煙で目が痛くなるので、蜜蝋製の煙の少ない最高級品の蝋燭を王様の部屋からかっぱらってきた。厨房と牢獄を行き来して食事の準備を進める。笑顔で毟り取った特別予算は銅一両残さず使い切る所存である。

 往復中、お隣さんに「あんたァ若いのに何やらかしたんだぃ?」と訪ねられテキトーに「結婚詐欺」と答えたら納得されてちょっとムカついたなんてのは蛇足中の蛇足である。

 それと報告書だが、正直これはさして書く事柄がない―――皆で割と仲良く和気藹々とやってます―――小学生の日直日誌か
 なのでウッカリ掘り出してしまった白骨についての考察を書き連ねる。

 上腕骨と大腿骨の捻転角は男女によって異なる。ざっとした目測で正確な角度を測ったわけではないのだが、数値は男性のものを弾き出した。真朱はそれに係数を乗じて生前の身長も計算した。直接の専門ではないため物凄く詳しいわけではないが、考古学や生物学範囲内であったりしないこともない。白骨を見ただけでわかることも多い。
 直接に死因は頭部の殴打と思われる―――これは影月が気づいた事柄だ。頭蓋骨には頭部挫傷と思われる亀裂があったと医者らしく彼が言った。ついでに歯や骨の具合から年齢等も推測した。この推測は真朱の考察を相互に補強する。
 身につけていた装飾品が二百年ほど前に流行した型であると珀明は断言した。そしてそれは、ある州の特徴的な型であるとも言った。おかげでおおよその年代と出身系統が推測できた。
 黄ばみ、虫に食われたボロボロの衣と帯を見た秀麗が、あれはある州名産の染料であると気づいた。それは珀明と同一の見解だった。

 龍蓮は特に言うことなくなったーとばかりにぴヒャらラぽへ〜と笛を吹いて大顰蹙を買った。

 最後の一人を除き、それぞれの見解を報告書に書き連ねておく。調査の役に立ちまくるだろう。
 そして真朱は昼間のたった一人の牢獄内で、つくづくと溜息をつくのである。


 ミステリの主役を張れるだろう観察眼と思考力を誇る人材が龍蓮含めて四人もいたのだ。
 名探偵が四人。ワトソン一人。ワトソン急募
 死体発見はなるべくしてなったのだろう―――と、遠い眼で。







 牢獄隔離より四日目の昼、牢獄と厨房の往復中、真朱は"諸悪の根源"其の二とバッタリ顔をあわせた。ナンバリングは復讐優先順位と同じであり、其の一と其の三は語るまでもない。とゆーか実のところ順不同。どいつもこいつも覚えてやがれだ。牢獄暮らしに関して真朱は龍蓮になんら屈託もない。何故なら過去にもあったから。龍蓮と真朱は共に脱獄経験者だったりする。
 故に、やりきれない思いは命令を下した側に集中する。半分は正当な怒りだろうが、残る半分は八つ当たりである。ほらアレだ。台風の実況中継は大変な仕事だろうが、発生した台風に関してリポーターは怒りを覚えまい。怒っても仕方ないから。
 横殴りの風に打たれながらお前が行けと命令した上司を恨むことだろう―――たぶんアレと同じ。
 厨房を間借りして下ごしらえを終えた五人分八人前(誰がどれだけ食べるかは想像にお任せする)鍋の具と、夜食を兼ねた甘いお菓子を大きな盆に乗せ、真朱は細腕の限界に挑戦している。
「…………そこまで、運ぶのを手伝うよ真朱殿。いや、手伝わせてくれ是非」
「よろしくお願いしますわオホホ」
 王の側近だろうが下賜の花を受けた傑物だろうが顎で使う真朱である。躊躇いはない。むしろ楸瑛の顔を見た丁度良い瞬間運ばせようと思ったのだから申し出は渡りに船である。
 遭遇が偶然であるはずがない。王の側近である楸瑛がこのあたりをほっつき歩く必要性はないのだから、待ち伏せされたとまでは言わないが、楸瑛が時期を計ったのは間違いない。

 ―――報告書に書けない事柄をそれとなく尋ねに来たに決まっていた。

「………意外と弟に甘いのですねぇ、藍将軍」
 盆を楸瑛に託し、真朱はにや〜と唇を持ち上げた。
「は、ハハハ。いや、絳攸には負けるよ」
「さーてどうでしょーねーえ」
 ―――対外的には、絳攸と真朱は兄妹だ。しかも少し年が離れている。実情は棚に上げて、絳攸が過保護でもさして奇妙に映りはしないのだ。女性は守られるべき存在であって、年少者だって護られて然るべき存在だ。実情はともかく対外的に絳攸は"妹思いの兄"で済む。
 省みて藍兄弟は男兄弟である。しかも結構いい年こいてる。身近に劉輝や黎深などの臨界突破特殊例があるため自分(だけ)は違うと楸瑛は考えているかもしれないが、一般的にはちょっと変だと自覚しておいたほうが身のためだと言外に忠告しておく。わざわざ仕事を抜け出して此処までやって来たのだから、楸瑛だって相当のものだ。
 楸瑛は声無き真朱の忠告を正確に察して笑顔を引き攣らせた。
「割と楽しそうに試験受けてますよ、龍蓮」
「……………そう」
 国一番の難関試験に臨んでいる姿の報告ではないと楸瑛は思う。楽しそうって。
 真朱と楸瑛は揃って歩みを再開した。
「―――初めてのお友達にドキドキワクワクしてるみたいです。いやもう微笑ましいったらないですね」
「私はそれを微笑ましいと評する真朱殿を尊敬するよ」
「そらどーも」
 楸瑛の心の底からの本音を真朱は軽く聞き流した。
 李真朱にとって藍龍蓮は弟のようなモンである。だいぶ年少の子供と接するのと殆ど同じ態度だ。もちろん龍蓮は恐ろしく頭が良いし、腕っぷしも強い。それでも社会性にだけ焦点を当てて彼を観れば、その社会性は五歳児並みであると断じる。良くも悪くも人の中で生きることに慣れていない―――と言うより知らないのだ。
 それは人の中で学ぶことだからだ。


「"いわゆる有事は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり"ってね。俗世にかかわらず悠久を生きるような仙人を大真面目に目指している龍蓮にとって、過去も未来も等価(/、、、、、、、、)だったんだと思います。悠久に生きるってのは、そういうことでしょう? 明日も昨日も思い煩わない。故に"今"しかない」


 楸瑛は興味深く、小柄な少女を見下ろした。
 実の弟を他人が評する言葉において、"変人""人災"以外の単語を聞いたのは生まれて初めてのような気がする。
 外聞が悪いから公言するのはちょっと控えてほしい弟の将来の夢、目指せ仙人を"変人"で括らず、大真面目に考察する真朱も稀有な人だと思う。
「―――ちょっとね、俺は後悔してないこともない」
「君が?」
 その彼女が口の端で苦く笑うのに、驚く。
「だって龍蓮楽しそうなんだもんなー………友達と、一緒に居て。秀麗さまと、影月くんと、珀明さんと一緒に過ごすことで、龍蓮は初めて同じ思い出を共有できる"過去"と、まだ決まっていない明日を約束する"未来"を得て、昨日と明日を実感するんじゃないですかね―――俺は龍蓮と旅の途中で顔をあわせても約束なんて一度もしたこと無かったし、昨日のことを語り合うことも無かったからさー」
 挙げ句の果てには今日何をするかという相談すらしなかった。

 文字通りにして究極の行き当たりばったりだったのだ。

「怠けてたなぁ………楽だからって」
 なーにが弟みたいなモンだ、だ。仮にも身体的には年長である龍蓮を子ども扱いするのであれば、真朱は己に年長者の義務を課さねばならなかったのに。
 ―――大真面目に仙人なんぞを目指していた龍蓮だから、そんなもんでいいのだろうとタカを括っていた。


「龍蓮はそれで―――さみしくなんてないんだと、決めつけてた」


 一人でいることにまるで平気な奴だとばかり思ってた。
 龍蓮と真朱は肩を並べて歩いていても決して"二人"じゃなかった。一人と一人がそこに在った、それだけだった。
「………アイツ、知らないだけだった」
 知らないだけだったという現実に、腰を抜かさんばかりに驚愕した真朱である。普通、教わるまでも無い感情だ。あぁそーですね、何を以ってあの藍龍蓮をフツーの人にそんなとこばかりカテゴライズしてたんだか今となれば本気で不思議だ。
 ―――コロンブスの卵だが。

 わずかに悔いる。
 まだ肌寒い春が巡るたび、ばったり偶然再会したときに、去年の話をすればよかった。
 はぐれるように別れる前に、ちゃんとサヨウナラを言えばよかった。
 そして、またね、と来年の約束をすればよかった―――どうせまた会うんだろうし、なんて、何の根拠も無い白紙の未来だったのにそのことをまるで疑わなかったなんて馬鹿じゃないのかと嘲笑が漏れる。
 かつて―――"彼"が想像すらしなかった未来に、今、"自分"は立っていると言うのに。


 約束を交わしていたらきっと、龍蓮の、一番最初の友達になれたのだろうに―――。
 なりたいなりたくないは別物として


「…………そう、なのかな?」
 あの謎の珍生物に、サミシイなんて人並みの感情があるのかと楸瑛は半信半疑だ―――うわヒデェ。しかし、あの藍龍蓮を弟に持てばこんな兄貴になるのだろうと思わないでもない。
「藍将軍も見りゃーわかりますよ。一目瞭然ですから」
 そりゃもう使用前使用後劇的ビフォーアフター。まさにそんな感じだ。
「うーん……それは、龍蓮と顔をあわせるのが楽しみだと答えるべきところなんだろうけど、奴の顔を見ると血圧が上がってそれどころではなくなるだろう確信が私にはあるっ」
 鍋の具を山盛り乗せた盆の縁を握り締め、楸瑛は断言した。ピキリと漆塗りの盆が嫌な音を立てたなんて握力落ち着けお兄ちゃん!
「あー………それもそれで、さもありなんってやつだと思います」
 真朱は薄情とも取れる楸瑛の言葉に心の底から同意した。
 だって。




「俺ぁここんところそーゆーカンジに後悔しきりなのにもかかわらず! 実際龍蓮を前にすると! そんな感傷宇宙の彼方に吹っ飛ぶんですよねっ!!




 真朱と楸瑛は顔を見合わせ―――ガッツリと手を握った。
 ―――あぁ同士よ! と。








「訊きそびれてたんだけど。真朱と龍蓮は顔見知りなのよね?」
 その日の夕飯時、いただきますの唱和直後に秀麗が口を開いた。龍蓮が会話に混ざると何故か会話が樹海に突っ込んだ方位磁石の如く指針が大旋回してしまうのでずぅっと気になっていたのに不覚にも訊きそびれていたのだ。
 今夜こそ白黒つけてやるとばかりの意気込みだった。
「あ、僕も気になっていたんですー。龍蓮さんは真朱さんのことを"マタタビの君"って不思議な呼び方しますよね。なんでか訊いてもいいですかー?」
 珀明も頷いている。確かに異様に気になる呼び名である。
「…………あー、それはー」
「出会いは夕暮れ。終の棲家を捜し求めて深き森を散策していた私はそこでマタタビの君と運命の出会いを」
「黙れ」
 真朱は箸を閃かせ、龍蓮の口に炒め物を突っ込んだ。
「…もグ」
「はい龍蓮、あーん
「もぐもグ」


 凄い方法で黙らせた


「―――ごくん。私は予感とともに足を止めるとアラ不思議、空中からマタタビの君が」
「あーん」
 何が何でも龍蓮の口から語らせてなるものかと真朱がかいがいしく親鳥のように食事を龍蓮の口まで運ぶ。にこやかに箸を差し出しているにもかかわらず発音的にはあァン? と聴こえるのは恐らく人柄だ。目撃者達は色んな意味で凍りついた。
 今度は咀嚼に時間のかかる豚肉のかたまりを放り込んでおいた。龍蓮はお坊ちゃまなので、口の中に物を含んだまま喋るような不躾なことは決してしないのである。

 今のうちだ。

ある日! 森の中! 花咲く森の道、龍蓮に! 出会った! のですわコレが」
 異説、森のくまさん。
「……………………ゴメンわからないわ真朱。なんでよりによって森の中?」
 お嬢様とお坊ちゃまの出会いにはありえないほど野性的な状況である。
「だからそれがマタタビで」
「ごクん。マタタビだ」
「…………実は説明する気ありませんね? お二人とも」
 影月が微妙な笑顔で断じた。
「いやそんなことは。ただどっから説明すればいいものか……」
 真朱的には貧血起こして足を滑らせ木から落ちたサルの如く降って湧いたことを伏せてもらえれば、それ以外に恥ずかしいことはない多分。
 忘れもしない森の中―――。
「えーとわたくしはオニマタタビの木を探していましたの。森の中で」
「なんでっ!?」


 ―――キウイが食べたくて。と正直に答えても通じまい。


 キウイフルーツはニュージーランド原産となっているが、実は中国原産のオニマタタビをニュージーランドの入植者たちが栽培種に品種改良した一品なのでオニマタタビがあれば品種改良していつかキウイが食えるかなーと食い意地から目算を立てて、真朱は森の中で野生のオニマタタビを探し歩いて木に登っていたのである。
 オニマタタビは蔓性なので、他の樹木に巻きついて育つ。判別するにはヨジヨジ木登りに精を出さねばならなかった。
 品種改良の知識などないに等しいが、紅家なら蜜柑を見事に品種改良している実績がある。これを美味しく食べられるように改良してくださいと頼むためにとりあえず現品を収集していたわけだ。
 基本的には食物とその起源に詳しい。専門である。
 品種改良などというと、遺伝子情報を操作してバイオなんちゃら云々の専門知識が必要不可欠のように聴こえるものだが、遺伝子の表現型に着目してメンデルが法則を打ち立てたのが確か十九世紀中ごろで、ニュージーランドへの入植が始まったのは十九世紀初頭。どこをどう弄くってオニマタタビがキウイになったのか詳しいところはわからなかったが、バイオなんちゃらを知らなくても出来そうかも、と当たりをつけた。そもそも農耕の始まりはすなわち野生種の栽培化、すなわち品種改良が行なわれ、さらに長い時間をかけて行なわれ続けているものだ。電子顕微鏡だのDNAマップなどなくたって知らなくたって交配を続け代を重ねれば出来るものは出来る。なにも不可能の代名詞、青い薔薇をつくろうってワケではない。
 現在当たり前に食している農作物の全てがそのようにして改良された代物である。まんま人類の歴史でもある―――これにも詳しい。遺伝子云々に関してはさして詳しくないが。
 要は、より美味しく、より育てやすく、より収穫を増やすために、個体差を厳密に観察し、育てやすい特性をもって生まれた突然変異個体を交配し続ければいいのだ。
 つまり、品種改良というよりは―――人為的な自然淘汰だ。

「えー、そもそも植物はあまねく人間に食べられるために育っているわけじゃありませんでしょう? それは人間の視点での話です。植物は種を保存するために交配して代を重ねるわけでして、これは結婚して子どもを残す人間も同じです。食べて美味しい植物というのは人間や動物を介して種を運ばせる種類です。毒があるものは自らの子孫を捕食者から守るために毒を有するわけでして、虫を媒体にする植物もございます。ほらお豆もですね、野生のものは種が出来るとばーんと莢が弾けて散って種を落としてしまいますが、栽培しているものは収穫し易く莢に収まったままではありませんか。これはお豆にとっては頭の悪いお馬鹿でして、しかし人間にとっては都合がいい良い子です。植物も人間のように個性があって、時々天才もお馬鹿が生まれます。突然変異ですね。種を保存するにはお馬鹿な種ですが、育てて食べちゃおうとしている人間にとっては優秀な種です。ですからそれらのお馬鹿さんたちを意図的に取捨選択します。やっぱり人間も同じですが、子は親に似ますので、さらにその子供をまた別の特性を持ったお豆的お馬鹿さんと掛け合わせ、より美味しく、より育てやすく、より収穫を望める種を作り育てていけば、農作物が増えるじゃありませんか!」

 龍蓮に口を挟ませる隙を与えず、真朱は一息で捲くし立てた。

 植物の種類など数え切れず、その一つ一つの栽培化を試みるには時間がかかりすぎるし成功するとは限らない。現代においても食用に育成されている植物というのは植物全体からみればほんの一部に過ぎないのだ。人為的な自然淘汰を施したところですべての植物が農作に適する改良が可能なわけではあるまいが、答えを知っている強みが真朱にはあった。
 オニマタタビは食えて育てられるようになる、はず。多分キウイになる! はず! 
 しかも果実の生り方が豪勢だったはずだキウイフルーツ。一本の蔓からうまくやれば約千個。儲かるかもしれん

 ―――現在、オニマタタビは紅州紅家本家の方で、鋭意品種改良中である。
 行動原理は味噌や醤油と変わらない。ないなら作っちまえ、だ。そう、原料はあったのだから。
 それを専門家に託してしまうのも、同じである。

 ある日、森の中、龍蓮に出会って、森の中にいる理由を真朱は龍蓮に素直に答えた。花咲く森の道の道中である。
 龍蓮は"自然淘汰"や"食物連鎖"だのにいたく感銘を受け、オニマタタビを探しながら近縁種であるサルナシの木に登っていた勘違い少女に正しくオニマタタビを教えてくれた。
 正直なところ、別段キウイが大好きだったわけではない。小中学校の給食でデザートについてきた半分に切ってスプーンでくりぬいて食べるアレ、給食が終わるとわざわざ購入して食べることは滅多になくなったのだが、食えないと思うと食べたくなるし、食べられそうだと思うと尚更食べたくなるものなのだ。人の業だ、多分。
 サイクルが早く改良しやすい一年草ではないため、紅家といえどもそうそう簡単に記憶の通りのキウイが出来上がるとは思っていないが、根性入れて長生きすれば可能かもしれない。紅家は超金持ちなので、即収入を見込めない長期計画も根拠さえ懇切丁寧に示しておけば、数十年後の収入を見越した戦略を立ててくれる。
「………それ、何年前の話なの?」
「王都の内乱は一応終結していましたから、たしか五年くらい前のことと存じますわ」
「―――、やっぱりそれ、内乱で困ったから?」
 秀麗が痛みと共に思い出すのは、樹の皮までむしりとって食べつくしたあの頃。毒さえなければなんであろうと口の中に入れて咀嚼した。
 邵可も本を調べて似たようなことを試みていた。
「―――いえ。恥ずかしながら思いっきり自分本位です
 そこで嘘でも「人々のために、後々のために」などと嘯けない程度には李真朱は自分本位である自覚があり、厚顔無知でもない。
 自分のこともままならないのに誰かを助けることなんてとてもじゃないが出来やしない。この手はとても小さい。
 百姓の為に官吏を目指す少年少女の前では、口が裂けてもそんな嘘はつけない。
「何を為すにも"自分のため"だと言っておけば、失敗してもすべての責任は己のものです。一定以上の迷惑は誰にもかけないのですわ。臆病者の処世術ですの。皆様は真似をしないように
 駄目な大人の忠告である。
「…………立派な行いだと思うけど……」
「そんなことございませんわ。これは謙遜ですらありません」 
 ―――若い。
 そして青臭くも優しい秀麗の言葉に、同意して頷く影月と珀明に真朱はややスレた笑みを浮かべる。龍蓮は何を考えているんだか相変わらず不明瞭なので対象外。


 ―――善かれと思って為したことがすべての人に遍くシアワセを運ぶとは限らないという現実を多少なりとも知る者に、その言葉は勿体なくもほろ苦く、そのままでいて欲しいと思う反面、そのままじゃ現実に傷つくだけだと心配になる。


 そしてハタっと我に返った。
 いやいや待て待てマテ。実質の精神年齢はちょっとアレだがこの感慨はすでに老域に達しているような気がするっ!
 真朱はちょっと愕然とした。


「ま、まぁ、そんなこんなで―――袖を触れ合う他生の縁がありましたのか、以後、ちょっと遠出をしますと何故かウッカリ龍蓮と遭遇し殺人事件を起こしつつ付かず離れずのお付き合いを続けておりますの」
 動揺を隠してなんとか続けた。
「マタタビ呼ばわりはやめてくださいと口を酸っぱくしてお願いしていますのに、龍蓮は全ッ然聞いてくれないのですわ」
 その他にもあんなことやそんなことを一緒にやらかしているわけであるが、そこんとこ綺麗に割愛して真朱は説明を締めた。
「―――マタタビの君」
「ほーら全ッ然聞いてねぇし…………あんだよ?」
 呼ばれるままに振り向くと、龍蓮はパクパクと口を開閉させて次の食料を所望していた





「……………」
「もグ」
 真朱は無言のまま龍蓮の口に再び豚肉を突っ込んでやった。





「……………、」
「……………………あのぅ、お二人はっ」
「………………も、も、モ、もモもももももしかして
違います
 コしか聞かずに、秀麗の無言を影月が継いで珀明がズバリ言いかけた疑惑を超笑顔で速攻否定。コの後に続く文字がなんであっても否定しておく。
 ―――龍蓮と真朱は連れ立って歩いていると何故かよく"コ"から始まり"イ"に続き、一文字飛んで"ト"で締まる間柄の疑惑をかけられるのだが、それは李真朱の沽券にかかわる重要事項だ。ありえないから


 あんなことやこんなことの詳細が漏れれば、一般的にはまず間違いなく縁談がまとめられるだけのことをやらかしている自覚だけはさすがにある。風呂とか風呂とか風呂とか風呂だ。
 故に、沈黙は金。全力で黙っとけ。
 








(マタタビコンビはコンビであって友人じゃなかったという罠。主人公の立ち位置は心の友たちよりも楸瑛に近かった)




モドル ▽   △ ツギ





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