「全く一体何なんだ貴様の弟はっ!?」 「………だから言ったじゃないか、気遣うだけ人材と時間と毛髪の無駄だって」 「はぁ!? 毛髪?」 「あぁ。奴に関わると年寄りほどよく禿げるから。無駄というより限りある資源の浪費だよ」 「なんて恐ろしいのだ………すでに抜け毛を片手に辞表を叩きつけたその数、六人。六人なのだ。七人目もいつまで持つか………すでに円形脱毛症を発症していると聞くぞ」 国の中心の中心である王様と側近二人が顔をつき合わせてコソコソ相談している。 「嘆かわしい! どいつもこいつも!! 仮にも高官、民の血税の禄を食むなら粉骨砕身つるっ禿げても後進の者を導けというにっ」 「いやでも禿げるのはねぇ……さすがに気の毒だよ」 「うむ。気の毒なのだ」 「テメーら出てけ」 少女はしゅばばばと書翰を三つ、高速で投げつけた。 それぞれが危なげなく受け止めるから腹が立つ。小筆を片手に仁王立ちした真朱が目を吊り上げて三人を平等に睨みつけた。 「邪魔! 邪魔だっつーの!! なんで王様と側近が俺の部屋で仕事してんの!? 執務室に戻れ!! 俺にも仕事があるんだっつの邪魔すんなぁ!!」 溢れるピンク。梔子の香。炭をケチらない暖かい空気。ところどころに濡らした厚手の布を干して湿度も確保している李真朱の後宮の自室である。通称真朱の巣。 衝立で両断された部屋は、双方が違う種類の書翰で溢れている。片や国政の重要書翰、片や自社の経営報告経営指示書だ。先ほど雪崩を起こして混ざりやがった。四名総出で黙々と仕分けに半刻、いい時間の無駄だった。そして何より―――虚しかった。 「す……すまぬ。しかしもう此処しかないのだっ。執務室にいると十三号棟の管理者が辞表を片手に特攻してきて……その幽鬼の如き青白い形相で二十年は余計に老けた皺を縫ってハラハラ涙を零して直訴されては余も強く出られぬし……」 「うちの会社の老化抑止化粧水と育毛剤売りつけて追い返せ!! 特別に一割引にしてやるから!!」 商魂逞しく漢らしい真朱の怒鳴り声に、投げつけられた書翰がまさに朱李花製の新商品、育毛剤の広告であることに楸瑛は気づいた。興味を抱いて隣の絳攸が手にした書翰は何かと覗き込むと、絳攸はその書翰を床に叩きつけていた。武官の動体視力が拾った文字は、"勃ちあがれ! さぁ自信を取り戻せ! スッポン人参赤蝮成分配合これ一本で精力増強!!"―――うわぁ。 「お・ま・えっ!! 化粧品を作ってるんじゃなかったのかぁ!?」 「購買層広げんの。男は化粧しねーから、とりあえず手っ取り早く育毛剤と栄養剤ね。試作品あるぞ、試す?」 「どっちもいらんっっ!!」 朱李花は手広く手厚く経営を拡大している模様である。 「っちぇ。育毛剤はともかく、栄養剤は俺じゃー試せねーんだよなー。不能対策商品だから」 栄養剤なのに不能対策。それ精力剤じゃないのと訊かれても白を切ります。 ハゲと不能。男の悩み二大巨頭である。 ゆんけるーんばーでがんばるーんばーと謎の歌を歌う恥じらいの欠片もない妹に、兄はぷるぷる震えている。 「なー。真面目な話、ほんっと邪魔なんだけど。そんでもって書翰で窒息しそうなんだけど? 迷惑ですわ御三方」 ―――敬語が出た。やばいかもしれない。 真朱は悩ましげな吐息を零す。李真朱は怒鳴っているうちが花、ということをこの面子は皆骨身に沁みて知っていた。 彼女は裏表のない人格者である。が、裏はなくとも奥行きと高低はある三段階変化を見せる。男言葉の常態に、お嬢様らしく丁寧な口調の外交用、この二つはコロコロと状況にあわせて使い分けられるが、養い親譲りの外道鬼畜お姫様(最終形態)が降臨すると、楚々とキラキラしながら何しでかすかわからないという危険人物である。 基本的に聡明(というより姑息で小賢しい)かつドライな真朱は決して国政には口を挟まない。しかし同じ部屋にいるためにどうしても聞こえてしまう相談事は、なんだか妙に馬鹿馬鹿しい。 毛髪て。 「紅茶をお入れしますわ。焼き菓子もお付けします。それで一息入れて、書翰担いで出てけ」 「し、真朱。頼む。大人しくしているから追い出さないで欲しい。此処を追い出されたら余は王なのに路頭に迷うのだ!!」 「知るかボケェェェェ!!」 反射的に叫び返しながらも、お茶を入れる手つきだけは丁寧である。茶葉を蒸らしている間に焼き菓子を切り分ける。 今日のおやつは山査子の焼き菓子だ。ちっこい林檎だと思えばいい。というわけで甘く煮てみた。それをチェリーパイのように空焼きしたパイ生地に敷き詰めたのだ。見た目チェリーパイっぽく、味はアップルパイだ。パイ生地を作る面倒くささも吹っ飛んでウキウキ作った。楽しかった。は食文化に並々ならぬ興味と執着があり、それを学業として研究してしまい、さらには、食べるだけでなくいってみようやってみようと自分で作っちゃう割と本格派。食い物にうるさい奴は大抵プロの顔負けの腕を誇るものだと信じる。海原○山しかり、山岡士○しかり荒岩○味しかり! 自宅で糠漬け漬けてたちょっと珍しい大学生(男)だった奴は歴代彼女の誰よりも料理が上手かった。コレは後々何度も別れ話に持ち込まれた切ない特技のひとつである。 女の姿では美徳にしかならないのも悩みの種である。いつでも嫁にいける? はっはっは冗談じゃねーつの。 誘拐魔と逆パターン。真朱必殺のお菓子あげるから出てけ攻撃(?)が炸裂した。 王さまが王城で路頭に迷えば側近だって路頭に迷う。これ以上の恥があるだろうか。 「元はといえば貴様の弟が……」 「返す言葉もないんだけど一言言わせてくれ。血が繋がっていようと私たちは別個人だ!」 むしろその血の繋がりを奴が生まれてから十八年、顔をあわせるたびに疑ってきた楸瑛の声は血の色を帯びていた。 「藍将軍に弟さんがいらしたとは初耳ー。お兄様方の話は幾度か耳にしたことがあったけど………ふーん、どんな奴? 似てんの?」 「似ていない!!」 即答だった。 「あれは実の兄にして謎の生命体としか言いようのない未確認珍生物なんだ。幼い頃は同じ母の腹から生まれたとは到底信じられず、隕石から生まれてきたと信じて疑わなかったよ私は」 え、実の弟なのにUMA? てゆーかそのいい様だとUMAつーか宇宙人じゃん。 「というか諸悪の根源だろうがっ」 やはり謎の生命体且つ未確認珍生物である妹を持つ兄であるのに、此処は血のつながりがないためか、容赦がない。 兄に謎の未確認珍生物扱いされていることを薄々察しつつ、しかしどーでもいい李真朱は彩雲国UMA(もしくはグレイタイプ)が何故か無性に気になった。 「…………藍将軍、ほんとに似てないの?」 「天地神明にかけて誓おう」 この兄弟、仲悪いんだろうか。楸瑛はいっそ厳かに宣誓した。 真朱はキスするんじゃないかって距離でジッっと楸瑛を見つめた。おー睫毛ながーい………。 「近すぎるっ!!」 「ぐげ」 襟足を引っ張り引き離す兄の教育的指導に潰れた悲鳴をあげつつ、真朱は思いついて書翰の山を縫って部屋を横断、衣装を仕舞う行李の蓋を開けると姫様小道具たる扇子や肩掛けを放り投げて、種類の違う色とりどりの羽毛で作られた派手な羽扇(ぱっと見ジュリ扇に似ていて爆笑したひそかにお気に入りの一品)を取り出した。 「………真朱殿?」 「失礼藍将軍」 そして羽扇を楸瑛の頭に差してみた。 「…………」 「……………」 「………………」 「…………………」 頭に羽を咲かせた楸瑛と真朱はしばし無言で見詰め合う。劉輝と絳攸にはサッパリ意味がワカラナイ真朱の奇行だが、わかる者にはわかる。 もちろん、実の兄である楸瑛にわからぬはずもない。 ―――真朱は無言のまま羽扇をズボッと引っこ抜いた。 「似てませんね」 中身は。 だって、奴の家名が家名なのに、今の今まで気づかなかった。艶福家と聞く藍家前当主の二桁の子供たちの中で本家を名乗れるのは本妻の子供五人(全員男)とまで知っていたのに気づかなかった。割とすごいと自分でも思う。 「ははは似てないだろう?」 中身はっ。 少女の顔の広さは知っていたが、奴とまでつながりがあるとは驚きだった―――がしかし、今の今まで気づかなかったようであるのは救いだった。 楸瑛は乾いた笑みを漏らした。 「さすが藍家、奥が深い………」 「そういう納得のされ方、私としてはちょっと傷つくんだよね………」 真朱はわざとらしくあさっての方角を遠く眺めつつ羽扇を扇ぐ。 「うん。なんでこーゆーことになったか大体わかった」 「おい、どういうことだ?」 「気にすんな―――王様、これ予算で落ちる?」 兄の最もな疑問を全力で無視し、真朱はとある書翰を劉輝に手渡した。 「む? ……………"スッキリ快眠強力耳栓"?」 「当座の時間稼ぎに」 「いや、真朱殿、あれは耳を塞ごうと聴こえるんだ」 「知ってる。だから時間稼ぎ。とりあえずこの商品を紹介して辞表を突っ返せ。各人一回ずつ使える手だと思うんだよね」 鬼。 「………つまり」 王さまはそろっと上目遣いで真朱を伺う。 「………知り合いなんだな?」 初耳である兄が半眼で尋ねる。 「―――遺憾ながら」 真朱は裸眼で天体観測してるみたいな遠い目をして、認めた。 (化粧品会社? と疑いたくなるような珍商品の数々ですが、あんま気にすんな!! 試作品ですから、ね?) |