「馬鹿じゃないの三太! 危く親分衆にスマキでドボンだったってあんたわかってんの!? どこの娘さんが好きなのか知らないけど、少なくともわたしだったら破格戸の幹部になったぞワハハハハすげーだろなんて言われたら即縁切るわよ!! ねぇ真朱!?」 一応同じ年頃の娘である真朱に秀麗が同意を求めると、真朱は表情を変えないまま吐き捨てた。 「簀巻きでドボン」 相手が悪い。李真朱にオンナノコの意見を求めたところで一般的な返答があるはずがない。 真朱の答えは簡潔に物騒だった。 ―――そうすべきだと言わんばかりに。 少女は真っ直ぐに秀麗を見つめ、問う。『顔見知りだから、見逃すのか』と。 秀麗は愕然とした。 「あ……」 絶句した秀麗から視線を外す。 「あの木簡を手にするまでの努力を、俺は間近に見てきたから絶対に許せねぇ。知らなかったで済むかよ―――悔しい。俺は悔しい。こんな馬鹿のせいで、あの努力が水の泡になるなんて冗談じゃねーよ。影月君と秀麗さまが許しても俺は許せねぇ」 木簡を手にするまでの努力。少女にそれを見せたのは、兄の背中しかない。視線が絳攸に集中した。 「…………まだ間に合う」 「運がよかっただけだろ」 兄の言葉に、真朱は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。 この場で李真朱だけが、公平であるべき立場に無い。王様でも側近でも官吏志望でも親分衆でもないのだ。私情上等、私怨だからなんだ。当事者ではないからこそ存分に怒れるし、許す必要も無い。無理、出来ない許せない。 ―――組連が青巾党を取り締まれば、地元っ子である慶張は目溢しされるだろう。商家である実家との地元ならではの兼ね合いがある。王が出張れば司法に預けられるだろうが、この状況は親分衆に貸しを作る絶好の機会だ。下街の不問律は力技で侵すより、尊重したほうが絶対に今後のためとなる。 どっちにしろ、王慶張は巻き込まれたパシリのパシリで下っ端にも程がある。たいした罪にならないだろうことが気に食わない。 「―――ッチ、どっちにせよ見逃されんのかよ。ほんっと運がいい」 知らなかったで罪を犯さぬように、李真朱は彩雲国で細心の注意と最大限の努力を支払って"世界"を"学んだ"。慶張は己以上の甘ったれにしか映らない。 慶張は真っ青になった。 朱李花の李真朱―――暢気な三男坊でも知っている、大量の酒を注文する実家の上得意だ。 「お……俺が馬鹿でっ……だけど父ちゃんと兄ちゃんは関係ないからっ、だから」 なけなしの根性を見せて実家との取引だけは守ろうとした慶張は真朱の怒りに油を注いでくれた。 「あァん!?」 「ひっ」 「その破格戸も腰を抜かすような目つきはやめろ」 「るせー絳攸目つきにまで注文つけんな。仕事で公私混同はしない! つかお前は相手にならないからもう一言だって話しかけんなウザイ」 口を開くのも面倒だと真朱は凶悪な目つきのまま本格的に人の輪から背中を向けてやさぐれた。 こうなると手がつけられないと知っている絳攸はただ首を振った。宥められません。無理、出来ない。この偏屈な妹は、容易に予測のつかない場所に逆鱗がある。いつどこで何に激昂するかわからないのだが―――今回は。 絳攸は背を向けた妹の頭を撫でずにいられなかった。速攻で叩き落とされたが。 「―――悪かったっ」 慶張は影月に土下座した。 「はい」 影月は許した。 「それで、僕の木簡は青巾党の根城にあるんですか?」 「……近くで見たわけじゃないからお前のがあるかわからねぇけど、ヘンな木簡なら確かにあった。でもあいつら此処に拠点を移すらしいから……」 「………今夜、木簡持参で此処に引っ越してくるわけか?」 楸瑛が確認すると、慶張はコクコク頷いた。 「好都合だ」 「不都合だっつの!!」 最弱を自認する真朱は不敵に宣言した兄に体当たりなツッコミを入れた。 「あぁ―――俺は、運が悪い」 にわかに騒がしくなった周囲に、剣を佩いた男衆が立ち上がる。 おいでませ青巾党。真朱は空を仰いだ。上を向いていよう――涙がこぼれないように。 「さいあくだーさいあくだー」 酒樽の影に身を寄せ合う非武装組の中で、真朱は己の不運を呪う。若干上向きで。 武装派三人の勇姿だって見ない。怖いから見ない。血が飛び散ってるから絶対見ない。下手したら失神するつーの。グロいよー。 「やっぱり、僕も行きまフグッ」 酒樽から出ようとした影月を真朱はしがみついて止めた。具体的には少年の頭を見かけによらず豊かな胸に押し付けるという強硬手段で。 「ふがふがふがふが〜〜〜!?」 「危ないから駄目〜。勇気と蛮勇は違いますー」 ハッハッハ少なくとも俺の手を振り切れんような腕力で何が出来るーとぱふぱふぱふん。言うまでもなく腕力の問題じゃない。 影月はなんとか谷間から逃れんと両腕をわたわたさせるが、李真朱はどこもかしこも柔らかいのである。青少年に自覚的に悪用中。 「しししし真朱! 影月君息できてないわよ!?」 「このまま落とす」 目が覚めたら全部終わってるよネンネしな〜と超イイ笑顔だ。 「やめい」 兄にぶっ叩かれた。その隙を逃さず影月は真っ赤な顔で後ずさった。 「しっと?」 「いい度胸だそこに直れ」 真顔で訊いた妹に、兄はでっかい青筋を浮かべて応じた。 緊張感に欠ける兄妹のやり取りに、こんな状況なのに影月と秀麗は笑いを零した。 「た、大切なものなんです! あれが無ければ貴陽に来た意味がないんです、自分で探したいんです!」 「危ないから駄目だっつの」 再び兄に殴られた。緩やかに波打つ垂髪のヅラがずれた。 「こいつにはこいつの事情と意志がある。お前は過保護な母親か!?」 真朱は答えず、えらい勢いで距離をとった少年に真顔で詰め寄った。 「お義母さんと呼んでもいいぞ。スゲー特別に」 年が近すぎますーっ!! 影月は絶叫した。 「そーでもないんだが、やっぱ駄目か……」 些かならず残念そうに、真朱は吐息を零した。 「……お前、喧嘩は出来るか?」 絳攸は妹の戯言を無視して影月に尋ねる。 「で、出来ません。すごく弱いです」 「俺も弱い。伸びてる破格戸の懐を探るくらいしか出来ないぞ」 影月はぱっと顔を輝かせた。 「秀麗と真朱は―――」 「秀麗さまはお前が連れてけ。まだその方がいい。俺はしゃーないから影月君を手伝う」 奇妙に強固に反対していた真朱が折れた。折れたどころか、手伝うという。絳攸も影月も驚いた。 ―――邪魔をしろと頼まれたわけじゃない、意志が固いというのなら、手伝うだけだ。 「なんで」 それこそ母親のように―――少女が庇っているのは、今日初めて会ったはずの自分だと、いい加減影月も気づく。 なんで。 「俺には俺の事情と意志がある……言っとくけど、俺は見た目どーりほんッッッッと弱いからな」 兄の言葉を借りて、顔を上げた少女は暴力に慄きながらも、一度眼前に収めれば、もう逸らすことはしなかった。 「…………秀麗も一緒に来い。とりあえずお前たちは俺の目の届くところにいろ」 「あ、はい!」 「え? お、俺は!?」 「「お前は知らん」」 兄妹は声を揃えて慶張を切り捨てた。無い袖は振れぬ。 「身なりの派手なヤツの懐探ったほうがいいだろ。まず下っ端はもってねーよ」 「そ、そうですね」 これ火事場泥棒の常識と嘯くお姫さまに影月は引き攣りながら同意する。喩えが最悪だが確かに効率的だ。 バッチィものを摘むように伸びた破格戸の襟をゴソゴソする。あぁまさか男の服を率先して崩す日がこようとは人生ワカラナイ。真朱は身の危険と違うところを嘆いている。 「む、胸毛っ、おぇっ」 これでも一応命懸け。 「あ、あの、ななななな何で下まで脱がしてるんですか!?」 てゆーか上は木簡探索に崩すのみなのに真朱は下を全部取っ払ってる。お姫さま姿の狼藉者に影月は勇気を出して問い質した。 「あ? これでも仮に人類だっつーんなら、下脱がしときゃ目が覚めても再参戦まで時間稼げるだろ。人間やめてぶらぶらさせて戦うか、まず下を穿き直すかの究極の選択。 一瞬の判断が命運を分けるというなら寝ているうちになるべく谷底に近づけておくのが弱者の常識」 そうして剥ぎ取ったバッチィ戦利品を真朱はなるべく遠くに放り投げている。もう影月は言葉も無かった。 李真朱はときどき手段を選ばない。 鬼だ鬼がいる。姫の姿をした鬼がいルー。 「きゃあ!!」 十人ほど剥いだところで少女の悲鳴が上がった。 真朱作のわいせつ物(陳列中)に対する嫌悪ではない、恐怖の悲鳴、秀麗のものだ。 「来い! てめぇ人質にして逃げ切ってやる!!」 「秀麗!!」 「秀麗さん!!」 「秀麗さまっ!」 近くにいた三人が叫ぶ。 「きゃ、きゃーイヤーッッ!! なんでこの辺の人たち下穿いてないのぉぉっっ!!??」 秀麗がわいせつ物陳列中に更なる絶叫を上げた。そらそーだ。それが予想外の抵抗となったのは誰にとっての不幸だったか。 「駄目ーーー秀麗さま眼が腐るから見るなーーーーっっ」 少なくともそこまで予想しちゃいなかった真朱が泡を食う。嫁入り前の乙女が見るもんじゃない。言い訳が許されるなら真朱は真朱で必死だったのだでもゴメンナサイーッ。 「ギャーイヤーきゃーきゃーきゃーきゃーきゃーっっ!!!」 「こ、こらチクショウっ!」 秀麗はそらもう暴れた。これが暴れずにいられようか反語。 「しゅしゅしゅ秀麗をははははは離せっっ!!」 慶張が大男の腕に噛み付く。続いて飛び掛ろうとした影月を、真朱は渾身の火事場の馬鹿力で逆方向に突き飛ばした。 「なっ―――なんで」 「華眞に頼まれた。悪いなー出番奪って」 青ざめつつへらりと笑う少女に、影月は目を見開いた。 慶張が吹っ飛ばされる。その隙を逃さず絳攸が懐刀で大男を切りつけ、秀麗を回収して抱き込む。 「絳攸様っ!?」 「黙ってろ! 俺に出来るのはこのくらいだ!!」 「でもまだ真朱がっ」 「――――っ」 一瞬、秀麗を庇う腕が緩んだ。それを恥じるように、さらに力を込める。 視界の端に映っていた妹は、"それでいい"と歓喜すら滲ませて微笑んでいたから。 「こ、ここここの野郎っ!!」 「はぁい、だめー」 小さな身体が絳攸と秀麗の上に影を作った。 立ちはだかると表すには、あまりにも小さな身体で、しかし立ちはだかった。 「ハッ―――そうだテメェでもいいっ!!」 嬲るのも、人質でも、だ。 「俺は高いぞ」 太い腕が届く直前―――。 真朱はヅラを投げた。 眼前に飛んできたソレを大男は反射的に振り払い―――左腕に生き物のように絡みついた大量の髪の毛に危く腰を抜かしかけた。 「ぎ、ぎゃあっ!? なっなっ!?」 「あーイテ」 留め具ごと鬘を毟りとって地毛を引きちぎったため真朱は涙目だ。 「わっわっわ!? 鬘ァ!? ち、ちくしょうこのアマァ!!」 「誰がアマだこの類人猿ッ!! 山に帰れゴリラっ!!」 今度こそ、その胸倉を掴まれた。あまりにもあっけなく、足が地を離れる。 あーこりゃ死んだなと早々に諦めかける冷静な自分を叱咤する。後ろの三人が逃げる時間を稼ぐくらいの根性は見せたい―――どんなに無様に足掻いても。 腹に力を込めて、目の前の汚い面に頭突きをかました。 「ぎっ!?」 鼻血が散る。 血飛沫を片頬に受けつつ、真朱は考えて、考えて考えて考えて考える。 ―――始めから丸腰だし、虎の子の鬘も投げた。後使えるのはこの身体のみ。掴まれて浮いた足はタマに届かない。ッチ。目潰し―――あかん今の頭突きで目を閉じられた。腕力なんて微々たるものだから硬いところを武器にするしかない。人体で一番硬い骨は頭蓋で、頭突き済み―――であれば。 歯しかない。 手を伸ばし、男の頭を抱きこんで、真朱はその耳朶に思いっきり噛み付いた。 「ぎゃあっ、こンのっ!!」 豪腕が唸り―――鮮血が飛び散った。 (誰が予想したまさかの一騎打ち。我ながらスゲーところで切った気がする。ほーほけきょけきょー) |