「寒い寒い寒いさむいさーむーいー………」
 李真朱は冬が嫌いだ。
 寒いから。幻覚を見るほど寒いからだ。気がつけば宙に石油ヒーターやあったかい醤油ラーメン、おこたに蜜柑、おこたの中で食べる雪○大福が浮かんでは消えたりする。マッチ売りの少女の如き切ない幻覚だ。というか凍死寸前の幻覚症状くさい。うっかり涙がにじむが、にじんだ涙も凍りそうだ。泣くもんか。
 新年を迎え、身体年齢推定十六歳となった李真朱は、後宮の自室で赤々と火鉢を温め、それをときどき火箸でかき混ぜながら頭から布団を被ってガチガチ歯を鳴らしている。窓はガッツリ締め切って厚い垂れ幕を用意し防寒は完璧、省みて換気は最悪。冬の乾いた空気を吸い込むと喉が渇いた。
 喉を潤すでもなく薬湯をすする。これがまたクソ不味いのだ本当に。舌が麻痺する。
 まず冬になると体が冷える。いわゆる冷え性だがそれも重度で下手すると凍傷を起こすほどだ。手が真っ白になり酷いときには紫色になり、まさかレイノー現象を自らの身体で体感する日が来ようとは夢にも思わなかった健康な男の体が懐かしく恋しい。真朱の身体は蒲柳の質というかまんま虚弱で常に顔色が悪く、化粧を欠かさないのは顔色の悪さを誤魔化すためでもある。
 暖かい季節は騙し騙しやっていけるが、冬になるとそれらが待ってましたとばかりに噴出してくれて、さらに眩暈不安動悸苛立ち不眠貧血といった自律神経の失調まで襲ってくるからたまらない。自分で言うのもなんだが精神面の愁訴は厄介だ。いつまた突発的に死にたくなるかわからんという綱渡りの恐怖がいや増す。
 何よりたまらないのは、これら全てがいわゆる"婦人病"であることだ。現代日本で医者にかかるとしたらレツゴーレディースクリニック。泣ける。プライドはズタボロだ。
「にがい」
 良薬は口に苦しを通り越して最早味覚破壊液。飲み込むのにバンジージャンプ並みの勇気が必要ってどうよ。
 それでも欠かせない薬湯は当帰四逆加呉茱萸生姜湯とかいう漢字十一文字を連ねる代物で、大棗桂皮芍薬当帰木通甘草呉茱萸細辛生姜等の生薬より処方される。そんで少量の附子。附子ってのぁトリカブトだ。自分の首を絞める知ってて不幸になった雑学だった。おかげで最初は医者にこれを飲めと言われても「いや死ねとっ!?」と絶叫し飲めやしなかった。ソクラテスを見習え? ところがドッコイ、どーにもならないので飲んでみたら体が中から温まると思い知ってからは不味い不味い言いつつ手のひら返して青汁よりお世話になっている。
 冬はそれだけ強力な薬を飲まねば人並みの活動が出来ない。
 だから真朱は首を長くして春を待つ。春の訪れが一月ほど遅くなればロクロ首となり魑魅魍魎デビュー出来るかも知れない。それが李真朱の冬であり、冬季にろくに活動をしない真朱は冬眠中の熊よりものぐさだ。寝返りくらいは打つだろう熊の方が動いている。
 紅家別邸で自室に篭っていると、不健康だと兄に布団をひっぱがされて外に放り出されたりする。まるで運動しないのは確かに不味い。しかし動きたくない真朱はその心配がない後宮暮らしは冬のみ快適なのかもしれないと薬湯をすする。
 悴む指を火鉢に当てて、何の仕事もせんとまったりと暖を取る。
 そんな真朱の自主冬眠を打ち破るのは、いつも兄だ。
「真朱ッ!!」
「ぎにゃーっ!! 戸を開けるな閉めろ寒いーーーっ!!」
 空気は暖かいところから寒いところへ流れていく。自然の法則の通りに貯めに溜め込んだ暖気がアバヨとばかりに開け放たれた扉から逃亡するのを体感した真朱が悲鳴を上げる。
 やって来たのは他の誰でもない李侍郎、兄である。後宮の妹の室にやってくるなど稀な彼が、毎年のように真朱の布団をひっぺがす。真朱は必死で布団を掴むが、体格差と腕力差は顕著である。あっさり剥かれた。部屋着の上に部屋着を着込んで部屋着を被って更に布団を被っていた着膨れダルマ真朱がころころと転がった。
「出かけるぞ着替えろ」
「いやじゃー」
「着・替・え・ろ!!」
「いやじゃーっ!!」
 もうマジ泣きである。
 外は雪だ。ちなみに雪さえ降ってなければ冬真朱でも此処まで酷くはない、一応。
「秀麗が風邪を引いたんだ! 見舞いに行くぞ!!」
「ふぉっ!?」
 ころころ転がっていた真朱が顔を起こす。身を起こそうとして転がった。着込みすぎだ。
「秀麗さまが?」
「そうだと言ってる! 邵可様が慌てて飛んで帰ったから確実だ」
「ちょ、ちょっと待って着替えるってゆーか、た、立てない起こして〜」
「毎年毎年思うが、馬鹿かお前は」
 冬になると丸い珍生物と化す妹に呆れながら、一応手を引いてやる。
 その手を頼りによたよたと身体を起こした真朱は、一旦深呼吸してから、覚悟を決めてえいやと服を脱いだ。





 兄の目の前で。





「はぁっ!? ちょ、お前本当に馬鹿かっ!?」
「やかましいそこの下着と衣と上着取って一応ヅラもアレ被ってるとちょっとは頭あったかいから寒い寒いさーむーいー!!」
 第三者が見ていたらこう言った筈だ。
 ―――馬鹿兄妹と。






 すったもんだで(絳攸が妹の着替えを何処まで手伝ったかは想像にお任せする)体裁を整えた二人は絳攸の軒に乗り込み一路紅家別邸へ向かった。直接邵可邸へ向かわないのは物資調達のためだ。邵可邸の敷居を跨ぐもの手ぶらでべからず。しかも今回の目的は見舞いである。尚更手ぶらでは赴けない。
「………暑いッ」
「俺は寒いッ!!」
 寒さに弱い弱すぎる妹は人より一枚多く着込んだ上にそれでもまだ寒くてならないのか恥も外聞も体裁なく熱源に擦り寄る。
 狭い軒の中、熱源など限られる。
「重いというにっ!!」
「重くないー俺は軽いー羽のように軽いー」
 視線を宙に彷徨わせてうわ言のように呟く真朱は明らかに寒さで思考が一本飛んでいる。冬によく見られる自失状態で絳攸には見慣れたものだが見慣れていない者には何事かと思われるに決まっている。この体勢は色々と問題があるようなないような。ときどきちらりと振り返る御者を務める家人の視線が気になりすぎる。
「降・り・ろ!!」
「いやじゃーっ!!」
 人の膝の上にまたがりべったりと張り付く外聞の悪い妹を引き剥がそうと絳攸は頑張るが、この妹、可愛げはないし色気もないし性格はドドメ色の癖しくさって、何処もかしこも小さくて柔らかくてふにふにしていて甘い匂いがするという絳攸の超苦手分野だった。
 そして冬は薬湯の臭いがする。
 それが哀れだと同情すれば、真朱は顔色をなくして噛みついてくるだろう。だから絳攸は季節を問わず真朱に対する接し方を変えない。
 つまり、だから―――どうしろと。
 仕方なく、真朱の肩からずり落ちた肩掛けを頭巾のようにかぶせると、思考の一本飛んでいる真朱はすりすりと人の首元に顔を埋めやがる。本能的に熱を求めているだけで、コレ実は誰でも良いと言うことを絳攸は知っている。冬、真朱はそこに人がいればそれが紅黎深でもすりすりする剛の者だ。あったかければ誰でもいいと何も考えていないのが丸わかり。ちょっとムカつくのは何故か。
「絳攸様、真朱様、軒の中でいちゃつくのやめてくれませんか」
 とうとう御者が苦情を申し立てた。
「いちゃついてなんぞおらんわぁっ!!」
 絳攸の絶叫もゼロ距離では説得力皆無。
 スリスリ虫はすりすりしている。





 紅家別邸で物資を調達してやっとたどり着いた邵可邸の門前で、やっぱり一旦藍家に引き返していた楸瑛とばったり出くわした。
 殆ど同時に軒から降り立った三人は一瞬固まる。
「…………赤飯を炊こうか絳攸?」
「その口を閉ざせ常春っ!! コイツが離れないんだっ!!」
 絳攸にべったりと張り付いた真朱はかたかた震えている。べったりと張り付いてと言うか抱きついて離れないので仕方なく絳攸は真朱を抱きかかえて軒を降りたのだ。無茶苦茶気まずいところを悪友に目撃されて眩暈を覚える。
「いい加減降りろっ!」
 羞恥に怒鳴ると妹はいやいやと首を振る。
 此処でうっかりと可愛いとか思うと負けであるもう色んな意味で双方の人生終わる。お兄ちゃんは心を鬼にして妹を雪の上に落とした。
「ぎにゃーーーーっっっ!?」
 雪の上に尻餅をついた真朱は珍妙な悲鳴を上げて飛び上がり、わたわたと熱源を探し、あろうことか楸瑛によじ登った。
「だーっ、この馬鹿っっ!?」
「おっと。本当にどうしたんだい彼女?」
 よじよじする真朱を楸瑛は危なげなく抱き上げて人間アンカ交代。スリスリ虫はすりすりする。
「………可愛いんだけど」
「冬はいつもこうなんだっ! いいから離れろーーーーっっ!!」
 だったら落とすな。
「寒い寒いさーむーいー………藍将軍あったかぁい」
 スリスリ虫はすりすりする。
「……絳攸。彼女持って帰ってもいいかい?」
「ふざけんなっ!!」
 あわや変則的痴話げんか勃発というところで邵可邸から爆発音が鳴り響いた。
「…………は?」
「な、なんだぁ?」
「さむい」
 反応は三者三様。というか真朱論外。

 冬の李真朱は役に立たない。








(文明の利器的暖房器具の欠如、寒がり、器の体質もあり、寒いのダメダメ。ここ笑うとこ)




モドル ▽   △ ツギ



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