「そのー……真朱に相談があるのだ」
「懲りないっすねー主上。あんたマゾでしょう。しかも真性」
「まぞ?」
 学習能力がないのか打たれ強いのか、悩める子羊アブドミナルクラッシャー李真朱(自称)の悪名を恐れず再び相談を持ちかける劉輝は大物だ。
 黒い碁石をつまみながら呆れ果てたといわんばかりの少女が発した謎の単語に王は首を傾げる。
「いや何でもないですよ。つーか説明したくねー」
 事細かに説明して彩雲国にSMプレイが流行したりしたら責任がもてん。持ちたくもない。
「んで、なんです? 聞くだけ聞きますよ」
「うむ。これなんだが」
 劉輝がもそもそと懐を探って取り出した料紙を何気なく受け取った真朱は、次の瞬間ずっしゃーっと碁盤に顔面から突っ伏した。
「あぁ!? 石がっ」
 実は白が劣勢だった囲碁だが、苦心して築いた逆転の布陣を壊されて劉輝が悲鳴を上げる。ばらばらと白と黒の碁石が盤上から零れ落ちた。
 劉輝相手に優勢だった陣形を自ら粉砕した真朱ががばりと顔を上げる。
「なんっであんたがコレ持ってるんですか主上っ!?」
「出場しようと思って」
「ブルータースッッッッ!!!」
 目の前のものが碁盤でなくちゃぶ台だったら往年の秘技が炸裂していただろう。
 囲碁どころではなくなった。
「なんでっ!?」
「うむ。余が金を稼ぐには最早このような手段しか残されておらず、余は手段を選ばぬ男なのだ」
「ちょっとカッコイイ台詞っぽく聞こえますがね、手段を選ばず実行する手段がコレですかそうですか女装ですか」
 真朱は超笑顔で料紙をぐしゃぐしゃポイした。
 その料紙は、豊穣祭女装大会の参加者を募集するチラシだった――言うまでもなく。
 広告の原画デザインは誰かと言えば他の誰でもない、李真朱。巡り巡って手元に戻ってきたと言える。コレもある種の因果応報か。
「なんとしても米俵百俵を我が手中に収め、そのまま秀麗に貢のだ。秀麗は白いご飯が大好きだからきっと喜ぶ」
「びみょー……」
 少なくとも真朱は自分の彼氏が女装して得た賞品を横流しされても嬉しくない。彼氏なんぞいらんが絶対にいらんが。
「それで、出来れば真朱に手伝って欲しいのだ。衣装とか、化粧とか……」
「あっはっはーっ」
 笑うしかなかったのでとりあえず真朱は笑った。だいぶ乾燥した笑いになった。
 ――ちょっとした悪戯心というか、日々の鬱憤を晴らす無差別的八つ当たり企画が裏目に出た。コレは、あれか。先日秀麗にドナドナした絳攸の呪いか。もっと遡っていつぞやの夜食の時、「じゃあ手作りの贈り物なんていかがでしょう」と真っ当な提案をしてやらなかった劉輝の意趣返しか。
 なんにせよ答えは一つ。
「………俺、ヤダ」
「そこをなんとか! 余が頼れるのは真朱しかいないのだっ」
 まぁ他の女官に女装するから衣装と化粧よろぴく、とは言えまい。手段を選ばぬ男になった劉輝とて守りたい体面はあろう。
「ヤだし、無理。ほれ此処見ろって」
 ぐしゃぐしゃポイした料紙を丁寧に伸ばし、チラシの一番下に載っている文字を指差す。
「む? あ、もしかしてっ?」
「そ。企画と出資が俺の会社。つまり俺。俺主催者。しかも審査委員長。俺は中立」
「そ、そんな……」
 白い碁石がカラーンと悲しげな音を立てて床に転がった。
 しばし沈黙が停滞する。


「…………もしかしてだいぶ前から考えてた? 静蘭殿に豊穣祭の特別警護の勅命出したのコレのため?」
「……うむ」
 すげぇ職権乱用だと思った。アホな勅命だ。
「…………さすがに一人じゃ自信ない? 衣装と化粧」
「……出来ぬことはないと思うが、客観的な意見が欲しかったのだ」
 割と真っ当な意見に聞こえるが話は女装。
「…………他に頼れる人一人もいないんですか?」
「……珠翠、いや駄目だ呆れられる溜息つかれるっ。その他論外、侍官は男だし」
 俺はいいんかいっ!? とちょっと思った。目の前であからさまに呆れて溜息ついてるのにスルーかよ。
「…………ともだち、いないんですね」
「……うむ」




 王様って切なっ。




「――――いいでしょう」
「え?」
「やりましょう目指せ優勝米俵。此処まで頼られて答えないのはオトコじゃない! ナリはこんなだが俺はオトコだっ!!」
「真朱っ、真朱ーっ!」
 がっつりと手を組む。春より半年、真朱の天然意地悪を耐え抜いた劉輝との間には友情に似たナニカが確かに芽生えていた。
「ふふふはははこの国で俺より女装に長けた奴がいるだろうか!? 否、それは否!! 実を言えば俺が出たい俺が出れば優勝は確実なんだその資格がないのが甚だ謎だが!!」
 身体だけは女なので、毎日女装してるのにただの正装になる罠。不思議すぎる。
 なにかどこかブチ切れたようにふつふつと燃え上がる真朱に無類の頼もしさを覚えつつ、劉輝は根本的なことを聞く。
「その、余は助かるのだが、いいのか? 主催者はともかく審査委員長なのに」
「ッフ」
 男らしい鼻息が返答に代えられた。
「降ります。降りりゃーいいんですよ審査委員を。仰るとーり主催者だって出場は出来ます。問題は審査員だったことだけですフハハ。テキトーに代役を立てて、俺は一出場者として主上の優勝を力の限り手伝うと此処に誓います。やりましょう主上」
「ありがとう真朱っ! 余は、余は嬉しい! 必ずや米俵を秀麗に貢いでみせるぞ!」


 凸凹コンビが此処に結成された。





「お嬢様、文が届いていますよ」
 邵可邸。
 賃仕事を終えて夕餉を済まし、家族でお茶をすすりつつ、せっせと絳攸の衣装を仕立てるのに針を動かしていた秀麗が顔を上げる。
「あら、誰からかしら?」
「真朱様からですね」
「えっ!?」
 驚いた秀麗は糸のついたままの針を剣山に刺し、静蘭の差し出した文を受け取った。
 流麗だがどこか女性らしい柔らかさにかける筆跡は、確かに秀麗宛で差出人は李真朱とある。
「えぇ? 何かしら」
 用件がどうにも予想できず、秀麗は文を開く。
「…………………………嘘」
「お嬢様? 真朱様はなんと?」
 秀麗はがばりと顔を上げた。
「真朱が女装大会に出場するんですって!! 知り合いにお手伝いを頼まれて、わざわざ審査委員を降りて!!」
「強敵出現だね、秀麗」
 お茶をすすりながら邵可が微笑む。
「どういう心境の変化でしょうね」
「わ、わからないけどっ、父様の言う通りよ凄い強敵じゃないっ。真朱頭良いし器用だし衣の趣味は良いしお化粧は上手だし! ずるいわ真朱を味方につけた知り合いの人ーっ!!」
 邵可と静蘭は真朱を味方につけたという"知り合いの人"をなんとなく察しつつも、まったく気づいていない秀麗に口をつぐむ。恐らくその知り合いの人も秀麗には驚いて欲しいだろうし、何よりちょっと口に出したくない。それがこの国の主その人であろう、だなんて。秀麗もまさか王が主催者自らが馬鹿企画と評した催しに出陣するだなんて思うまい。思いたくないからこそ気づいてないのだろう。現在王城で宮女をしている真朱に助っ人を頼める男など数えるほどしかいないというのに。
「わざわざ秀麗に断りの文を出すなんて正々堂々としていて気持ち良いね」
「……そうね。黙っていればわからないのにちゃんと審査員も降りて、惚れ惚れするぐらい潔いわ。かっこいいわ真朱。此処で受けて立たないのは女が廃るわね!」
 女じゃなくて男が廃るから引き受けただなんて思いもよらない。
「でもそうなると、真朱は絳攸様と争うことになるのよね? 心中複雑かも」
 そんなこと気にするような少女じゃないと邵可と静蘭は思った。むしろ複雑に思うのは絳攸の方だろう。その心境は妹と争うことを厭うというより女装大会で争うなんて兄妹揃って馬鹿じゃないのかという自虐的なものだと推察するが。
 秀麗は未だに李真朱という少女を見た目のまま、気さくだが、きちんとした深窓の姫だと考えている節がある。一緒に菜を作っていても重い鍋は秀麗が使うし運ぶし持たせないあたり徹底している。力仕事を奪われた少女がちょっと項垂れているということに気づいていない。実際真朱の方が秀麗より小柄だし腕も細い(でも胸はある)ので、腕力と言う意味では秀麗に劣ることを本人もわかっているのだろうが、それとコレは別だ。はそこそこフェミニストだった。彼女が荷物を持っていれば当たり前に肩代わりしたし、道は車道側を歩いた青年だったのだ。意識せずに行ったあたりが彼女の途切れたことのない秘訣っぽい。それも最早過去の栄光。涙がちょちょぎれるぜという少女の嘆きを秀麗は知らない。


「よぅし! わたしも正々堂々、受けて立つわよ真朱!!」


 王城の方角を向いて意気軒昂とする秀麗に、女装しなくていい邵可と静蘭は惜しみない声援を送る。他人事って素晴らしい。






 侍童の格好をした真朱は外朝をキョロキョロと歩いていた。
 久々の男装は、過ごしやすい季節になったため、さらしを巻いても汗をかくことはない。
「いねーなぁー……」
 探し人の姿が見当たらない。適当に練り歩けば呼んでもいないのに遭遇しそうだと考えていた読みが外れた。男装しているとはいえ、一応宮女である真朱があまり長いこと外朝をうろちょろするのはよろしくない。
「まいったな……」
 やはり劉輝に呼び出してもらえば早かったかなと溜息をつく。あまりにも馬鹿馬鹿しい公私混同なため自らの足で捜し歩いていたのだが、下策だったようだ。
 人気のない回廊で、柱に寄りかかる。
 歩き疲れたので、最後の手段を実行する。
「………………スーパーカリグラフィリスティックイクスピレンリドーシャス」
 誰に言うでもない謎の呪文を小声で呟く。
「誰が煮ても焼いても食えん狸ジジィじゃああぁぁぁぁっっ!?」



 霄太師が釣れた。



「じーさん実は頭悪いだろ」
「出おったな性悪小娘っ!!」
「性悪ぶりでは負けます。ふん。会いたくなかったけど会いたかったぜじーさん。頼みがあんだよ」
「口の利き方を知らん小娘よ。疾く去れぃっ!」
 自分から出現して去れもクソもねぇだろうと真朱は取り合わない。
 古狸と子狐が出会った。竜虎再び牙をむく。

 しゃぎー。

「頼みがあるっつってんじゃん。じゃなきゃ呼ばねーよあんたなんて」
「お主ほんっとうに可愛げがないのぅ。洟垂れの主上の方が百倍可愛いわ」
「それもまた歪んだ愛だな。伝わってねーぞ断言する」
 精神年齢は劉輝よりざっと十は年上だ。可愛げなくて当然だバーカとれろれろ舌を出す。
「やかましいわっ!!」
 わざわざ天敵を召喚したのにはワケがある。物凄く下らない理由だが。
「……懲りん小娘よの。ワシに殺されるとは思わんのか。その呪文の流行、無茶苦茶腹が立ってるんじゃが」
「そいつは重畳いい気味だね。じーさんが俺を殺すって? んな面倒臭いことあんたはしないね。ちょっと成り立ちが特殊なだけの凡人なんて殺す必要もないと言ったのはあんただ。殺しても痛くも痒くもないのも事実だろうが、殺す価値もないと思っているくせにつまんねー脅しすんなよ」
 吐き捨てる。心底つまらないと思っている心に偽りはない。


「君見ずや高堂の明鏡 白髪を誇り(/、、) 朝には青糸の如きも暮には雪と成る」


 太師はわずかに目を見開いた。
「ただの人間を舐めんなよ。アンタなんて恐くないね」
 もっと恐いものを真朱は知っている。
 そいつもお墨付きのついた、ただの人間で―――他の誰でもない自分自身だ。李真朱は自分のためであれば、笑って好きな人たちを裏切ることが出来る。手首の傷がそれを証明する。
 吐き気がするほど、自分勝手な、何処にでもいる、ただの人間だ。真っ直ぐで真っ当な人を知るから、省みて尚更厭わしい。

「―――狸の妖怪が何ぼのモンだ」
「狸じゃないわっ!!」
「違うのかよ?」
 真顔で訊いた。真朱は本当に太師を狸の妖怪だと考えていた。彩雲国には魑魅魍魎が実在するので狸の妖怪だとばかり思っていたのだ。
「………ふん、まぁええわい。美しい詩に免じて暴言を許す」
「あ、そ」
 何でも暗記しておくものである。出典は盛唐の詩人李白の将進酒。詩仙と称えられた地球産の天才だ。一点のみ言葉を変えて意味が真逆になったものの、吟じる美しさは普遍のようだ。正に虎の衣を借りた狐である。
 ―――老いることを嘆かない。ただの人間の短い命を誇りにしていると偉人の歌に託した。
 春に逝った潔い人の生き様を歌ったようであると太師が瞠目したということは、真朱は知らない。知らずいいトコを突いた。
「ジジィに化けてるだけあるってことか」
「狸じゃないと言っとるだろうが」
「はい、コレ」
「なんじゃあ?」
 真朱が手渡した料紙を素直に受け取った霄太師は字面を追って盛大に沈黙した。
「……………なんのつもりじゃ」
「審査委員長やって」
「むはぅおっ!?」
 自分の後釜に朝廷百官の長を引っ張り出す真朱は大物かもしれない。自分より箔がついていいじゃん程度にしか思ってない。
「ただでとは言わねーぞ。コレとコレ、賄賂。ついでにヨボヨボしい心臓を止めんばかりの爆笑を保障する」
 高血圧で死んじまえとの願いを込めた茅炎白酒と、やっぱり高血圧で死んじまえとの願いを込めた塩分過多の地球産おつまみの重箱を手渡し、やっぱり笑い死ねとばかりに親指を立てる。まぁ死ぬとは思えんがそこはエスプリということで。
「つーわけで四露死苦」
 目的を達した真朱は返事を聞かず踵を返した。





 それこそ狸に化かされたように呆けた霄太師が回廊に取り残された。





「………後は、全商連に報告して――親分衆かな」
 李真朱の暗躍は続く。












(囲碁強いらしい。そしてジさまとの第二ラウンド圧勝一勝一敗。仕事の関係上顔が広い主人公、めっさイキイキと暗躍中。馬鹿企画には裏がある)




モドル ▽   △ ツギ






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