襤褸を纏えど心は錦―――じゃなくて。 幼女の殻を纏えど心は日本人。心は成人男性。心は大人。そうでありたいと思うのですよ。 ―――彩雲国の正月は派手だった。 当社比である。多分国で一、二を争う派手さだろう。紅家ってゆーのは国で一、二を争う大貴族だとのこと。それを知ったのは紅黎深に拾われてから結構時間が経ってからだった。知らぬが仏というか、先に言っとけとかなり思った。そんなこと知るはずがないのに当たり前のこととして誰も教えてくれなかったのだ。七家の威光とか知るわけねーだろ。 年の増え方は数え年らしく、先日めでたく推定六歳となった李真朱は紅家別邸の庭院に降り立ち、ちんまりとしゃがみこんでいる。 新春を祝う宴は盛大で華美で、豪華絢爛だった。目がチカチカした。 国で一、二を争う大貴族の、その直系の、なんと当主だったらしい紅黎深は、親族連中が根こそぎ嫌いらしい。正月だからといって勝手に集まる親族をナチュラルに無視する凄い人だった。 その紅黎深が二人の子供を拾ったというのは、親族にとって天変地異の前触れで驚天動地の椿事であったらしい。 この年集まった親族の興味は、年端の行かない二人の子供に集中した。 彩雲国で迎える初めての正月で、李真朱は兄ともども、パンダになった。見世物パンダだ。 豪華絢爛な宴に放り込まれ、その保護者であるはずの黎深は早々にトンズラこいた。庇ってくれる保護者もおらず、いたところで庇われたとは夢にも思わないが、見世物パンダ以外の何者でもなかった。子供たちの初お披露目というにはだいぶ投げやりな所業で、同じ空気を吸うのも嫌というその態度、いっそ清々しく真朱は感嘆したものだ。 直接話しかけてくるものは殆どいなかった。紅黎深の養子といえど、元をただせば馬の骨、興味はあってもわざわざ声をかけてやるなんて業腹であるというわかりやすい蔑視に晒され三日三晩。見世物パンダを勤め上げた兄妹だ。黎深よりよっぽど大人な態度だったと真朱は自画自賛する。 自分はいい。 見た目は幼女だが中身はだいぶ年食っている。正月用の正装も、黎深の親族連中の軽蔑の視線も、見世物パンダ扱いも、あからさまな侮辱だって物理的に痛くも痒くもなければ痛くも痒くもないと強がれる程度には年を食っている。大体俺、コッチ来てから感性がドMだし、とまで言い切る。見た目どおりの年齢だったら軽い拷問であった酒宴だって、退屈だっただけだ。 そういう意味では、賞賛に値するのは絳攸のみだろう。 実に立派だった。お前本当に年齢見た目通りなのかってゆーくらい立派だった。 スゲェなぁアイツ。 改めて、感心した次第である。 そんでもって、現在気力体力使い尽くして知恵熱出してダウン中だ。だから真朱は今一人、庭院に降りている。 回廊を歩いていた紅玖琅は、冬の庭院に桜が咲いているのを見つけた。 季節外れの桜―――ではない。それは淡い桜色の衣を纏った、小さな少女だった。 「………あれは」 兄が拾った、少女だ。 「せり、なずな、はこべら、ははこぐさ、ほとけのざ、すずな、すずしろ…………あかん、やっぱなずなとはこべらしかわからん」 なにか呟きながら、雪を掻き分けて摘んだのだろうぺんぺん草と、本を握り締めてしょんぼりしている。 その声を聴いたのは、初めてだった。 酒宴の最中、幼女は一言も喋らなかった。あの年で、あの空気の中、一言の不平も漏らさずに、窮屈な正装にも文句を零さず、人形のように座っていた。時々瞬きをしていなければ、身代わり人形を席に置いたと思ったに違いない。いかにも黎深のやりそうな嫌がらせだし。 実際はきちんとホンモノで、渋ったとはいえ兄は子どもを親族に見せた。 子ども達はどちらとも貴族の子弟らしい立派な態度であったし、玖琅が痛快だったのは、頭の硬い年寄りの得意絶頂の演説を、小さなあくびで遮ったことだ。 人形のように微動だにしなかった幼女の小さなあくびは不思議とよく響き、老人は面目を潰され、しかし子供のすることを声高に詰るのも大人気なく、しおしおと屈辱のまま口を閉ざす羽目になった。 眠くなったのだろうと思い、兄ともども酒宴から連れ出したのは彼で、しかし幼女は玖琅に丁寧に頭を下げると、眠気の欠片も無いしっかりした足取りで自室へ帰っていった。眠くなったのではなく、ただ退屈していたのであって、その直後に我慢に我慢を重ねた兄が倒れたと伝え聞けば、意図してあくびをしてつまらぬ酒宴から抜け出したとしか思えない。 どこまでが計算かはわからぬ。 しかし、実にいい度胸だった。 興味を抱き、玖琅は雪の残る庭院に降りた。 「………すずなとすずしろはだいどころにいけばあるだろーが……せりとははこぐさほとけのざはどれだ………」 「―――何をしている」 幼女は弾かれたように振り返った。 その拍子に、膝に置いていた本を雪の上に落とす。 「やべっ」 「………」 雪に濡れないように即座に本を拾い、慌てて泥を払う。その本が本草書―――薬学書であることに、玖琅は無表情の下で驚いた。 「こ、こんにちわ」 そして、さらに慌てて玖琅に頭を下げる。 「こんなところで、なにをしている」 玖琅はかすかに頷き返し、問いを重ねた。 「え、そのぅ……わかなを、つんでおりました」 「…………」 少女はぺんぺん草を握っている。 「………薺か」 「は、はい」 真朱は青年を見上げる。 彼が黎深の実弟だと真朱が知ったのは、酒宴から連れ出してくれた後だった。紅家直系は追放された長兄を含め男ばかりの三兄弟で、黎深はまんま自分が一番次男と知って、腹が捩れるほど爆笑したのは内緒だ。絶対内緒だ。言えねぇ。 無表情だが、兄さん想いの三男である玖琅も、やっぱりまんまだと思っているのもおくびにも出さない。針のむしろだった酒宴で、李兄妹をさりげなく気遣ってくれたのは彼だけだった。 ………とはいえ、玖琅は無口な青年だった。会話が弾むはずも無い。 「あ、あにうえの、おかゆに、いれてもらおうと……」 ということにしておく。 異世界の正月に、なにか己の知る行事も出来る範囲で祝っておこうと思い立ったものの、六歳児のふくふくとした小さな手ではおせちも作れず、味噌と醤油も無ければ雑煮もつくれない。関東風も関西風も無理だ。つーかまだ庖丁を握らせてもらえない。まぁ六歳じゃな、と自分でも思うが。 何か、何か無いかと考えた末、七種粥なら可能だろうと手を打ったのだ。 確か薬効もあったはずだ。正月の暴飲暴食の後に良いとかなんとか。 寝込んだ絳攸に与えられるだろうお粥に便乗して、七種粥を作ってもらおうと画策した自分本位な妹である。そらー熱を出した少年の心配だってしちゃいるが、知恵熱だとわかりきっていればとりあえず寝てろとしかいいようがない。 日本人の常識として、春の七種はもとより、秋の七草だって空で言える真朱である。しかし此処に知識の壁が。 名前は知ってても実物の判別がつかなかったのだこれが。かろうじてぺんぺん草がナズナだということと、ハコベは名実ともに判別できて、かぶと大根は厨房にあるだろうと踏んだのだが―――芹と母子草と仏の座はさっぱりわからない。七種粥の頃以外は基本的に雑草の部類だし。ぺんぺん草なんてキングオブ雑草だ。 そこで黎深から本草書を借り受け、一人庭院で草の識別に勤しんでいたわけだ。図説を頼りに頑張ってみたが、これが写真じゃないから細かいところは中々ワカラナイ。 そんな複雑すぎる内心を隠す少女をどう思ったのか、玖琅青年は頭を撫でてくれた。 多分好意的に誤解してくれたと思う。 「―――他には」 「あの………せり、と。ごぎょう、たびらこを」 和名を巧妙に通じるように変換する芸の細かく小賢しい(見た目)幼女である。 「どれも厨房にあるだろう」 ………なんと。 真朱にとっちゃあ雑草でも、所変われば品代わり、普通に食用とされていてさらには薬用とされていた。薬学書に記載されているくらいなのだから気づいてもいいものだが。 結局、収穫はナズナとハコベラのみだ。ちょっと情けなかった。 「そう言えば、薬効があったのだったな……」 「え?」 「いや―――来なさい。庭院は寒い」 傍若無人で天上天下唯我独尊、少数の例外を除いては他人をぺんぺん草だとしか思っていない兄が拾った少女が、そのぺんぺん草を大切そうに握り締めているのが玖琅には妙に感慨深かった。 荒野にも生える雑性の印象が先立つが、医者要らずとまで言われる薬効を誇るぺんぺん草が、あの兄の性格をどうにか人並みにしてくれないものかと思ってしまう。 朝賀の為に当主代理としてはるばる貴陽までやってきた紅玖琅の偽らざる胸のうちだった。 (正月らしく、正月らしい話。初めてのお正月) △ モドル ▽ |