ツッコミ不在の恐怖〜名月編〜





 その日、李真朱は珍しくもご機嫌だった。  少女の高い声が気に食わなくて普段であれば決して歌いはしない鼻歌を口ずさんだりして庭院を横切る足取りは軽い。ちなみに歌は微妙に下手である。彼女に音楽の素養はない。
 秋晴れの昊には雲ひとつなく、風は幾分涼しいものの、季節をひつ月ほど遡ったような陽気だ。秋物の衣の下が少しだけ汗ばむ。いい天気だ。
 豊穣祭に個人的に王様に協力した報酬として、特別に一日休みを貰った。別に要らんと言ったのだが、「余は今日は一人で眠るのだ。我慢するぞ」と自慢げに胸を張るのでウッカリ微笑ましく思ってしまい了承した。降って沸いた休日に実家へ戻って仕事をする気には到底なれず、一日好きなことをして過ごそうと思ったら自然と機嫌がよくなった。




 その日、李真朱は珍しくもご機嫌だった。
 ―――拉致られるまでは




「………これどういう状況?」
 はっはっは。誘拐なんて初めてではない。伊達にお嬢様やってない。しかも一人でぷらぷら勝手に出歩くお姫さまである。カモネギである。故に初めてではない。
 しかしこのお嬢様は中身が劇薬である。毒にも薬にもなるが基本的に猛毒という類の劇薬だ。誘拐されて大人しく助けを待っていたことは一度もない。一度もないどころか閉じ込められた穀倉庫を爆破して脱出したりするお姫さまだった。ビバ粉塵爆発。
 十にもならない年齢でそんなことを繰り返してくれた紅黎深の義娘は一部"誘拐犯殺し"として有名で、いまや貴陽の頭の悪いチンピラは手も足も出さない。静かになって結構だったが外聞が悪い。殺してなんかいない。精々全治三ヶ月だ。李真朱は不殺を当然の身上とする常識人である。
 ―――キレると死んだほうがマシかも知れん報復に打って出ることもあるが社会的抹殺の部類だ。常識を重んじるだけにえげつないというのが養い親の評価で、常識を重んじない彼は義娘が何しでかそうと外出を制限しなかった。双方ともに絳攸に知られたらマジうるせーという合意のもと、彼には一切知らせていないが、久しぶりとはいえ、誘拐は初めてではない。



 まず見た目がちっこい。遺憾ながら。
 まず見た目がスタンダードにお姫さまだ。口惜しくも。
 まず見た目が子供だった。さば読みすぎ
 まず見た目が虫も殺さぬようなお嬢様だ。ぷちっとゴキブリすら踏み殺せるが



 たいした計画性もない誘拐犯ならちょっとプルプル震えて見せればそれだけで油断が誘える。小さな身体と細い腕で何が出来ると判断されて、脅える演技をしてみれば縛られもしない。その下で手段を選ばない脱出方法を模索するからまずそんじょそこらのチンピラには手に負えないのだ。
 しかしこれはどうだろう。
 なんと誘拐現場は王城の庭院である。無計画で王城に忍び込めるチンピラなどまずいない。やることなすことえげつないと言われるが、基本的には非力で無力なオンナノコなのだ。真っ向勝負の結果は端から見えている。不意をつけなければ終わりなのは言うまでもない。言うほど簡単に脱出してきたわけじゃなかった。はっきり言って迷惑をかけないように死ぬ気で頑張った結果だ。
 金目当てなら早々に殺されはしない。大人しくしていれば勝手に模範的な人質と受け取られる。
 個人的な怨恨を残すような愚を犯してはいない。情報操作は得意中の得意だ。
 持ち前の聡さから目的を推察して二枚舌で翻弄することもあった。
 しかし今回ばかりはそれら全ての外堀が埋まっているといえる。




 ―――犯人の目的不明。デコピン一つで脳漿ぶちまけるんじゃないかって言う鍛え上げられた巨体。ちびりそうな鋭い眼光。油断など欠片もない歴戦の兵だ。
 真朱の観察眼をもってしても逃げる隙がない。




 ……………てゆーか。




「わたくしに何ぞ御用がおありなのでしょーか―――宋太傅?
「ツマミ作れ」




 拉致る前に普通に言って欲しい。







「な・ん・で・お主が此処におるんじゃっ!?」
「………元はといえば狸じーさまのせいじゃねーかよ。こないだ貢いだ酒とおつまみ、宋太傅と一緒に食ったんだってぇ? 庭院歩いてたらいきなり拉致されて"つまみ作れ"と言われた俺の身にもなれ」
「年甲斐もなく何やっとんじゃお主っ!?」
 長年の友人の奇行にくわっと太師は目を見開いた。
「テメーにだきゃあ言われたくねーよ霄。ほれ小娘、酌をしろ」
「ほいほいほいおーっとっとっと表面張力ー
 城下を一望できる高楼のてっぺん。
 夜空にはぽっかりと美しい満月が浮かんでいる。
 くっきりとした輪郭の満月は中天から月光を注ぐ。ぼんやりと浮かび上がる城下の姿は、故郷の夜景と一線を隔するが、美しいことに変わりはない。




 秋の名月を肴に酒を飲みたいからツマミを用意しろ。いい酒を手に入れた。飲ませてやる。そう言われたら本日暇人な李真朱に否やはない。
 むしろノリノリで酒宴の用意をした。




「じゃじゃーん。さっきまで氷室で保管してた麦酒〜♪ 本日特別におすそ分け〜」
 己の持てる権力を総動員して作ってもらったとっておきのビールまで取り出す始末。生絞りだ。
「変な酒だななんだこの泡―――酒精は弱いが悪くねーな」
 一気に飲み干した宋太傅の飲みっぷりの惚れ惚れする。
「でしょでしょ〜。軟骨のから揚げに一夜干しのイカ焼きでーす! から揚げには酢橘をかけて、イカにはこの黄色いタレととんがらしを混ぜてどうぞ〜」
 ノリノリ。
「こんの狐娘! お主ワシと宋では態度違わぬか!? 違いすぎぬかっ!?」
「へっ、人徳の差だ」
「おぬしの何処に人徳なんぞがあるんじゃあこの剣術バカがっ!?」
「ふっ。宋のじーちゃんは俺の作る菜の味がわかるのだ! 庖丁人にこれ以上の幸せはないっ!! じーちゃん珍しい菜まだまだあるからなー」
「よし。小娘お前も飲め」
「あいあい〜」
 真朱は宋太傅に速攻で懐いた。手段はアレだったが、故郷の料理を褒められて悪い気がするはずがない。この世界で用意できる限りの居酒屋メニューを用意した。
「そのつまみワシにも寄越せェェェェいっ!!」
「狸じーさんの分は作ってない」
「だとよ、霄」
「ムガァァァァァァァァ!!」




 タヌキの絶叫が月夜に木霊する。
 満月は分け隔てなく降り注ぐ。あぁ良い夜だ―――あぁ、あぁっタヌキの怨嗟が心地よい。最早快感だ。もっと叫べ。
 王城で飲み友達が出来た真朱はナイスなBGMを片耳に、最終的にもご機嫌に特別休暇を過ごした。






(秋の夜長に月見酒〜)





モドル

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