ツッコミ不在の恐怖〜春風編〜





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 女の園、後宮。
 右見ても女、左見ても女。目に楽しいけど俺此処にいて良いの? ねぇいいの?
 もう喜べばいいのか悲しめばいいのかわからない李真朱は、学力と偏差値だけで学校を選んで出願したら女子高でしたーみたいなオチを喰らった男子中学生のような壮絶な居心地の悪さを味わっている入内二日目の昼。何の説明もされず義父に放りこまれた後宮に、真朱は著しく場違いだった。
「最初は淋しいかもしれませんけど、慣れれば楽しいところですわよ。お友達も沢山出来ますし」
 年かさの宮女が気遣いの言葉をかけてくれる。
 あーそーそーですかーあははさっき貴女がオトモダチの大切にしていた簪を池に投げ捨ててさらに石まで投げ込んで池の鯉を驚かせた場面を偶然目撃してさえいなければ素直に頷けたかもしれません女の友情って恐っ。そのオトモダチもさるもので貴女が今飲んでるお茶にヒマシ油垂らしてましたよやっぱり見ちゃったアハハそろそろ腹が下る頃じゃないですかね。ヒマの実を絞って作ったヒマシ油、確か現代では印刷用のインキに使われて、昔は下剤だったらしいデスヨ毒性のあるたんぱく質が発見されてから現代では使われてませんが。
 ぐぎょごろぎゅるるるぴー。
 お茶を運んできてくれた年かさの宮女の腹から聞こえた腸の絶叫を礼儀正しく聞き流して、オホホちょっと失礼と言って席を立つ彼女を見送る。真朱は当然、お茶に手をつけていない。巻き添えは御免だ。
「れーしんさま〜………」
 一人になった真朱は卓に突っ伏してしくしく泣く。
 後宮に上がったばかりの少女によく見られる症状で、家族や知人を思ってさめざめと涙を零すのは一種の通過儀礼である。
 その通過儀礼中で"飛び蹴りかますー"と呟きやがった少女は多分彩雲国史上初。


 女三人集まれば姦しく、もっと集まれば始まる忌憚なき仁義なきガールズトーク。
 姦しいといいつつもそのうち一人は半分以上男。つまり女、女、男。嬲るという漢字の逆バージョンですかそうですかイジメ?
 女同士の猥談なんて聞きたくねー聞きたくねーよーっとこっそり涙を流す異分子が一人。綺麗なおねぃさんの舞台裏なんて知りたくないし聞きたくない男心踏みにじって踏み潰して後ろ足で砂をかけてくれる。
「やっぱり藍将軍が一番ですわぁ」
 真朱統計では後宮での人気ナンバーワンはぶッちぎって藍楸瑛だ。
 ―――顔見知りとは黙っておく。女は恐い。
 楸瑛と真朱がしでかした知る人ぞ知る"三・三七事件"―――三分三十七秒の詳細なんて口が裂けても漏らせません八つ裂きにされるかもしれん。一部で伝説になっているが、その伝説も後宮までは伝播していないらしい助かった命拾い。あれはお互い若ハゲの至りじゃなかった若気の至りという結論で示談済み。別名"水洗便所の如く水に流してなかったことにしましょうネ"と合意。
「李侍郎も素敵ですわよぉっ! あの禁欲的なたたずまいが痺れますの」
 おお兄貴良かったな人気あるぜ。
 禁欲的とはよく言ったものだがあれは内心マジでビビっているだけだ。楸瑛のように軽くあしらうとか軽く付き合うという器用さと思考の柔軟性の欠如のため三十六計逃げるが勝ちを実践しているだけだと知っている。しかも微妙に尻尾を巻いている。
 会試状元及第の折の見合い攻撃、ついでは女達の既成事実を作っちゃえカミカゼアタックが十六歳の兄に刻んだ恐怖はいまだ根深いらしい。トラウマだ。黎深は笑って絶対助けなかったようだし、いつも助けてくれる友人が不在の折に真朱が一肌脱いで救出してやったこともあるのだが、それが文字通り一肌脱いだ所業だったためそれもそれでトラウマになったらしい。李真朱はときどき手段を選ばない。
 アレのせいで兄がガチの女嫌いになってしまったというのなら真朱も責任を感じないでもない。
 将来的にはあれか。女嫌いの兄と男嫌いの妹が揃って残ってマシューとマリラ。赤毛の女の子を養子にしてアンと名づけたり――その可能性は限りなく低いが。真朱はともかく絳攸は紅家に必要な人材だ。
「藍将軍と李侍郎といえば皆様ご存知――?」
 つらつらと別なところに思考を飛ばしつつ適当な相槌を打っていた真朱は知人同士の話題にようやく顔を上げる。
「お二人とも主上付きですものねぇ……」
「あのぅー……そのお二人が主上付きだと、なんなのですか?」
 やけにもったいぶった言い回しに理解が及ばなかった真朱が初めて口を開く。もともと真朱の歓迎会という名目のお茶会だったため、年上の宮女たちは鷹揚にうなずいて教えてくれた。
「ここだけの話ですのよ?」
「そうは言ってもみぃんな知っていることなんですけど」
 宮女らは怒涛の如く"ここだけの話"を語ってくれた。
 曰く―――彩雲国国主紫劉輝は毎日毎日とっかえひっかえ侍官を臥台に引っ張り込む男色家で、その側近となった藍将軍と李侍郎もすでにお手つき、新たな世界に開眼したお二人は今日も府庫で仕事がないのをいいことにイチャコライチャコラほいさっさと―――。




「♂×♂!?〒▼§◎£$欠tr√凵焙HЕЩЫЭ!?」



 皆さん素敵な男ぶりですもの他の女に取られるくらいならいい殿方同士がくっついてくれたほうが目の保養ですわよねオホホホホという宮女たちの言葉を真朱は聞いていなかった。
 なまじっか――自分の兄と、水に流しつつ三分三十七秒に及ぶべろちゅーをいたした過去のあるの間柄(なんでそんなこと? 聞くな)である知人同士の話だ衝撃も赤の他人の比ではない。しかも李真朱は腐女子思考に免疫がない。吹っ飛んだ。




 マ ジ で す か ?




 以降、真朱は後宮に召し上がったことを兄に伝えるのをスッポリ忘れ、厨房で紅貴妃と顔をあわせるまで本ッ気で彼らから身を隠していたワケで。
 李真朱、本能はまだ男寄り。生まれて初めて今の身体が女であることに感謝を捧げた瞬間だった。
 誤解がいつ解けたのか、誰も知らない。いまだ解けていない可能性も無きにしも非ず合掌。
 誰か教えてやれー。






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 少女が見上げる視線の先は満開の薄紅の花。
 舞い散る花びらの下、背筋を伸ばして桜を見つめる少女の視線は硬く険しい―――そして、どこか悲しげだった。
 彩雲国の桜の花は、真朱の記憶に残る花と少しだけ趣が異なる。
「君も桜が嫌いなのかい――?」
「…………………………………、藍将軍?」
 盛大な沈黙の意味を楸瑛は知らない(上記参照)。
「そうですね―――わたくしは、嫌いです。大嫌いです。秀麗さまとは違いますよ」
 桜は好きだけど、悲しい思い出があるから見上げる視線が少しだけ潤む少女とは違い、言葉の通り真朱の瞳に宿る視線は憎悪に近いまでの嫌悪。
「美しいと思わないのかい?」
「特には。こと桜に関してはわたくしの感性はすでに死滅しておりますの」
 美しいと思うのはソメイヨシノの花。慣れ親しんでいたからこそ、違いのほうが目に付いてしまう。
 こんなに似ているのだから、記憶の通りの花を咲かせてくれてもいいじゃないかと思ってしまうから。
 髪に絡みつく花弁を厭わしそうにつまみ捨てた。
「君が桜を見上げる姿はまるで桜の精のようにわたしには見えたのに、残念だね」
 人の嗜好はそれぞれだが、春の桜をここまで嫌う少女も珍しい。
 紅家縁の子女であるために、まとう衣は準禁色の紅を水にすかせたような淡い桜色が多い少女だ。別段口説くでもなく桜の精と評したのは楸瑛にしてはさして独創性のある言葉ではなかった。
「―――似てるのに、違うから、憎いんです。記憶の中の桜が懐かしく、現実に追いつかない」
 この少女も、何か桜に特別な思い入れがあるのかもしれない。
 触れるべきではないと楸瑛は彼女の髪に絡む花びらを取るのを手伝い、口をつぐんだ。
 少女の内心は―――。




 大学三年のゼミの花見会は無礼講もここに極まる乱痴気騒ぎだった思い出すと涙が出てくるよなんで女のこの方が酒が強い上に酔い方が悪いもっと可愛く頬を染めて目を潤ませるような酔い方を期待した俺ら男共が馬鹿だった壮絶に馬鹿だった教授はみちのく一人旅をエンドレス熱唱おかげで全部覚えてしまったいまだ覚えているよりによってみちのく一人旅酔っ払った女の子は女同士でポッキーゲームするは脱ぎ始めるわ絡んでくるは割り箸で王様ゲーム初めて無体な命令ばかり飛ばして男は全員命令の元べろちゅーしましたおかげで男とキスするぐらいじゃ動じなくなりました慣れたぐっばい羞恥心脱げお前も脱げーと剥かれた者数人、パンツ一丁で酒の追加を買って来いコンビニまで走れってストリーキング命令だとかとにかく無体鬼か鬼だトランクスまで剥かれた者もいた女って恐い酷すぎるあの日あの時男は皆奴隷だった奴隷と化したそのまま食われたものもいたらしいがそこは心の傷にダイレクトなためスクラムを組んだ大友ゼミ男子一同はあの親睦花見会について全員が沈黙を守り冗談にも話を持ち出さない教授はみちのく一人旅を熱唱して哀れな羊たちを助けてはくれなかったつーか気づいてすらいなかった恨みます恨みますよ教授なんで酒の入った女ってのはあんなに強いんだ信じられない普段は重くてもてなーいとか言いつつ資料を運ぶの手伝ってとハートマーク飛ばすくせにビール瓶箱で持ってきたのは可愛いあの子だった泣けるねなまじ酒に強くて殆ど正気だった俺は、俺はッ(自主規制)―――桜を見ると思い出すチクショウ涙が。




 楸瑛は少女の屈託に触れるべきだった。むしろ突っ込むべきだった。
 そっとしておく程の物思いじゃない。断じてない。馬鹿な大学生の良くある馬鹿な話である。
 そこには深くて長ーい溝が。溝が。
 秀麗と一緒にするなマジで。






(腐女子はきっとどこにでもいる。大学生は人生で一番馬鹿な時間)





モドル

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