彩雲国クッキング教室





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「黎深さま? 真朱が繭になってるんですがあなた何したんですか?」
「何故わたしのせいだと決め付けるんだお前は」
 その日ご機嫌で厨房に篭っていた真朱が繭になった。
 繭。
 室に鍵をかけ寝台にうずくまり布団をかぶるという完全無欠のひきこもり状態を指す。李真朱は大概図太い少女だが、たまに落ち込むとちょっと手がつけられない。
「室の前を通りかかったら中から"おのれおのれ紅黎深〜〜〜"という怨嗟の声が聞こえまして」
「…………」
 言い逃れるつもりもないが、言い逃れの出来ない決定的証拠である。
 真朱が厨房に篭るとき、それはなにやらヘンというか目新しい菜を自作するときである。普通の菜は使用人が作るので、彼女が自ら包丁を握る必要はないのだ。それを知る者は高みの見物よろしく厨房に集まったりする。普段であれば厨房に近寄りもしない黎深がこの場にいるのも気が向いたので見物に来たに決まっていた。同様の理由で集まったらしい手の空いていた家人らが、ちらほらと所在なげに突っ立っている厨房はちょっと異様だ。
 絳攸はぐるりとあたりを見渡すが、家人らは一様に困惑した顔をするのみで、何かやらかしたらしい黎深をかばう様子もない。これは黎深に人望がないわけではなく、彼らも真朱の遁走のち繭化の理由を目撃しつつも察していないということだろう。
 何があったのだろう。
 卓子にはなにやら、卵で作ったらしい菜が皿に乗っかっている。真朱はコレを作っていたのか。
「黎深さま?」
「わたしはただ、その菜を"蟹がなく餡かけをかけていない貧乏臭い蟹玉か?"と聞いただけだ。そしたらいきなり泣き出して逃げた」
 家人らも頷いた。
「はぁ……」
 絳攸は再び卓子に視線を向ける。
 皿の上の菜は、確かにそーゆーものに見える。





オムレツだもん…………」
 超カルチャーショック。





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「なにやら小腹がすいた……」
「俺の夜食でいいならありますが、食ってみる?」
 きゅるると鳴った腹を抱えて切なくぼやく王様に、心優しい(自称)女官は自分用の夜食を横流してみた。作ってはみたが、真朱自体はあんまり腹が減らなかったのだ。
 じゃなきゃやらない。
 たいそう優しい女官である。
「む、それは嬉しい。真朱の手菜は秀麗と違った趣があって余は好きだ」
「そらどーも。へい王様コレっす」
 埃をかぶらないようにかけていた手巾を手品のようにぱっと摘み上げ、皿を置く。
「これは何だ?」
「サンドウィッチみたいなモンですね」
「みたいなモン? どうやって食べるのだ?」
「手づかみでガブリ。それが作法だから別に行儀悪くなんかありません。てゆーか箸を使って食えるなら食ってみろ諸手をあげて尊敬してやる」
「ふむ。確かに箸を使って食べるのは難しそうだ」
 王様は不遜な女官の尊敬を得る機会を棒に振った。普通に出来そうもないし。
「……むぐむぐ。うん。美味しいな」
「そらどーも」
 平たく焼いた胡餅(パン)を二枚、その間には少し濃い目の味付けをされた牛肉の炒め物と、薄切りの胡瓜が挟まっている。確かにサンドウィッチというかサンドウィッチみたいなモンだ。共通点は片手で食べられて具が挟んであるパンだという程度。
「そうか。主食と主菜と副菜をいっぺんに食べるから三度一致と名づけたのだな」
「誰もが一度は通る道ですね、それ」





 あえて皆まで説明しない心優しい女官である。
 サンドウィッチ伯ジョン・モンタギューに敬礼。





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「マタタビの君、風流なる菓子を所望する」
「所望したけりゃその名で呼ぶな」
 おんぶお化けこと藍龍蓮に取り付かれた真朱は絶対零度の声音で返す。
 出会いの経緯を鑑みればそのまんま過ぎるネーミングなのだがマタタビ呼ばわりはさすがにムカつくのである。マタタビ言うな。
 マタタビ呼ばわりされるだけあってか、猫科っぽい龍蓮にべったり懐かれている。
 場所は森の中。森の中としか言いようのない森の中。遭難一歩手前みたいな森の中。ぱちぱちはぜる焚き火だけが真朱の心のよりどころである。このおんぶお化けと遭遇すると大抵酷い目に会う。遭難一歩手前なんて序の口だ今更だなんてことない。だから現状はマシなほうなのだ。
 ちなみにもっと酷い目にあうのは龍蓮と真朱の行き着く先の周囲の人々なのだがそんなこたー知ったこっちゃない。龍蓮は嫌いじゃないが実はなるたけ近寄りたくない真朱である世界の平和のために。出来れば龍蓮には遠いところで幸せになって欲しいのだが、縁があるのか、春先にしょっちゅう遭遇するのだ。示し合わせて旅に出たことは一度としてないのだが。
 このとんちきド派手な青年が藍家直系とは真朱は夢にも思っていない。藍つってるし関所は紅藍家紋の最強コンボで通過して役人の腰を悉く抜かして歩いている両人にもかかわらずだ。
 べったり張り付かれるのだが、胸を揉みしだかれるわけでもないので放置している真朱は年頃の少女失格である。
 トアル関所でばったり遭遇し、またかまたなのか今年もかよっと視界が暗くなったと思ったらハイホーハイホー担がれていた。人攫いと違うかこのおんぶお化け。
 担がれて何故か森の中。ホーホー梟が鳴いてるよ。
 何故春先かといえば、春になると吏部尚書宅は見合いの釣り書きで溢れるからだ。
 八割は吏部侍郎たる絳攸へのものだが、知る人ぞ知る李姫あてにもどこぞの坊ちゃまたちの絵姿が届くので、仕事のフリして出張という名目で真朱は逃亡するのである。それが春。だから春。
「マタタビの君、風流なる菓子を所望する」
「話聞けよお前。ほんっと話聞けよ」
 養い親に相通ずる変人である。多分頭がよすぎるんだろう。話を聞かないところとかそっくりすぎる。ベクトルは正反対だが。
 耳元でポ゚へらポピ〜と笛が鳴る。
 ブワッサブワッサと遠くで重みのある羽音がした。梟が逃げたのだろう。
 真朱は眉をしかめた。
 なんと、耳元で吹かれ眉をしかめただけだった。これがどれだけ恐ろしいことか少女は知らない。
 かつて青年であった頃の彼女のフェイバリットな音楽はデスメタル。ライブハウス最前列でスピーカーに当てられつつヘドバンしていた経験値がこんなところで活かされているなど本人も知らん。彼女の耳は龍笛を騒音として処理する鋼鉄製だった。
「話を聞けっつったんだよ俺ァ。笛を聞かせろたー言ってねぇ」
「風流なる菓子」
「それじゃわからん!」
「あれを見よマタタビの君」
 おんぶお化けが昊を指差す。指を追う。
 暗い夜空しか見えん。星すら見えん。広葉樹の大きな葉で。
「何も見えねー」
「とく見よ。鳥の巣がある」
「見えねーよどんな視力だお前」
 夜なんだよ。
「故に、あの甘い茶碗蒸しを所望する」
「なにがアノなのか因果がサッパリわからんがプリンのことだな。プリンと言え」
「では、ぷりんを所望する」
 真朱は荷物の中の食料を思い浮かべる。
 砂糖、持ってる。
 牛乳、飲みかけなら。
 蜂蜜、龍蓮が持ってた。熊から蜂の巣を奪ったのだ。怖かった。でもコレも序の口。
 熊は鍋の中で泳いでいる。皆まで言うまい。
「……卵がねぇ。諦めろ」
「此処にある」


 此処と言って龍蓮が卵を取り出したのは


「なんで頭に卵乗っけてんだよお前。つかよく落とさなかったなぁ」
 最早感心する。
「あの風流なる鳥の巣を模倣してみたのだ」
「その羽は親鳥のつもりか……」
 なんかもうどうでもよくなってきた。プリンを作ろう。




 なんとなーく一緒にいてなんとなく別れ、そろそろいいかと常より早く貴陽に帰還した真朱は後宮に放り込まれる。
 桜の花が綻ぶ直前の話。






(史上最凶に縁起の悪いコンビ主人公&龍連。縁起が悪いんです。傍迷惑なくらい)





モドル

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