本編二十九話に挿入できずチョッキンしました。二十九話と三・三七事件とを合わせてご覧ください。 * * * * * * * * * * * 「―――おや、兄さんは知らないのかい? 花街で伝説となった藍さまと真朱の通称"三・三七事件"のことを」 胡蝶が爆弾を落とし、真朱と楸瑛がウギャアと飛び上がる。 ちょっちょっちょちょちょちょちょちょっと待ってそれはヤヴァい。何がやばいって絳攸がヤバイ。こいつは洒落が通じないっ!! 「はぁ? なんだそれは。三・三な」 「ちょっと待ったァァァァァァァァッッ!!!!」 「はははホント勘弁してくれ胡蝶! 私はまだ遺言を書いていない!」 真朱と楸瑛が全力で割って入って遮った。 「伝説と言うより黒歴史だぞソレ!! つーか藍将軍なんで胡蝶に口止めしてないねぇのっ!?」 「そうそう華やかな世界の舞台裏というか!! まさか絳攸が妓楼に訪れる日が来るとは夢にも!! 君もだろう!?」 ゴショゴショ。 「………………なにをコソコソしているんだお前ら」 「―――あらいやですわお兄様。気のせい気のせいニョホホのホ」 「そうそうそう。コソコソだなんて人聞きの悪いこと言わないでくれないかなクフハハハ」 後ろめたいところありまくりな癖してそれが全く顔に出ない真朱と楸瑛は口々に言い募る。顔には出ていないのだが、二人とも若干目が泳いでいるあたりとニョホホクフハハあたりが動揺を表している思われる。 絳攸は眉を顰めた。 「その三・三七事件とはどのようなものなのだ?」 空気を読めない男、紫劉輝がとっても素直に胡蝶に尋ねてくれやがりましたこの勇(気と無神経は紙一重なんだよこの馬鹿) 者ァァァァァァァァ!!!! 真朱の飛び蹴りと楸瑛の当身が劉輝に炸裂した。 「痛いーーーッ!!」 余は王なのに酷すぎる。 「知るかボケェェェェ!! テメェほんっとうに空気読めッツーのォォォォォォォッッ!!」 「ははははははははさすがですね気絶しないなんて―――ッチ」 藍将軍が舌打ちしたっ!? 秀麗はゴシゴシと目を擦った。え、幻? 夜なのに白昼夢? 改めて見上げると、楸瑛はいつもの底の見えない笑みを浮かべている。アレやっぱり気のせい? きっと気のせいそうよねきっと。 「あぅ………、っ静蘭!! 楸瑛と真朱が余をイジめるのだーっ!!」 お兄ちゃんに言いつけやがったーーーーーーーーーーーっっっ!!?? 静蘭の笑顔が得たりと輝いた。 「そうですねぇそれはいけませんね。わかりました仇をとって差し上げます任せてください」 劉輝はいじめっ子から隠れるように静蘭の袖をちょびっと掴む。静蘭は隠しているが頼られて(?)メチャクチャ嬉しそうだ。 「―――――終わった」 怒らせてはいけない人に火種が飛び火した―――真朱は辞世の句を読もうと三十一文字を脳内で連ねた。 「は、はは。私の墓碑銘はあれかな。花ニ埋モレテ死ス? 現実になるとはね」 そうして二人は諦めた。 曳かれ者の小唄を歌うのは双方矜持が許さない―――断頭台でも潔く、潔く散ろう。 「………結局なんだって言うんだ」 「そうですね。まずそれを教えていただきましょうか」 不機嫌な絳攸の促しに、静蘭は胡蝶に視線を送った。 「なんだも何も。花街の伝説といえば武勇伝に決まってるじゃないか」 なんの。 そう思ったのは絳攸、劉輝、秀麗、影月の四人。女嫌いと世間知らずとお子ちゃまたち。つまり静蘭しかわからなかった。 この面子、基本的にその方面の精神年齢が低いかもしんない。 「名づけたのは私なんだけどねぇ。三分三十七秒で三・三七事件。語呂が良いだろ」 その語呂のよさも手伝ってここまで伝播したとも言えるわけで真朱と楸瑛はつい恨みがましい視線を胡蝶に向けてしまった。 「ホホホ。なんて目をしてくれるのさ藍さまに真朱。身から出た錆って言葉知ってるかい?」 「知りたくなかった」 「是が非でも、忘れたかったね」 「私は忘れたくても忘れられないねぇ。この胡蝶が―――三分三十七秒にわたる濃厚な口付けをなすすべもなく見物しているだけなんてさ」 終 ワ タ 。 楸瑛は天を仰ぎ、真朱は眉間を押さえて俯く。 なけなしの信用とか友情とか木っ端微塵だ。 ―――空気読めばよかったと、紫劉輝にして思わせる地獄の底辺ような沈黙が満ちた。 発生源が恐くてとても振り向けない。 「………………面白くも可笑しくもねぇだろぅアァ? 人が隠し事をするにはするナリの理由があんだよ。しかも大概クソつまらんから笑いも取れんっちゅー救いのなさがお約束。あーもう誰かせめて笑ってくんねぇ? 体張ったギャグだろーがつーか自虐」 あ、真朱が居直った。しかも韻まで踏んでヤサグレ風味。 新技だ。 「自虐とまで言われると立つ瀬がないねー」 こーなったら仕方ない。(真朱に)土下座までして責任取らせてもらおうかなぁと楸瑛は腹を括った。 責任を取るはずの対象が問答無用で難攻不落なのが唯一にして最悪の難点だが。 「ほんっとつまらないですね。合意なら何の問題もないんじゃないですか?」 静蘭、ざくっと切り捨てた。同感だ。同感だよ腹黒元公子。 「合意だったっけ? 俺っつーか藍将軍が」 三分三十七秒に関しては仕掛けたのは真朱である。 「事後承諾ってことで」 あっそう。 「じゃ、合意」 ……………綺麗にまとめて水に流そうと試みているのに静蘭と胡蝶以外納得してくんねぇっ!? 合意なら問題ないじゃんっ!? しかしさすがの真朱もさすがの楸瑛も、さすがに絳攸が見られない。どうしても見られない居直っても見られない。 「……ヤッベ。わかってたが潔癖なのが多いぞどうするよ」 「真摯に永遠の愛を誓うしかないのでは。本気で最終手段だが」 「御免こうむる」 「うーんやっぱり難攻不落」 軽口を叩きあいながら、目で合図する。 見られないけど恐いけど後が恐いようで今が恐いけど、二人ならきっと恐くない。うん一緒に見よう絳攸を。 無言が恐すぎる絳攸をっ。 「「っせーの」」 そして、見た。 「「ッギャーーーーーーーーーーーーッッっ!!!!???」」 叫んだ。 叫ばんでか。 「ごごごごごごごごめんなさいごめんなさいもうしません絶対しませんんんんんんっっ!! 冗談でもしません絶対しませんんんんんっっっ!!!」 ヤサグレ居直ったはずの真朱が物凄く真剣に頭を下げた。絳攸に。 「反省するっ!! 遅すぎるけど反省しますっ!!」 最後の余裕すら吹っ飛ばして楸瑛が後一歩で土下座という勢いで平謝りする。絳攸に。 年少組は立ち位置から、二人の態度を一変させた絳攸の表情が見えなかった。ここで身を乗り出すのは人として駄目だろう。そわそわしつつ自省する。実を言うとあの二人に一瞬で猛省させる絳攸の顔、見たいけど見たくない。正直恐すぎる。 相対的に年長組となる静蘭と胡蝶は目撃した。 そして納得する。 「―――あぁ、なるほどね。アレは下手な説教や怒りよりよっぽどキくね」 「効果は認めますが、情けなくないですか?」 相変わらず辛口の静蘭はしかし、ありえないけどお嬢様が真朱のような所業をやらかしたら邵可と共にあんな顔をしてしまうだろうと考えた。まぁありえないが。 端的に言うと、絳攸はただひたすら―――哀しそうだった。 本人は素直に認めはしないだろうが、かわいいかわいい妹と、親友の、言ってはナンだが裏切り行為の露見である。 あくまで悪ふざけでしかないので本気であるより救いがない典型だ。 真剣に猛省して謝り倒しても絳攸は無反応。 そもそも絳攸に謝るというのは的外れだ。しかしじゃあどうしろっつーんだ。 「………………ひとつ、確認したいんだが」 ド沈黙を自ら破り、絳攸が重い口を開く。 情けなくも顔を引き攣らしたのは楸瑛で、盗人猛々しいカンジの剣呑さで眉を顰めて目を細め、絳攸に代わりむっつりと沈黙したのが視線を向けられた真朱だ。 「なんでそんな阿呆な事態になったんだ?」 ごもっともで。 「えーっと………」 「些末事だ」 苛立たしげに吐き捨てた妹に、絳攸も柳眉を寄せた。 「惚れた男とだけしろと、口を酸っぱくして言わなかったか?」 俯いていないとウッカリ真朱は泣きそうだった―――なにが悲しゅうて三十路すぎてンな忠告されなきゃならん。コレは泣ける。泣いてもいいような気がする。もう本気で情けない。 だから隠してたっつーのに。 「―――藍将軍好きだぞ俺は」 兄妹間の不毛な痴話げんかに本格的に巻き込まないでくれッ。 己の所業を棚に上げ、楸瑛は内心絶叫した。 「そもそもお前はっ」 「あーああ。さんいしいこくにむこうさんごやくなくさんにさんばしろうじろうしざんさんばさんになくー」 は? 「オイッ!?」 「円周率」 「あ?」 「プチットマドレーヌ現象」 「何、」 「乖離性健忘」 「コラ耳をかっぽじって聞け今日こそは許さんわけワカラン単語並べて誤魔化すなっ」 「ああごめんもうメンドクセェ」 あ、やっと意味のわかる単語が。 「記憶、消すか」 ボソッと、不穏な決意を少女は口にした。 李真朱は有言実行の少女である。口にするや否や、ほぼ棒立ちの兄におもむろに物凄い飛び蹴りかまして吹っ飛ばしたシャイニングウィザード。運動音痴は騙りだろうという流れるような動作で息つく間もなくマウントポジションゲッツ。 「いきなり何をっ!?」 「衝立用ー意! 十八歳以下耳栓用意っ!!」 打てば響くような脊髄反射で楸瑛は衝立を用意した。馬鹿兄妹を十八歳以下から隠す。 脳髄を介さない行動だった。のちに楸瑛はしみじみと己の迅速な行動を自画自賛する。 衝立の影で兄を押し倒した少女は腐乱した魚の目玉によく似た目をして微笑む。 「我が辞書に羞恥の文字はとうにない。あったら毛ェ生えてから大真面目に幼女が出来るか」 「………お前まだ生えてな「ッ十八歳以上計測よろしく目指せ四分大台新記録っ!!!!!」 遮った。 血反吐撒き散らす勢いで真朱は兄の怪訝そうな呟きを遮った。 高らかな犯行声明に、すばやく察した静蘭が秀麗の耳を塞ぐ。 えーっと余は一応十八歳以上……と自らの年齢を指折り数えて劉輝はぽけっとしている影月の耳を塞ぐ。 胡蝶は体内時計を調節した。準備万端バッチコイ記録は覆されるためにある―――っ!! 「ごめんなさいお兄ちゃん。真朱にお説教なんて百年早いの。てゆーか今何言いかけたマジ何言いかけたつか何で知ってんのっ!?」 とっても悲鳴。 「げ―――っ!?!?」 「欠片の同情も吹っ飛んだぜっ!! 俺に説教したけりゃ惚れた女の一人や二人や三人四人連れてきてから出直してこいっ!!」 ちょっと数が多いような気がしないでもないけど大筋ではごもっともっ! 「用意――――っ!!」 し ば ら く お 待 ち く だ さ い 。 「おめでとう。四分四十四秒ってとこだね」 唾棄しかねん表情で衝立から顔を出した真朱に胡蝶は面白がって計測結果を告げた。 「わぁ新記録。"三連死"ってとこがなんだかとっても暗示的―――なぁなんか新記録の景品出ねぇ?」 ご褒美でもでないと正直やってらんねぇ。 「お楽しみだったじゃないのさ」 「そう思うか………?」 大切にしてきたもの崖から放り投げました。そんな悲壮な顔をして問われればさすがの胡蝶も肯定できない。 耳栓を解放された秀麗と影月が、恐る恐る訪ねた。 「な………何、してたの?」 「…………………対兄最終奥義、真朱式逆記憶術とでも申しましょうか」 なんじゃそら。 「人間の脳みそって結構便利に出来てますよね便利便利例えば円周率を語呂合わせで覚えるように数字の羅列を叩き込む努力を重ねるより語呂を合わせて文章化したほうが簡単に記憶できますし物語性を加味すればなおさら覚えやすいしまた文字以外の情報五感と関連付けるとマドレーヌを食ったとたんに幼少期の思い出がまざまざと一瞬にして思い出すようなプチットマドレーヌ現象失われた時を求めて?なんて覚え方も出来ますねそんな反面人間て忘れたいことは綺麗サッパリ忘れちゃったりも出来るんですよ結構恣意的に覚えてると自我崩壊しそうな記憶はパッパラッパー忘れられちゃう乖離性健忘」 超ノンブレス解説。 「というわけで此方の都合の悪い記憶をイヤァァァァな五感情報と関連付けてみました。覚えてれば自我崩壊しちゃうよーなイヤァァァァァァァァァな記憶と連続させましたので、理論上いけるかと―――頭のいいヤツのほうが記憶は融通が利いていいですよねぇえええ」 サバサバとした仕草を裏切る暗い笑顔がちょっと……かなり恐かったと目撃者は後に語る。 「………………真朱殿? ちょっとところどころわからないんだけど」 「わかんなくて無問題です藍将軍。どーせ俺も絳攸にしか出来ねぇもん。ついでにくだらねぇ記録も更新して万々歳―――ッハ」 万々歳というなら鼻で嘲笑わないで欲しい。 「なんとなくやったことはわかったけど………それにしても四分四十四秒ってやりすぎじゃないかな?」 「いやもうだんだん耐え難いのが気持ちよくなってウッカリ夢中に―――って何言わす」 彼女の感性はちょっと(……かなり)病んでいる。 「さてと皆々様にお願い申し上げる―――我が兄はそりゃもう嬉々として記憶を側溝にドボンするよな不幸な出来事でなんか酸欠。ですからどうぞ労わってやってくださいまし」 有無を言わせぬ静かなる迫力のオネガイであった。 「ね?」 小首をかしげてカワイコぶっても鬼畜の所業。 「―――なんだか周囲の視線が生温、」 「気のせいだぞ兄よ!」 マジで忘れてんのカヨ!! という言葉に出来ない周囲の絶叫が視線となるとどうにも生温くなるのである。 「なにが、」 「気にスンナッ!!」 台詞を悉く妹に遮られることに既視感を覚え、絳攸が遠くを見るように目を眇める。ヤバっ!! 真朱は咄嗟に絳攸の手を握った。 「………何だいきなり」 怪訝そうに―――けれども一度だって振り払われたことがない、手を、繋ぐ。 幼い頃いつもそうしていて、今ですら時折こうしていて、冷静に考えれば馬鹿じゃねぇのか俺らとそう思うのに、手放し難くてそろそろ本気で穴に篭りたい。 「………や、たださぁ」 もーちょっとだけ。 「楽しく兄妹やってよーぜ」 そう言って真朱が微笑ったから―――。 本人のあずかり知らぬところで潤んだ目で、あまりにも寂しそうに、わらったから。 絳攸は煩わしい周囲の目線と霧がかった記憶と柔らかかっダラッシャァァァァ―――以下まとめて自ら崖下へ投下した。 なんだかよくわからないが、返事に代えて、少しだけ強く小さな手を握り返した。 壊さないように。 「むしろ最後のあの顔が最終奥義ですね」 「今マサに絳攸が自ら諸々投げ捨てたのが見えたのだ」 そりゃもう美しい放物線が幻視できたほど清々しく潔く投げ捨ておったわ李絳攸。 お隣では、いいかい秀麗ちゃんに坊や。女は表情一つで男を手玉にとってなんぼでね、男は手玉に取られてやってなんぼなんだよ、と胡蝶による男と女の手練手管講座が即席で開かれている。教材にされたと知ったら無意識だけに李兄妹は屈辱のあまり揃って白目剥いて卒倒しそうだ。 「余は、空気読むの頑張ろうと思う」 きょうだいは、どうしてだろう―――仲が良いほどその時間は有限だ。隣の兄を見て、劉輝はちょっと猿よりマシな反省をする。その背中を、静蘭がポンと押すように軽く叩いた。 三回死んでも何べん死んでもやり直せても、兄妹が良い。 (リサイクルそのさん。目出度く誰かからの記憶から削除されたので没ったらしい通称三連死事件) △ モドル ▽ |