ある種吹っ切れた禁断の過去ー?





≪悶えを排わんとして強いて堕っこちる≫

 獅子は我が仔を千尋の谷に落とすというが………。
育児日誌とやらをつけてみることにした
 突き落とすのはあくまでも谷の底であって、地獄の底でも底なし泥沼でも奈落の底でもない。
 獣の方がハートフル。



 紅黎深が李真朱と名づけた幼児は薄気味悪く、沈黙が痛い子どもだった。
 泣かない笑わない喋らない。まるで幼子らしからぬ風情で生気に乏しく、なのに双眸だけが爛々と、不気味に輝いているような子どもだ。
 浮浪児から一転して名家の養女となった急激な環境の変化に戸惑っている―――といった可愛げなど欠片もない。幼児は至極冷静に、急激な環境の変化を他人事のように観察していた。
 外界からの接触に反応が疎かになるほどに思考の全てをそれに費やすことで、正々堂々と現実逃避しているようなクソガキだった。薄気味悪くて当然だ。  後に本人が語ることには「あぁあの頃? 虚脱してた」とのこと。
 衣食住が保障されて当面の命の危険がなくなってようやく、現実逃避できるまで現実が追いついた状態だったという。黎深に拾われるまで現実逃避すら出来なかったのは哀れといえば哀れだが、当人に告げれば無言で金蹴りかますぐらいは確実にやる。

 不気味なクソガキが、拾って以来初めて―――さすがに聞き捨てならねーと―――人間らしい反応を返したのが前出の紅黎深の爆弾発言もとい問題発言実質死刑宣告、である。
 どうしたって無視できなかった。


「………な、に?」
 久々に発声すると、声が無様に枯れていた。人間って順調に退化するイキモノだとつくづく思う。
「育児日誌をつけることにした」
 聞き返しても答えは変わらず、幼女はさすがに戦慄した。
 目の前の、元の自分と大差ない年頃の青年は―――だから紅黎深は今ナンつった。正直聞き返したくなかった。しかしエマージェンシーコール脳内ワッショイ。 「だれ、が」
「ナントこの私がだ」
 自分で"ナント"とつけるぐらいだから、自分でもよほどありえない行動だとの自覚があるらしいことに幼女はやや安堵した。
「だれ、で」
 ココ重要。
「私の目の前にいるクソガキでだ」




 わーい。




 李真朱と名づけられた幼女は、瞬時にこれから起こりえる事象起こるだろう事象起こっちゃうんだろう事象を検証推察確信絶望して天を仰いだ。
「実は兄上が秀麗の成長を事細かに書き留め時折読み返しては日々の成長を喜び尊びイトシンデイルと小耳に挟んだのだ。さすが兄上だ。あの可愛らしい秀麗の成長を一瞬たりとも見逃さない無駄にしないなんてあああ素晴らしい!!」
 紅黎深は実の兄が大好きで、とりあえず何でもかんでも真似をする―――例えば李兄妹を拾ってみたのは、兄が茶州で子どもを拾ったから、らしい。その大真面目にアホな理由に、幼女はむしろ安心した。こんな理由では遠慮するほうがバカをみるバカがみるブタのケツ。日々の糧も寝床もこの男の懐から金が出ていると思えば遠慮会釈なく享受出来るというものだ。縁もゆかりもない子どもを慈愛のココロで引き取り育てられたりなんかされたらコッチの精神が早々持たない程度には、幼児の精神は熟していて―――身体はあまりにも無力だった。
「キサマの成長になんぞ他人のハナクソほどの興味もないが、育児日誌をつけることで、あ、兄上との会話の話題を作ってみたり……ででで出来たら交換なんかしちゃったりしてっ」


 交換日記
 交換日記狙ってんのカ!?


「どこ、の、ちゅうぼう、だ……」
 後年冴えわたる李真朱の絶叫系ツッコミはあくまでも心中で処理されていた。久方ぶりの喉から搾り出された言葉になるのは水気のない乾いた感慨だけだ。
 絶望のズンドコで、それでも幼児は起こりえる事象起こるだろう事象起こっちゃうんだろう事象を検証推察確信して、無駄だろう忠告を試みた。
「………やめ、とけ」
「誰が貴様の意見など聞いた」
 やっぱりね。
 うんやっぱりな。わかってたさ。わかってたけどさぁ。
「………アイツ―――絳攸、で、やったほうが、まだマシだろう、よ」
 幼児の名誉の為に付け加えると、この発言は属性と適性を正確に把握した上での忠告であり、正真正銘イタイケな少年であった兄を売ッ払ったわけではない。決してない。
「アレは育ちすぎている」
「……それ、でも、だ」
 つーか育ちすぎているのはコッチの方なのだよ。
 兄との交換日記を狙うんだったら絳攸の方が適している。滔々と根拠を語りたいところだが、ここのところの不精が祟ってすでに喉が痛い。
「だから貴様の意見など聞いておらん」
「そう……………じゃあ、もう、いい、よ。ひとつき、やってみるがいい、さ」
 一月なら付き合ってやろう渡りに船だ。
 李真朱と名づけられた幼児は、いい加減、現実逃避にも飽きていた。渡りに船だ。




 期間を限定したのは、さすがにその辺が己の限界だろうからだ。





 ―――で、やってみた結果。

「はっはっはっあーーーーっはっはっは!!!」
 生気のない人形のようだった幼児が高らかに哄笑していた。
 その手には、手作り感あふるる冊子が握られていて、一頁捲るごとに幼女は狂ったように爆笑する。
「も、サイコー!! ホントさいこー!! よそういじょうっ!! あはははははははははははは」
「……………」
 紅黎深に育児日誌を綴らせるため、一月もの間、彼の手ずから密着24時の勢いで"育てられた"幼女は一変した。


 ちなみに誰もが命懸けで止めた。命懸けで苦言を呈した。命懸けで妨害した。たとえ不気味なクソガキだろうと誰もが幼女の心配をして、命を賭けたが無駄だった。


 なのに何故か、結果、幼女の表情は鮮やかに動くようになり、舌足らずながら流暢に、己の言葉を口にするようになった。それが誰もが予想した以上に愛らしい声での毒舌だったのは誰にとっての誤算だったか不明だが―――紅黎深に"育てられる"という、それがたった一月ほどの期間であろうとも、比喩抜きで阿鼻叫喚の生き地獄の火の輪くぐりを生還したあまりか、何故か好転して人間らしくなった奇跡の幼児として彼女は生きた伝説として降臨。薄気味悪い不気味なクソガキが一転してこの世の奇跡の具現者として崇め奉られるようになったり。主に紅家家人一同に。

 一月前までの、壊れた人形めいた印象など、もうどこにもない。

「もう、もう―――わらうしかねぇよっ!!!!」
 幼女はズバシと冊子を床に叩きつけた。
 人らしくなった彼女の爆笑は、紙一重の悲鳴だった。
「よんでみた? よみかえしてみた? なぁどうおもう? どうおもうー?」
「………………ナンカ違う、気がする」
 幼女を従え育児日誌をつけてみた紅黎深は、己の予想の右斜め上を滑空するブツと相成ったソレ―――床に叩きつけられた冊子を拾おうともしなかった。
 何が違うのか、黎深には茫洋として言葉にはならなかったが、彼に内在する本能的な何かが警鐘を鳴らしている。コレミセタラアニウエニシカラレソウナキガスルー。そんな警鐘。
「なんかちがうだとコラ?」
 涙目爆笑幼女は床に叩きつけた冊子を小さな足で踏みにじった。
「こんぽんてきにすべてがまちがってるんだよ!! いくじにっしつーたかコレ!! コレがッ!? コレは、どーみても、だれが、よんでもっ、」
 ニジニジ踏みにじり、幼児ははっきり言った。
 断言して言った。
 忌憚無く言った。




ほんかくSMようじょちょうきょうぼんだ




 たぶん彩雲国史上初。

「まず子育てつーてさいしょに手にするどーぐがどーしてムチになるか問いたいね。てかせあしかせくちかせ○○××きんばくほうちにしゅうちプレイにつぐほんかくプレイかあげくのはてには○○○○に××××まであるってアンタほんばんいがいのすべてがあるってナニこのドSが。てんねんドSがああぁぁぁぁぁぁっ」
 恐るべきは天然ドS。
 予想はしていたが、兄との交換日記を果てしなく真剣に狙っていた黎深はどこまでも真剣に"子育て"を試みてその様を克明に書き綴った―――悲劇以外のなにものでもない。
 そんな彼が最初に手にした道具というのがお人形さんとか鞠だとか平和的且つ一般的な子供用玩具ではなく紛う方なき乗馬用鞭だった。
 あ、これは死んだ。
 折角拾って活かそうとした―――生かそうとした命を本気で惜しんだ。

「そもそもあんたの属性がてんねんドSで、おれがじつねんれい18さい以上のキセキの実在エセ幼女である時点ではじめからおわっている」

 天然ドSとエセ幼女(つるぺたすっとんですが18歳以上)の、存在そのものが間違っている二人の織り成す華麗なる競演である。どう客観的に見たってエロゲ設定。幼女義理の親子監禁えとせとらえとせとらキーワード無駄に盛りだくさん。
 すさまじくいかがわしい育児日誌を幼女はペッと火にくべた。証拠隠滅。主義に反すがこの時ばかりは焚書万歳。
 一応この人新婚なので、離婚原因にしかならないような証拠物件はさすがにアレだ。燃やすに限る。奥方はいい人だ。
 一月に渡る真摯な努力が灰と化そうと、黎深も止めなかった。さすがに思うところがあったらしい。
「無駄だったな」
 その一言で無に帰そうとしてくれやがったのを幼児は許さなかった。
 合意とは言え予想以上の地獄だった。今呼吸している奇跡を世界中に感謝したい。だが許さない。

 ―――赦してなるものか一矢報いてみせようぞ。

「………おれはさいしょに忠告した。むししたのはアンタのほうだろが。それにざんねんながらムダじゃねーぞ」
 フフンと幼女は自棄ッぱちのイイ顔で笑った。
 そう、ムダどころか―――





「お・か・げ・さ・ま・で!! おれはドMになりましたっ!





 ちゃんと実を結んでいたという真性の悲劇。
 これにより、李真朱は「これ以上のド変態になってなるものか」を合言葉に、男女どちらを愛しても同性愛風味ーーーーーと胸キュンするたび絶叫しては己を戒め、十余年後にはしっかりちゃっかり、あんなのになっちゃったのというのは蛇足。
   





(絳攸の方向音痴が百合様のせいなら、主人公のアレは9割方黎深様のせいという話)





モドル

inserted by FC2 system